第35話 絶体絶命




その時、キーっと錆びたような音を響かせて部屋のドアが開いた。



「何をごちゃごちゃと話しているのですか?」



さっき公園で聞いた声と同じだ。ずっと耳に残るような低くてどこか気持ち悪い声。



「本当に可哀想な人達ですね。いえ、ここまで来たら幸せな美少女と笑ってもいいでしょうか?」



そこには黒いTシャツに黒いズボン、白衣を羽織ったヤマダ先生が立っていた。マリアの事件の次の日に職員室に会いに行った、あの虫が好きな教師だ。先程のお面はつけておらず、いつものようにマスクをしていた。



左手にはスタンガン、右手には鉄パイプを持っている。


「アツシくんこんにちは。ずっとこの日を待って居たのですよ。どうです?私のアトリエは!美しいでしょう?」



ヤマダ先生は満面の笑みを浮かべていた。ヤマダ先生はこんな表情で笑う人だったのか。学校ではいつも虫に夢中で必要以上に生徒に接する事はなく、ましてや虫以外の事で笑顔を浮かべているのを見た事がなかった。


そんな笑顔で何を考え、実行しようとしているのだろう。


常人ではない事は確かだ。緊張感が走る。俺はマリアのおかげで口は聞けるようになったが、身体は変わらず自由に動かせない。マリアも同じ状況だ。これは絶体絶命なのでは?


……絶体絶命と言う言葉を使う時がやって来るなんて思いもよらなかった。


先生はスタンガンと鉄パイプで何をする気だろうか。





「何なんですか?こんな所に連れてきて!早く俺達を解放して下さい!何が目的なんだ!!」


ここで弱さや隙を見せてしまっては直ぐにやられてしまうと思い、俺は強気で出ることにした。先生がマリアへこれ以上害を与えないように、興味を俺の方に惹きつけるのに必死だ。恐怖と緊張で、縛られている手からは、また汗がダクダクと出ていた。マリアの方をチラッと見ると、眼を見開いて、顔が青ざめている。酷く怯えているように見える。小さな口をパクパクさせ何かを話したくても、恐怖で言葉も出せないと言った様子だ。


何とかしなければ。


先生はお構いなしに話しかけてくる。


「元気ですねー。アツシくん。私はずっとアツシくんとお話がしたかった。前に冷たい態度をとってしまった時はごめんなさいね。でもそれも全部アツシくんの事を思ってやった事です。アツシくんはスタンガンと鉄パイプどっちが好きですか?」


「質問に答えろよ!どっちも嫌だ!」



「どっちも嫌ですかー?じゃあ、鉄パイプにしましょうか!この日の為にピカピカにしておいたんですよ」


「やめろっ!!」



先生が鉄パイプを振りかざした。

俺はうつむいた。


……殴られる!もうおしまいだ。





しかし、鉄パイプが俺に当たる事はなかった。鉄パイプが風を切っていく音が聞こえた。


「あああっ!!」


「え?」


俺の横から高い声の悲鳴が聞こえた。俺は瞬時に振り向く。そこには床に転がり苦しむマリアの姿があった。ハッと息を呑む。



「……何で?やめろっ!殴るなら俺にしろよ!!なんで!?」


信じられない。本当にどうしてこんな事をするのだろう。怖い。何を考えているのかが全くわからない。マリアが先生は本当は俺を狙っていると言っていたのに、何故だ。何故マリアを殴る?


やっとここまで来られたのに、目の前にはマリアがいるのに俺は救う事ができない。何も出来ない。……守りたい。



「いい表情ですねー。じゃあ次はマリアの顔にしましょうか。この可愛い可愛い顔面も使い物にならなくなりますね!ははっ」


「やめろよ!!」



俺は突進しようとした。手足が縛られているこの状態で先生を止めるにはこの方法しか思いつかなかった。と言うか、咄嗟に身体が動いていた。

しかし、背中に左の肩に鈍い音と物凄い衝撃が走る。鉄パイプで殴られてしまったようだ。


「うっ!!」


痛い所ではない。全身が痺れるような感覚で動けない。俺はうずくまって動けなくなってしまった。


「アツシくんが悪いのですよ?せっかく選択肢を上げたのに。スタンガンならマリアの顔は傷つかなかったでしょうに。可哀想だなー」


先生の、声が頭上から聞こえて来る。俺は必死で答えた。



「何が目的なんだよ!これ以上マリアには手を出すな!」


「それが人にものを頼む時の態度ですか?本当に世間知らずですね。可哀想に」


「……っ。もうマリアには手を出さないでください……お願いします」



「はははっ」


「あああっ!」



先生は楽しげに笑うと、またマリアの身体に鉄パイプを振りかざした。



「……手を出さないんじゃなかったのかよ……」


「そうは言っていません。アツシくんのお願いに免じてマリアの顔は残して置いてあげましょう。最後まで。ははっ」


「……うっ……」


「本当にもうやめろよ!」



これ以上殴られたらマリアが本当に死んでしまう。



「マリアも動かなくなってきた所ですし、少しアツシくんとお話ししましょうか」



俺は何とか身体を起こした。


先生はさっきまでの楽しげな表情から一変して穏やかな表情を浮かべていた。その穏やかな表情も気持ち悪かった。


「アツシくんどうしてこんな事件が起きたのか、わかりますか?」


「……わからない……。先生がマリアの事を好きだから?独り占めしたくて……?」


「不正解です」


先生は鉄パイプとスタンガンを床にそっと置くと、俺のあごに右手をあてクイっと持ち上げる。そしてまた不気味な笑みを浮かべながら俺の事を見つめて来る。


「さあ、早く答えて……」 


そして左手でカウントダウンを始めた。あの時のように。


5……4……3……2……。



俺は慌てて答えた。




「もしかして……もしかしてですけど、俺を狙っていたのですか?」


マリアが教えてくれた事は話さなかった。また先生の怒りに触れてしまうような気がしたから。



「ご名答。さすがアツシくん。理由も答えられればもっと素晴らしいです」


「理由はわかりません。しかし、俺よりも、マリアに手を出すからそう思いました」


「何と悲しい。私がここまでしてもわからないとは。教えてあげます。……アツシくんの事を私は愛しているからです」


「……え?」


「ずっと前から。マリアの事件を起こしてアツシくんが私に会いに来てくれた時は本当は凄く嬉しかった。心が躍った。でも威圧的な態度をとってしまってごめんなさい。あの時はまだ早かったから。今はもう大丈夫。アツシくんが好きな人も、アツシくんの事を大切に思っている人達も皆、皆居なくなった。もう私だけを見つめてくれる!私がこんなに嬉しいのだから、きっとアツシくんも同じ気持ちでしょう?」


「……ちょっと何を言っているのかわかりません。……先生は俺の事が好きで、俺の気を引くために、この事件を起こしたって事ですか?俺が大ファンであるマリアを利用して。マリアの事件と俺をうまく関わらせるためにアヤカをも利用して……。アヤカを利用して俺の様子をずっと伺っていたって事ですか?」



理解したくなかったけど何故か我ながら頭の回転が早く、考えが上手くまとまってしまった。全て辻褄があってしまった。全て本当の事だとしたら、気持ち悪すぎてたまらない。先生一人の感情で事件を起こし、何人もの人を巻き込んでいると思っているのだろう。



先生は頷きながら拍手をしていた。


「そうです!そうです!さすがアツシくん。私の愛が伝わっていたようですね!私はとても嬉しいです。満足です。そして、君はマリアの事件を通してかけがえのない友達を手に入れた。そんなアツシくんを見ているのもまた、楽しかったです。でもフライがあまりにも私のアツシくんにベタベタするものだから、フライも消してやろうと思いました。それにアツシくんが学校でも孤立すればもっともっと私を求めてくれると思って!どうです?素晴らしいでしょう?」


「……信じられない。周りの皆は何も関係ないだろう!俺は絶対にお前を許さない!!」


「……酷い。酷い。私はこんなにアツシくんの事を愛しているのに」


バシッと頬に痛みが走る。先生は素手で俺の顔に平手打ちをして来たのだ。


「……先生。マリアにやったのと同じように鉄パイプは使わないんですか……?さっきみたいに」


「アツシくんにそんなもの使う訳ない。さっきは突然だったから。私の身体で愛を教えたいのです」


意味がわからない。ただの狂ったおっさんでしかない。


「……どうして俺なんですか……?」






「私の気持ちに興味を持ってくれたんだね?!嬉しい!教えてあげます。……もしも、怒りの矛先を誰かに向けたいというのならば君の母親を恨むべきです、とでも言っておきましょうか」





母さん……?





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