第5話 憑依生活が始まる

 私が憑依したのは、ジョルジュの専属侍女マーサ。ジョルジュが結婚するときに、自分の生家から連れて来た侍女だった。

 マーサは、ジョルジュの子供の頃からの侍女で彼のことなら何でも知っていた。

 私が一番初めに顔を合わせた時など、母親かと思う程だった。「私の坊ちゃんを、よろしくお願いいたします」と言われた記憶は鮮明に残っている。

 世間知らずだった私は、男性の専属侍女ってこんな感じなのねと深く考える事もせずに受け入れてしまった。


 今思うと、ジョルジュに対する執着が侍女の範疇を超えていた。ジョルジュの妻であるはずの私の仕事を、横から奪い取っていかれた。

 私だって結婚したばかりの頃は、まだ若くて少しは動けていた。だから夫が出掛ける時は、玄関に見送りに出たし帰って来たら出迎えていた。夫の服を選んだり、誕生日プレゼントを選んだり妻として当たり前のことをしているつもりだった。

 ジョルジュから煙たがられているのは分かっていた。だけど、折角結婚したのだから妻として私なりに、楽しんでいた時期だってあったのだ。

 それなのに、少し体調を崩して寝込んだり、ジョルジュの前で咳をしたりすると必ずと言っていい程マーサが私のところに来る。そして表面上は、私の体調を心配するような発言をして、妻としての仕事を失くしていった。


「奥様、体が弱いのにわざわざ玄関に出迎える必要はありません。私がしっかりと見送りも出迎えもいたします」


 そう言われるたびに、私はどんどん自信を失くしていった。ただでさえ、夫に迷惑をかけないように生きていこうと思っていたから……。マーサを前に何も言えなかった。

 本当だったら、夫の妻として、ブルックス家の当主として、一介の侍女如きに遠慮する必要なんて全くなかったのだ。だけど、私のすぐに諦めてしまう性格がそうしてしまった。


 だから私は、マーサに憑依することにしたのだ。マーサの言うことなら、絶対に耳を傾ける。ジョルジュを上手く操るなら、マーサしかいないと思ったから。


 私は、まず時間を確認した。朝の8時だった。ジョルジュは、これからどこかに行くところだった。


「旦那様、これからどこかにお出掛けですか?」


 私は、躊躇なくジョルジュに尋ねた。私には、時間がないのだ。一分でも無駄になんてできない。三カ月で、娘のエレーヌを幸せにしなければならないのだから。


「おい、マーサ。さっきからどうしたんだ? 旦那様なんて、僕がいくら言っても呼ばなかったじゃないか。それに、今日はあいつの命日だろ。やっと一年たったんだ。今日はお祝いだって言っていたじゃないか」


 ジョルジュが、とんでもないことを口にする。私は、ジョルジュの言ったことを理解した。

 そうか、今日は丁度私が亡くなった日なんだ。それにしたって、お祝いって何なのよ! 失礼しちゃうわ。

 そしてマーサの口癖を思い出した。何かって言うと、「私の坊ちゃまは」と言っていたことを。


「坊ちゃま、そうでしたね。ちょっと考え事があって、ボケっとしてしまいました。申し訳ありません」


 私は、ジョルジュに頭を下げる。


「おいおい何だが今日は、マーサらしくないぞ。本当に大丈夫なのか? たまには休んだっていいんだぞ?」


 ジョルジュが心配そうに、私を見ている。こんなに優しく話すジョルジュを、初めて見た気がする。

 残念ながら、私に向けている優しさじゃないところが虚しいけれど……。


「大丈夫です。坊ちゃま、遅れてしまいます。さあ、出掛けて下さい」


 私は、面倒臭くなってジョルジュを部屋から追い出す。そして、これからどうしていこうかと、暫くジョルジュの部屋で考えを巡らせていた。


 考えを纏めると、よしと気合いを入れた。

 私は、自分の体をまじまじと見つめる。力が有り余っている。マーサは、生前の私の年よりも上で既に40を超えている。

 だけど、生前の自分の体とは比べ物にならない程健康だった。倦怠感が全くない。この体ならいくらでも動けると思った。


 そして私は、エレーヌの様子を見に行くことにした。

 ジョルジュの部屋を出て、いつもの癖で私はエレーヌの部屋に向かってしまう。ドキドキしながら扉をノックした。そして、返事も待たずに扉を開けた。

 部屋の中には、驚いた顔の見知らぬ令嬢がソファーに座っていた。その子の顔を見た瞬間に、私は思い出す。

 そうだった、エレーヌの部屋は今は愛人の子供が使っているんだった……。ってことは、この子が愛人の子供なのね……。


 私は、折角だからとその子をまじまじと見てしまう。どことなく旦那に似ているかも知れない。それに可愛い。だけれども、残念ながら品の良さが窺えない。恐らく母親は、それ程身分の高い家の出ではないのだろう。

 この子が、高貴な家柄のブルックス家の付き合いができるとは思わなかった。私も人のことが言えるほど、付き合いをした訳ではないけれど……。

 でも育ちだけは良かったので、貴族のマナーや高級な物を見る目だけは養われていた。


「マーサ? どうしたの? 私の部屋に来るなんて珍しくない?」


 令嬢が、私に話しかけて来る。


「申し訳ありません、お嬢様。部屋を間違えました」


 私は、ペコリと頭を下げて扉を閉めた。間違えて来てしまったけど、結果的に愛人の娘を見ることができたから良しとしよう。

 あの様子だと、マーサのことは悪くは思っていないはず。私は、次こそはとエレーヌがいるだろう部屋に向かった。


 私は、使用人部屋に向かいながらちょっと待てよと考え直す。この時間なら、もしかしたらどこかで掃除でもやらされているかも知れない。

 普通の令嬢なら、あの子みたいに自分の部屋でゆっくりしているものだけど……。天界で見ていた時のことを思い出す。エレーヌは、いつもこき使われていた。

 使用人たちは、エレーヌに遠慮していたがそれをアンジェリカが許さなかった。アンジェリカが、ジョルジュに言いつけてエレーヌを使用人として接するように屋敷の者に命令させた。

 使用人たちは、ジョルジュの命令に逆らうことなんてできなかった。


 私は、まずキッチンに行こうと行先を変えた。


 方向を転換してキッチンに向かう。キッチンは、一階の一番奥にある。キッチンなんて、生前は殆ど入ったことがなかったから場所が曖昧だった。

 確かこっちよね? と思いながら廊下を進む。キッチンだと思われる扉を開けた。


 コックをはじめとする数人が、忙しなく朝食の片付けをしているところだった。私は思いきって、大きな声で呼びかける。


「あの、エレーヌお嬢様がどこにいるか知りませんか?」


 扉の一番近くで働いていた、若い男性が返事をしてくれた。


「エレーヌお嬢様なら、今日は旦那様とお墓参りに行ったよ」


 それを聞いて私は、そうかと思う。今日は、私の命日だもの。流石に今日くらいは、父親に連れて行って貰ったのか。

 私は、腕組みをしてどうしよう? と考える。まずは、エレーヌに会って安心したかったのに……。それに聞きたいこともあったのだ。


 キッチンの扉の前で、ぼうっと考えていた私に声がかかる。


「おいマーサ。そんな所でいつまでも突っ立ってるなよ。作業の邪魔だし、自分の仕事はどうしたんだよ?」


 私は、ハッとして頭を下げる。


「ごめんなさい。お邪魔しました」


 私は、急いでキッチンから出て今度は自分の部屋に向かった。確か、私の部屋は愛人がそのまま使っているはず。

 折角だから、ジョルジュがいない隙に愛人にも会って確認しておこう。


 私は、ジョルジュと結婚してからずっと使っていた自室に向かった。部屋の前について、トントンとノックをする。


「はい」


 中から返事がしたので、躊躇なくドアを開けた。私は、ドアを開けてびっくりしてしまう。部屋の内装が、私が使っていた時と全く異なっていたから。

 何この、ド派手な壁紙は? 私は、落ち着いたシンプルな内装にしていたのに180度違う趣味に引いてしまう。

 赤いバラの壁紙で、カーテンも赤で寝具などのリネンも薔薇の模様だった。


 こんな派手な部屋でくつろげるのかしら? 私は、愛人そっちのけでじろじろと部屋を見てしまった。


「マーサなの? 何か用?」


 ソファーに座ってお茶を飲んでいた女性が、私を見て面倒臭そうな顔をしている。私は、初めて目にする愛人をまじまじと観察した。

 これが、ジョルジュの愛人……。私とは正反対の生命力に溢れた女性だった。金髪でロングウェーブ。体は、凹凸がはっきりしていて触ると柔らかそう。眼力が強くて、とてもハッキリしたメイクをしていた。


「ねぇ、ジロジロ見てなんなのよ?」


 愛人が、嫌悪感をさらけ出して私を見ている。


「申し訳ありません。確認をしたいと思いまして……」


 私は、愛人の呼び方が分からなかったので何て呼ぶべきか迷う。奥様では無いわよね?


「なんなのよ?」


 愛人が、イライラしていた。気の短い女性だなと呆れてしまう。だから私は、直球で聞くことにした。


「奥様が亡くなってから今日で一年です。奥様の喪が明けます。どうなさるおつもりですか?」


 この答え次第で、私のこれからの三ヶ月の方向性が決まる。愛人の答えを、ドキドキしながら待った。


「もちろん、私とジョルジュは結婚するわよ。この日を待っていたんだから!」


 とても嬉しそうに愛人が、歓喜の笑顔を浮かべながら答えた。そして、私はさらに質問をぶつける。これが一番大切な事だと胸の中で呟いて。


「エレーヌお嬢様のことは、どうするおつもりで?」


 愛人の顔が歪む。嫌なことを聞いたような顔だった。


「あんな子知らないわよ。一生、この家の使用人でいいんじゃないの? これからは、私の可愛いプリシラがブルックス家のお嬢様なのよ。ずっと待っていたんだから」


 この答えを聞いて、私の方向性が決まった。ジョルジュが言ったことなのかもしれないから、愛人だけのせいにはできない。だけど、この女性は調子に乗って勘違いし過ぎている。


 ブルックス家の正当なる跡継ぎは、エレーヌだけなのだ。


「わかりました。貴方様の考えが聞けて良かったです。では、失礼致します」


 私の用事は終わった。さぁー、三ヶ月で全ての準備を終えましょう。

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