第13話 フランシール最後の一日
今日は、記念すべきデビュタントの日。そして、私が憑依できる最後の日でもある。
この三カ月間、マーサとして暮らした日常はとても充実したものだった。生きていた時に味わえなかった充実感。それを思うと、ちょっぴり切なくて悔しくてやるせない。
だけど、それは終わってしまったことなので胸の奥深くに沈めて、今日という日を迎えられたことを幸せに思う。
私は、エリアスの到着を待ちながらこの三カ月間のことを振り返っていた。
マーサに憑依した初日に、エリアスにフランシールの名前で手紙を送った。正直、これは一種の賭けだった。
この手紙に食いついてくれなければ、きっともっと大変だったと思う。でも、神様への祈りが通じたのか割と早い段階で返事が戻ってきた。
エリアスは、手紙の信憑性を確認する為にブルックス家の内情を調べていた。そんな手間をかけたことも、エリアスを信頼できる要素だった。
調べた結果、エレーヌのことが心配だと手紙に記されていた。
一度、手紙のやり取りをしてしまってからは話がとても速かった。手紙の文面から、エリアスがエレーヌに好意を寄せていることを読み取った。
後は、エレーヌの気持ちを確かめればきっとうまくいくと期待を胸に抱いた。
ジョルジュとアンジェリカをうまく言いくるめた後は、順調にデビュタントの準備を進められた。
エレーヌに似合う最高級のドレスを見た時には、感極まって目に涙が滲んだ。でもマーサである私が、泣くのなんておかしいから必死に誤魔化したけれど……。
エレーヌに完成したドレスを試着させた時には、一番注目を浴びるはずだと確信した。それくらい、成人したての少女特有の可憐さと、淑女としての淑やかさを兼ね備えた女の子だった。
エレーヌの試着した姿を見たドレスショップの従業員も、屋敷の使用人たちもみな目を奪われていた。
そしてその頃には、エスコート役の件も無事に双方の気持ちを確認できた。大丈夫だと思ってはいたが、二人が両想いだと確認できたことは心の底からホッとした。
私は、デビュタントまでに婚約させたかったので二人を事前に会わせた。母親の想いを代弁する身としては、婚約者としてデビュタントのエスコトート役を引き受けて欲しいとエリアスに伝えた。
すると、自分もそのつもりだったと返信がきて私の心が躍った。生きていた時には、良い事があまりなかった私だけど、きっとこの時の為に運を貯めておいたのかも知れないと思えた。
そんな風に考えたら、自然と笑みが零れていた。
二人を事前に再会させると、エリアスがプロポーズを成功させた。私は、最後の仕上げにジョルジュに二人を婚約させるように助言をした。
何も知らないジョルジュは、マーサを信じて婚約の書類を揃えて二人を正式に婚約させた。この時に、エリアスがどんな男性なのかジョルジュがきちんと調べたら、もしかしたらこんなに都合よく婚約させなかったかもしれない。
だって、ジョルジュよりも優秀な人材が婿として入ってきたら彼なんて要らなくなってしまう。マーサが、そんな過ちをするなんて思わなかったのだろう。二人して、このブルックス家をいいようにしていたのだから。
何もかもが、うまくいっているようだった。でも一つだけ、中々前に進まなかったのがジョルジュとアンジェリカの再婚だった。
私がいくらいってもジョルジュは、アンジェリカとの再婚には首を縦に振らなかった。だから、アンジェリカは焦っていた。妻の一周忌が終わっても、いつまで経っても再婚してくれないジョルジュに。
私は、ジョルジュに詰め寄るシーンを何度も見た。ずっと愛人として日陰の身で生きてきたアンジェリカにとって、堂々と妻ですと公にすることは夢だったのだろう。
私も、この屋敷からこの二人を追い出す為にはどうしても再婚させる必要があった。正攻法でいって駄目なら、裏の手を使うしかなかった。
どうしたらジョルジュに、婚姻証明書を書かせられるか私はずっと考えていた。ある日、お酒を飲んでいい気分になっているジョルジュを見て閃いてしまったのだ。お酒の力を借りてしまおうと。
私は早速、アンジェリカに提案を持ちかけた。早く再婚する為の作戦を思いついたと。無理やりではなく、本人の許可もとれる良い作戦だとアンジェリカも気に入ってくれた。
そして私の思惑通り、ジョルジュは書類にサインをした。私は興奮を胸に抱きながら、次の日に教会にその書類を提出した。書類は、無事処理された。
この国の法律では、妻が亡くなって再婚をすると自動的に妻が籍から抜けることになる。婿に入っていた場合は、男性は旧姓に戻る。ようするに、ジョルジュはブルックス家とは何の関係もなくなってしまったのだ。
ブルックス家に名が残っているのは、エレーヌだけとなる。本来なら、娘の実の父親なのだから再婚したからと言って縁が切れることはほぼない。
だけど私は、ジョルジュをブルックス家と縁を切らせるつもりだった。
私は、マーサの私財を使ってブルックス家の領地に小さな家を買った。この家を出されたジョルジュがどこにも行く当てがないのなら、そこに住めばいいと思ったから。
もちろん、アンジェリカとプリシラも一緒にだ。マーサがいれば、何とか生活には困らないだろう。
ジョルジュは、元は男爵家の三男。実家の家は長男が後を継いでいる。そこに帰らせて貰えるなら、それが一番だと思うが多分無理だろう。
実家よりも格が高いブルックス家に婿に入って、自分の兄を馬鹿にしていたから。きっと帰らせては貰えないだろうと私は思う。
私は、エレーヌの父親のことをエリアス宛に手紙に書いて送った。私が二人の為に動けるのは、デビュタントまで。その後は、エリアスがエレーヌを守って欲しいと記す。
エレーヌの為に、自分で事業を起こして軌道に乗せたあなたならきっと大丈夫。二人で、フランシールのブルックス家を引継いでいってと締め括った。
玄関の呼び鈴が鳴る。きっとエリアスが、エレーヌを迎えにきたのだと私は思った。だから私は玄関に向かった。
玄関に着くと執事が、すでにエリアスを迎え入れていた。私は、この時に成人して立派になったエリアスを初めて見た。
優しい印象はそのままに、頼りがいがありそうな自信に満ち溢れた青年だった。自然と私は口が綻び、微笑んでいた。
「ちょっと! もしかしてこの男性が、エレーヌのエスコート役なの?」
玄関のすぐ目の前にある階段から、プリシラが品の無い仕草で降りて来た。その場にいた皆が、固まる。
初対面の男性に向かって言う言葉ではない。
「ねえ、マーサ、何で何も言わないのよ。私の方が、この方の婚約者に似合うと思う。エレーヌじゃ、地味過ぎるわよ」
プリシラが、騒ぎだして皆が動揺していたからか、ジョルジュもアンジェリカもエリーヌも玄関に出て来た。
「なんだ、騒々しい。エリアス殿が来たのかい?」
ジョルジュが、一階の廊下を歩きながらこちらに向かって声をかけた。
「お父様、私がこの方の婚約者になりたい。エレーヌにはもったいないわ」
プリシラが、大声で失礼な事を言っている。屋敷の使用人は、みな引いていた。
「何を言っている、今更そんなことは無理だろう」
ジョルジュが、プリシラを窘める。ジョルジュの後ろから歩いてきた、アンジェリカがエリアスを見ていた。
「あら、あなた。私もエレーヌにはもったいないと思うのだけれど?」
アンジェリカも、プリシラと同じようなことを言っている。私は、この光景を見ながら頭が痛くなる。私に残っている時間はあとわずかなのに。
「エレーヌ、とても可愛いね。迎えに来たよ」
今までの掛け合いがなかったかのように、エリアスがその場の雰囲気をぶった切った。プリシラの後から、支度を終えたエレーヌがゆっくりと階段を下りてきたのだ。
その姿は、息を飲むほど可憐で目を見張るものがあった。エレーヌは、取り乱すことなくゆっくりとエリアスの元に歩いてきた。
「エリアスお兄様、今日はよろしくお願いします」
頬を赤く染めて、エレーヌがエリアスに話しかける。二人には、お互いしか見えていないようだった。
「ちょっと、私のこと無視するのやめてくれる? この屋敷の正当な娘なのよ?」
プリシラが面白くなさそうに、声を張り上げた。エリアスもエレーヌも、プリシラが言っている意味がわからないようだ。
「ブルックス家の娘は、エレーヌだけだと思うが?」
エリアスが、エレーヌを自分に引き寄せて守るように疑惑の目をプリシラに向けた。
「ふふふ。遂にお父様とお母様が結婚したのだもの。ってことは、私はこの屋敷の娘だし、お母様はこの屋敷の女主人なのよ」
誇らしそうにプリシラが言ってのける。
「それが本当だったら、余計にこの家にいるべき三人じゃないと思うが?」
エリアスが、意味が分からないと言ったように呟く。
「は? 何を言っているんだ? 再婚なんてしてないだろう?」
ジョルジュが驚いたように声を上げた。
「嫌だ。あなたったら覚えてないの? この前、婚姻証明書にサインしてマーサに提出してもらうように頼んでたじゃない」
アンジェリアカが、恥ずかしそうに頬を染めてジョルジュにしなだれかかっている。
「冗談じゃない! そんな馬鹿なことする訳ないじゃないか!」
ジョルジュが怒って、アンジェリカの腕を振り払う。私は、この事態は長くなると思い先にエリアスとエレーヌを出掛けさせようと動いた。
「エレーヌお嬢様、エリアス様、デビュタントに遅れてしまいます。先に向かって下さい」
私は、二人に向かって小声でしゃべりかける。
「マーサ、でも……」
エレーヌが戸惑いの表情を向ける。
「エレーヌ、私が助けられるのはここまでです。明日からは、貴方のいいようにこの屋敷を取り仕切りなさい。エリアス様と二人で幸せになるのよ」
私は、エレーヌに母親としての言葉を最後に送る。
「エリアス様、あとの事はどうかよろしくお願いします。明日以降は、私のことはお忘れ下さい。どうか、末永く幸せに笑顔の絶えないブルックス家にして下さい」
私は、二人に一礼すると玄関の扉を開けて二人を外に出す。
「マーサ、ありがとう」
エレーヌが、笑顔で私にお礼を言った。
「マーサ、安心して下さい。俺が、エレーヌもブルックス家も守っていきます」
エリアスも、私に一礼すると馬車へと足を進める。エレーヌは、名残惜しそうにいつまでも後ろを振り返りながら馬車に乗って行ってしまった。
その姿を見て私は、とても晴れやかだった。できれば、王宮のホールで踊る二人を見たかった。だけどドレス姿を見られただけで充分だ。私は、二人の姿を目に焼き付ける。
馬車が見えなくなるまで、私は玄関に立って見送った。そして、エレーヌへの未練を断ち切って玄関の中へと戻る。
最後の、仕上げが待っている。
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