第7話 送辞④
『今、先輩方は、胸に夢と希望を抱いて新しい世界へと羽ばたこうとしています』
夢と希望。その言葉が耳に残った。
それはこの高校生活で見つかると思っていたもので、まだ見つかっていないものだ。なのに俺はどうして卒業できるのか。
いや、その答えはもうわかっていた。
――時間が経ったから、だ。
三年が過ぎたから俺たちは卒業する。ただ、それだけの話だった。
三澄はいち早くそれに気付いたのだろう。だから行動に移した。彼女はつくづく聡い。
そして俺は、つくづく遅かった。
「代わりなんかいないんだよ」
あのときの台詞を繰り返す。それは三澄のことだけじゃない。
俺の三年間を過ごせるのは、俺しかいなかったのに。
なのにどうして俺は何もしてこなかったんだろう。言い訳ばかり並べて、どうしてもっと必死にならなかったんだろうか。
「……ああ、ほんと」
もしもあのとき世話を続けていれば、花は咲いたのだろうか。
もしもあのとき泳ぎ続けていれば、島まで辿り着けたのだろうか。
もしもあのとき彼女の背中に声を掛けていれば、振り向いてくれたのだろうか。
「俺、今まで何してきたんだろうなあ……っ」
数えきれないほどの『もしも』が溢れ返って目から零れた。いくら願っても、もう戻ってこない。
『第73回 栄成高校卒業式』
その文字が不意にはっきりとした輪郭を帯びた。そして容赦なく突きつけてくる。
お前が何を為さなくとも時間は過ぎていくのだと。
永遠なんてない。いつか必ず、終わるのだと。
『その夢と希望を絶やさず、栄成高校で学んだことを礎に』
演台のマイクを通して在校生代表の声が響く。
その顔はもう見えなくなっていた。
『どうか悔いのない人生を歩んでください』
***
「ばーか」
隣から聞き慣れた声が飛んできた。
ぼやけた視線を向けると、沙月は前を向いたまま言葉だけをこちらに投げる。
「なに泣いてんのよ」
「お前も泣いてんじゃん」
「八生くんがばかだからだよ」
真っ直ぐに前を向く彼女の横顔。
その大きな瞳をやわらかそうな涙が包んでいた。
「そりゃあ何かをやりきるとかとことん突き詰めるとか、そういうのってすごいよ。なかなかできることじゃないし」
でも、と彼女は続ける。
その声にはノイズが混じり、湿り気を帯びていく。
「でも、じゃあ私たちは駄目だったの? 八生くんも、私も、色々やってたじゃん。そりゃ全部適当で中途半端でやる気なくて馬鹿なことばっかりだったけどさあ。……でも、楽しかったじゃん」
ず、と彼女はひとつ鼻を啜った。
目と耳を真っ赤にしながら彼女はそれでも口を開く。
「私たちの青春を、無かったことにしないでよ」
彼女の胸元のコサージュが小さく揺れた。
ひらり、とその瞳からひとひらの涙が伝う。
「できなかったことも言えなかったこともいっぱいあった。でも、楽しかったこともいっぱいあったよ。どんなに薄っぺらくても、私たちの大事な思い出でしょ」
そして彼女はぽろぽろと涙を幾つも流しながら、笑った。
「だからやっぱり、おめでとうなんだよ」
沙月はぐしゃぐしゃの声でそう言って、耐えきれなくなったように表情を崩した。それを聞いて、俺は彼女との三年間を想う。
内容も憶えていない会話。
無駄の多い動き。
しわくちゃの制服。
静まらない教室。
喉が
笑って、ふざけて、馬鹿やって、また笑って。
――あの他愛のない日常を花びらに例えるのは、少し綺麗すぎるだろうか。
その一枚一枚は透けるほど薄かったかもしれない。
挫折もある。後悔もある。失敗だって山ほどある。
けれど、それらすべてを重ね合わせて鮮やかな一輪の花になるのだとしたら。
「……なんだ」
それは間違いなく、俺たちだけの三年間で。
俺たちだけの青春だった。
「色々やってたじゃん、俺」
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