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 文化祭が終わって元通りの生活が始まってしまうと、広瀬は大きな箱を用意して、棒人形や台本を大切そうにしまいこんだ。その様子をぼんやりと眺めながら、須川は口を開いた。


「なんだか、わかったような気がする」


「何が?」と広瀬が訊ねた。


「やってやったぜー、って、充足感」


「なにそれ?」


「佳代が言ったんでしょ? たいせつなのは、やってやったぜーって充足感だって」


「わたし、そんなこと言ったかなあ」


 部室に吹き込む風がカーテンをやさしく揺らした。吹く風は冷たくなりかけている。静かに季節が変わろうとしていた。


「たしかに、楽しかった」


 俺が正直な気持ちを口に出すと、女子ふたりがそろって意外そうな顔をした。


「なんで驚く?」


「だって、似合わないんだもん」


「失礼な奴ら」


 ふたりは、またそろってくすくす笑った。


 ふてくされて名越の方に視線をやると、彼は退屈そうに頬杖をついてぼんやりしていた。文化祭が終わってから、名越はぼんやりすることが増えた。鶴を千羽折ってしまって、人形劇を完成させて、それでやることがなくて、燃え尽きたみたいになっているらしい。

 それでもそのうち、また何かやりはじめるだろう。今は休憩時間みたいなものだ。そのときはまた、俺だって名越の思いつきに付き合って、何かやるかもしれない。


 広瀬は箱のなかに詰め込むべきものを詰め込んでしまうと、それを部室の隅の方に置いた。


 もう、それをここに置く理由がわからないとは思わない。

 それはここに置いておくべきものだ。


 真っ白のそっけない紙の箱を、広瀬は指先でやさしく撫でる。


 ふと思い出して、俺は口を開く。


「そういえばさ、須川」


「ん?」


「桐島、俺たちの劇、観たんだって」


「そうなの? なんて言ってた?」


「おもしろかった。してやられた、って言ってた」


 須川は意外そうな顔をしたあとに、心底嬉しそうに笑った。


 俺は椅子から立ち上がって、窓辺へと歩いていく。


 カーテンの向こうにからだを寄せると、空から差し込む日差しには、まだ少し夏の余韻が残っていて、それが肌にあたたかく広がっていくのを感じた。


 瞼を閉じると日の光が肌に透けて、視界が柔らかで曖昧な赤みに覆われた。

 日はやがて短くなっていくだろう。木々はやがて衣替えを始めるだろう。そしてもうすぐ、一年が経つ。


 そう思うと悲しい。今でもときどき、自分を責めてしまう。悲しくて仕方ないときがある。


 でも今この瞬間は、それがなんでもないことかのように、ごく自然に思い出せる。


 彼女が言っていた言葉、彼女が見せた表情、彼女と一緒にいた場所、言えなかった言葉。


 日差しがあたたかで心地いい。猫のひなたぼっこみたいだ。

 そう思ってから、それが彼女の言葉だったと思い出した。



 ――猫のひなたぼっこみたいに、穏やかに生きられたら、それがいちばんだよね。



 彼女のその言葉が、塵や光や胞子のような、小さな小さな粒になって、いつまでもずっと空気の中を漂っているような、そんな錯覚を、俺は抱いた。

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