第三話 残された正義
望外の退職金でしばらくは遊んで暮らせるようになった。ざっと……十年ほどか。毎日バーガーとコーラだけで済ませればそのくらいは生活できそうだった。
だがそのバーガーを満足に買うことも出来なくなった。金の問題じゃない。街が……どんどんおかしくなっていった。
ジョン・リークの裁判がそろそろ始まるらしく、運動家たちの抗議はさらに激化していた。どこから手に入れたのか銃火器で武装し街のあちこちで警官隊と衝突している。まるで反政府ゲリラだった。
近所のバーガーショップにも火炎瓶が投げ込まれ閉店してしまった。投げられたのは、フレグランス救済法の法制化に賛同しなかったからだという。
フレグランス救済法。それはフレグランスの所持、使用を合法のものとし、街の住民に政府がフレグランスを配給する制度の事だ。更にジョン・リークの偉大な行為を認め無罪放免することもセットになっている。中毒者の戯言……そう片付けるには大事になりすぎていた。まるで街は戦争状態だった。
俺は公園のベンチで餌を探すハトを眺めていた。着古したパーカーのフードをかぶり、ポケットに手を入れて背中を丸める。
別にハトが好きなわけじゃない。隣の家の火事でアパートの電気系統がやられたらしく、テレビが映らなくなったのだ。ネットも切れて何も見られない。しばらく黒い画面を睨んでいたが、発狂しそうだったのでこうして外で暇をつぶしているのだ。
「フレグランスを! 認めろ! フレグランスを! 認めろ!」
公園の向こうの道路で武装した集団が行進をしていた。子供までいる。本当にその子供までがフレグランス救済法に賛同しているのか? 確かめたい気持ちにもなったが、まさか聞けるわけもない。
後方でひそひそと話す声が聞こえた。フードのせいで後方が見えないが、聴覚だけでもある程度距離は認識できる。二十メートル後方。木の陰から俺を見て会話している。
LS。やっちまおう。でも俺達だけじゃ。俺達にだってできるさ。セーフティを解除する音。
俺の中で衝動が動き出す。怒りでも恐怖でもない。正義を執行する心。まるで冗談のようだが、俺達は真に平和を愛し正義を希求している。そのように調整されたのだ。そしてそれは解雇された今もそのままだった。
調整を解除することは不可能だった。不可逆的な措置で、俺達LSは死ぬまで使い潰される計画だった。しかしそれがリークのせいで頓挫し、今では野良犬のようにこの公園にいる。その辺のハトと変わりがない。
運動家たちに見つかれば格好の標的だった。リークの自由を奪い、この社会を救うフレグランスを否定する悪魔。風の噂では俺の元同僚も更に何人か襲撃を受けたらしい。安否は分からない。そして俺もまた、狙われているようだった。
フードを外し視界をクリアにする。後方にいるのは三人。ティーンのようだった。それが拳銃を持って、まるで好きな子に声をかけようとでも言うようにうじうじと木の陰に潜んでいる。
懐が寂しかった。ブラスターは返してしまったし、武装する理由もなかったから銃なんて持ってない。ナイフもない。切れ味の悪い百均の包丁が一本あるが、それも部屋に置いてある。今は丸腰だ。
ガキどもは誰が先陣を切るかでもめているようだった。銃も、いったいどこで手に入れたのやら。案外その辺で拾ったのかもしれない。民主主義を愛する子供たちが、悪魔を打倒しようと武器を手に取ったのだ。
俺はゆっくりと立ち上がりガキどもに近づいていく。そいつらは話すのに夢中で回りが見えていないようだった。少なくとも一人くらいは俺や周囲の警戒をさせるべきだろうが、そんなおつむがあるようでもなかった。
「俺に用か」
手の届きそうな距離まで近づき声をかけた。
「わっ……! お、お前……!」
心底たまげたらしくガキどもは間抜けな顔で驚いていた。だが自分たちの手にあるものが何なのかを思い出したらしく、そのうちの一人、ニット帽をかぶった奴が俺に銃を向けた。リボルバーだった。撃鉄は起きていない。
俺は手を伸ばし輪胴をつかんだ。ガキは咄嗟に引き金を引こうとしたが、輪胴が回らないので当然撃鉄も起きない。
「あれ?! くそっ! くそっ! 離せ!」
ニット帽のガキは慌てたように俺の手を振りほどこうとするが、俺はそいつの腹を蹴飛ばして銃を奪い取った。隣にいた別の二人は呆気にとられたようにその様子を見ていた。本当に、頭の悪いガキどもだった。こんな奴らが銃を持つなんておっかなくてしょうがない。
「帰れ。火遊びは終わりだ」
「何を……この悪魔め! 街がこんな風になったのはお前たちのせいだろ! めちゃくちゃになっちまった!」
「そ、そうだ! お前らLSがリークを捕まえたから、政府は街をこんな風にしたんだ!」
どういう意味だ? 俺は混乱した。俺とリークの話はいいとして、政府が街をこんな風に? どうやら色々な情報が錯綜しているようだ。それも運動家の作戦なのだろうか。頭の悪い奴はそれに先導されているのかもしれない。このガキどものように。
しかし、どうでもいい。
俺は拳銃の撃鉄を起こし、まだ倒れ込んだままのニット帽のガキに銃口を向けた。
「まだ遊び足りないか? 頭と腹に穴をあけられたくなかったらさっさと消えろ」
俺はガキどもを見ながら、向かいの通りの様子を見ていた。火の手が上がっている。あそこは確か……小さなドラッグストアだったはずだ。たまにソーダと鎮痛剤を買っていた。またなじみの店がなくなったようだ。
ガキどもはゆっくりと後ずさり、ニット帽の奴を引き起こして一緒に逃げていった。捨て台詞もなく、振り返りもしない。いい逃げっぷりだった。
「まったく、どうかしている」
拳銃を確認するとピカピカの弾丸が五発装填されていた。銃自体もきれいなものだ。まだ一発も撃っていないのかもしれない。
俺は拳銃を握ったまま向かいの通りに歩いていく。ハトは相変わらず地面をつついていたが、近づく俺を見ると足早に遠ざかっていった。しかし飛ぶことはせず、この公園の中をうろつくことを選んだようだった。
公園を抜けると、ドラッグストアが燃えている様子がよく見えた。店の前には商品が散らばり、ガラスも割られている。燃えているのは入り口付近だけで、どうやら火炎瓶によるものらしい。その火を囲みながら二十人ほどの無法者たちが笑っている。十代前半と思しき子供も二人いた。全員ハイな様子だった。フレグランスをキメているのだろう。男だけではなく、女も何人かいるようだった。
「助けて……誰か……」
嬌声と炎の燻る音に交じり、か細い声が聞こえた。目を凝らすと店内で誰かが椅子に括り付けられた。見覚えがある……ここの店主だ。六十歳くらいの女店主。顔の半分が青くはれ上がり、口や鼻からも血を流している。来ているセーターも血にまみれていた。
俺の中の衝動が強くなる。脳の内部で何かがうごめき、心臓の動きが速くなる。
これが民主主義か。これがフレグランスが救った世界か。結構なことだ。俺の頭に刻まれたどの法律をまたいでも、この状況を看過できる要素は見いだせなかった。
無法者たちは瓶を手に取り、それに火をつけた。それを店に投げ込もうとしているようだった。もしそうなれば店主は死ぬだろう。
相手は二十人。銃や凶器で武装している。いくら素人の集まりとは言え、俺一人では勝ち目は薄そうだった。
だが俺の手は動いた。銃で火炎瓶を打ち砕く。瓶はその場で燃え上がり二人ほどが炎に飲み込まれた。
「何だてめえ!」
「おい……LSだ!
「悪魔だ!」
「殺せ! 殺せ!」
そいつらは口々に叫んだ。そして銃を俺に向け、あるいは凶器を振りかざし俺に向かって走ってくる。
店の中の店主と目が合った……ような気がした。彼女は助けを必要としている。
俺は口角が上がっていくのを感じていた。なるほど。これが今の俺の存在意義か。この街はまだ、俺の、俺達LSの正義を必要としている。
暴徒と化した連中と共に、ガソリンと煙の臭いが風で流れてくる。その風に逆らい、暴力の源に近づいていく。血の臭いを嗅ぎつけた鮫のように。
俺はLSだ。法によらず、俺達の正義を執行する。それこそが法またぎってもんだ。
法またぎ 登美川ステファニイ @ulbak
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