第30話 平凡な幸せ




俺にとって「幸せ」とはなんだろうか。



当たり前に友達がいて、俺は皆に頼りにされていて、困った時には友達と助け合って、ふざけ合って馬鹿やって、小さな事で沢山笑って、放課後は遊びに行って……。


きっとその時に感じる気持ちは暖かくて心地よい。



何があっても俺の事を信じてくれる。そして俺は友達の事を信じられる。信頼できる友達とそんな毎日を送る事。


そういう、ごく普通の出来事が幸せだ。そんな毎日が欲しい。そんな平凡な毎日を何も考えずのんびりと送りたい。




それが俺にとっての「幸せ」だ。


でもそれは叶える事が難しい、ただの理想像なのだと気がついた。









俺はベッドに寝転び、天井を見上げていた。



今日は学校を休んだ。母さんには事情を話さず、体調が悪いと言い、仮病を使った。母さんはすごく心配していたが俺は「大丈夫」とだけ伝え、部屋のドアを閉じた。


朝だろうが昼だろうが部屋のカーテンを開ける事はなかった。だからと言って電気をつける訳でもない。光に当たれば無理にでも元気に動かなければならないような気がして、今はこの暗さに包まれる方が心地良く感じた。自分が自分らしくいられるよう暗さが守ってくれている気がした。


カーテンの隙間から少しだけ部屋の中に伸びる光も鬱陶しかった。眩しくて、目を逸らした。


ベッドの上はフカフカしている。このままこのフカフカに飲まれて沈んで消えてしまいたいと思うくらいに。





スマホに電源は入れておいたが開くことはなかった。SNSを開いても、どうせ俺の悪口ばかり書き込まれているだろう。想像はできる。流石に自分から傷つきに行くような事はしたくなかった。



天井を見上げれば木目やシミが怖い顔に見えてくるし、目を閉じればなぜか、クラスメイト達の顔よりも中学時代のエンドウ先生のニコニコした笑顔を思い出してしまう。昔の記憶なのに脳裏に焼き付いて離れなかった。


「弱いお前が悪い」


ずっと心の中にエンドウ先生がいて、あのニコニコの笑顔で俺に語りかけてくる。

中学時代の一連の出来事の中でも特に印象強く、一番のトラウマになってしまった出来事なのかも知れない。自分でも気づかなかったが潜在意識が忘れさせてはくれなかったようだ。





俺は中学生の時から、何か一つでも成長できたのだろうか?どこか変わる事ができただろうか?クラスメイトにもまた裏切られ、話を聞いてもらえず、信じてもらえるような言葉も出てこない。


そんな自分自身に対しても悔しさが湧き上がってくる。



環境が変わったはずなのに、同じ事を繰り返しているだけだった。 



何時間もベッドの上で寝転び、考え事をしたり、ボーっとしたりを繰り返していた。俺はこれからどうやって生きていけばいいのか、わからなかった。未来の事を考えると、心の奥底から、どうする事もできないくらいの大きな不安が押し寄せてきて、吐き気がした。自分はこんなに弱かったのかと痛感する。



今日は、何も答えが見つからなかった。


今日は空は青いのだろうか。手が届きそうな、もくもくの雲は浮かんでいただろうか。変わらず太陽は輝いているのだろうか。外の情報は何も得ていない。


部屋の中を見渡せば、俺が今まで大切に集めて来た、俺が好きな漫画やゲームがある。そしてマリアのグッズがある。丁寧に飾ってある物や、片付けきれていない物、掃除が行き届いていない場所もある。


部屋の中は俺の心を切り取った一部分だ。


心をそのまま物理化したのが自分の部屋だと思っている。だからあまり人には見せようと思わないのだと思う。見た側は何も感じる事はないのかも知れないけれど。部屋の中の綺麗な場所は心の中の綺麗な部分を表していて、汚れている場所は心の中のすさんだ部分を表していると思う。心が荒んでいるから片付ける気力も湧かず、部屋が汚いのだろう。


今までかけがえのない宝物だと思っていた物達も、気分が沈みまくっている今となれば全部どうでもいい。自分が死んでしまうとなれば何も必要ではない。俺が今まで勝手に、自分に必要だと思っていただけで、漫画も、ゲームもグッズも俺じゃなくても違う誰かがきっと大切にしてくれる。



そう考えると俺の一番大切なものが何なのかわからなくなる。自分の事なのに、わからなくなる。



……ショウは俺の部屋に来た。緊急事態だったとはいえ、ショウはやはり心を、内面を見せられる大切な存在なのだ……。






そうしているうちに、月が夜空を照らし、太陽は眠っていた。外はもう、真っ暗だ。



カーテンの隙間から伸びる光もいつの間にか消えていた。

差し伸べてくれる手が消えてなくなってしまう様に光がスッと消えてしまった。





不意に寂しくなって、なんとなくスマホを取り出した。恐る恐るSNSを開いてみる。しかし、すぐに後悔する事になるのだが。



誹謗中傷は思ったよりは来ていなかった。安心したのも束の間、皆でふざけ合っている楽しげな写真をSNSにあげているクラスメイトがいたのだ。心にグサッと刺さるものがあった。


そこにはあの、サトウの姿も写っていた。


一番怖いのは無関心だ。

皆は俺にもう無関心なのだ。会話をする価値もないのだ。誹謗中傷さえも送る価値がないと思われたのだ。


皆はもう俺の存在を忘れている様だった。最初から俺はクラスに存在しなかったかのように、昨日の出来事など何事もなかったかのように画面の中のクラメイト達はキラキラした笑顔で輝いていた。眩しいくらいに青春していた。




幸せそうに楽しそうに、笑うクラスメイト達の顔を見ていると、自分には無縁の、遠い世界の出来事のように思えた。自分がそれらになれる事はないし、一生近づく事さえもできないのだと思った。


何か壮大な映画を見た後に伏線を回収しきれず、消化しきれないもやもやが残ってしまったような気持ちだった。



悪循環が止まらず、堕ちていくばかりだ。



そんな時スマホのバイブが鳴った。ショウから連絡が来たようだ。どうやら今日、アヤカと一緒にマリアのマネージャーに会いに行ったらしい。様子が細かく書かれていた。

せっかく連絡をもらったが、もう俺には何もできない。何もしたくない。返信はしなかった。


ショウとアヤカと、もう関わらないつもりでいた。でも連絡先を消す勇気もない。



自分はつくづく面倒臭いやつだと思う。



ショウからの連絡の画面を閉じようとすると、操作のミスで写真フォルダを開いてしまった。そこにはマリアの写真があった。俺はドキッとしてしまった。写真の中のマリアと目があったからだ。


やっぱりマリアが好きだ。好きな気持ちは変わらない。でもマリアの事を考えると心がぎゅっと潰されるような後ろめたさを感じるのだった。



俺は逃げている訳じゃない。

……違うんだ。俺はただ「平凡な幸せ」を味わいだけだ。ショウもアヤカもいっその事、俺を嫌ってくれたら楽なのに。


必死で自分にそう言い聞かせていた。




気がつくと俺は眠っていた。


夢を見ていた。エンドウ先生の顔でもなく、クラスメイト達の顔でもなく、ショウとアヤカそしてマリアと楽しく笑っている夢だった。優しくて心地の良い、覚めたくない夢。


……本当は現実でもそうなりたいのだ。ただの理想像じゃなくて、叶えたい。ひどい事をして来たクラスメイト達とじゃなくて、俺を信じてくれたショウとアヤカと。


自分は何をしているのだろう。何がしたいのだろう。自分から手を離したくせに後悔してばかりだ。



……寂しい。失いたくない。



こんな時間にスマホのバイブが鳴る。また、ショウから連絡が入った。ショウは寝ていないのだろうか?





「アツシくんと話がしたい。どうしても……」





俺にしかできない事もあるのだろうか。マリアの事件を調べるのに特別な理由なんていらない。マリアの事が好きという気持ちがあるならばそれだけで充分じゃないか?もう一度歩み寄ってダメならまた別の方法を探せば良いいのではないか?



悩んでいる事にも疲れた。悩みすぎて進めない。それならもう悩む必要はない。俺は俺の「幸せ」を探す。



カーテンの隙間からまた、光が入っていた。ゆっくりとベッドから起き上がり、優しくカーテンを開ける。太陽が眩しかった。



朝がきた。俺はスマホの送信ボタンを押す。




「いろいろごめんな。やっぱり俺も話したい」







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