第6話 高校三年生、秋

 三年生というのは勉強ばかりしているものだと思っていた。受験生、勝負の年、そんな言葉ばかりが耳についていたせいかもしれない。

 だから俺は油断していた。

「八生くん、常盤ときわくんにこれ渡してくれない?」

 そう声をかけてきた顔を見て、どきりとする。そして何も考えられないまま差し出された便箋を受け取った。

「……別にいいけど。なにこれ」

「果たし状」

「まさか令和に存在するとは」

「時代は回るものよ」

 三年生で初めて同じクラスになった三澄みすみはいつものようにトーンの変わらない口調で言った。しかしその言葉とは裏腹に、手元の可愛らしい空色の便箋はどうにも決闘を申し込むようには見えない。

「決闘みたいなものでしょう?」

 まるで心を読んだかのように三澄は俺の疑問に答えをくれた。俺はそんなに疑わしい目をしてただろうか。

 しかしそんな些細な疑念は、続く言葉に吹き飛ばされた。

「告白って」

 がた、と音がした。俺が立ち上がった拍子に椅子の脚が床を鳴らした音だ。「目立つからやめて」と三澄は平坦な口調でたしなめる。

「え、いや、え?」

「そういうことだからお願いできる?」

「あ、まあ渡すくらいなら」

「ありがとう」

 それだけ言って、三澄は足早に教室から出て行った。

 聡い彼女のことだ。これ以上話していると計画が漏れてしまうとでも思ったのだろう。

 俺は手元に残された『果たし状』を見つめる。

 常盤くんへ、と読みやすい字で書かれているそれは、やはり決闘を申し込むようには見えなかった。


***


「あれ、今の三澄さん? え、もしかして……」

 三澄と入れ替わりのように入ってきた沙月は、俺の顔を見るなり何かを悟った顔をした。だがその悟りはおそらく間違いだ。

「三澄、明日決闘するらしい」

「え、なにそれ⁉」

「さっき三澄からその相手に渡してって頼まれたから」

「何を?」

「果たし状」

「令和にまだあったんだ」

 驚く沙月に共感しながらも「時代は回るもんだよ」と俺は言う。彼女は腑に落ちない顔をしていたが、なんとか飲み込んだようで「ふう」と息を吐いた。

「でもよかった。私てっきり八生くんの告白邪魔しちゃったかと思って」

 安堵の表情で胸をなで下ろす。しかし、彼女の勘違いに根拠がないわけではないことも知っていた。

 俺は以前それを沙月に話したことがあるからだ。

「だって八生くん、三澄さんのこと一年生の頃から好きだったじゃん」

 彼女の台詞に俺は何も言えなかった。

 そう、俺は昔から三澄のことが好きだった。それなのに何もできないまま、もう三年が経つ。

 そんな事実にようやく気付いて声が出なかった。

「……あれ、やっぱりフラれたの?」

「フラれてねえ」

「うそでしょ、ごめん」

「だからフラれてねえって」

「代わりに私が彼女になってあげようか?」

「ばーか」

 こちらを覗き込んでくる沙月に、フラれてない、ともう一度否定しようとして、まったく違う言葉が口から飛び出した。

「代わりなんかいないんだよ」

 自分の声が響いて聞こえた。そんな当たり前のことに、どうして俺は気付かなかったんだろう。

 だからこれは当然の結末だった。

 今の彼女には好きな人がいて、そしてそれは俺じゃない。

「……そうだよね」

 そこで沙月は苦笑に似た、けれど少し諦めの滲んだ不思議な表情を浮かべたことを覚えている。

 ただ、あのときの俺にその意味を尋ねられるほどの余裕はなかった。

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