第4話 神様へのお願い
私は、それからもずっとエレーヌの事が心配で湖を覗いていた。エレーヌの様子を見ていると、段々と今まで感じたことがない怒りが沸いてくる。
生きている間、私はジョルジュに対してとても寛大な妻だったと思う。
ブルックス家の正当な当主は、私だった。だけど、当主としての仕事ができる訳でも、女主人としての仕事ができる訳でもなかった。
その為ジョルジュが、当主代行としてずっとブルックス家のことを取り仕切ってくれていた。女主人の仕事は、それ専用の女性を雇ってもいた。
ジョルジュに任せきりにしていた私は、何も口出しせずに好きなようにやらせていた。昔からいる執事に、お金を使い込み過ぎている気がしますと注意を受けても聞き流していた。私なんかを娶ってくれたからと、ずっと負い目を感じていたから。
でも、死んでからジョルジュの行いを客観的に見させられると、疑問に思うことが沢山ある。確かに我慢をさせて私と結婚したけれど、ジョルジュはそれ相応の対価は得ていた。
男爵家の三男で、本来だったら自分で何かをして生計を立てなければいけない身の上のはずだった。
私と結婚したからこそ、名のある伯爵家の当主として自分の好きなようにお金を使えた。
しかも愛人を抱え込み、子供まで作っていた。
私に対して誠実でいて欲しいなんておこがましいことは言わない。だけど、娘にだけは誠実であって欲しかった。蔑ろにして欲しくなかった。
娘さえ大切にしてくれたなら、ブルックス家のことも、愛人のことも、子供のことも、目をつぶっていたと思う。
だけど、ジョルジュは私の唯一の宝であるエレーヌを傷つけた。こんな光景を見させられて、黙っているなんてできない。私は、一つの決意を胸に抱いた。
いつものように湖を覗いている時だった。突然、ポンッと音がしたかと思うとイェルハイドが現れた。
「フランシーヌ・ブルックス様、魂の休憩が終了いたしました。神様の所に向かいましょう」
私は、また突然のことで驚き目を見開いた。
この方っていつも突然なのね……。でも、漸くだわ。神様が私の言うことを聞いてくれるかわからないけど、でも言わなければ始まらない。
「わかりました。お願いします」
私は、イェルハイドが差し出した手を見る。きっとこの手を掴むと、またどこかに飛ばされるのだろうと思った。
私は、心の準備をしてからゆっくりとイェルハイドの手を掴んだ。
目を開けると、やはり見知らぬ場所だった。足元は同じように白い煙が漂っている。私が今いる場所よりも少し先に、大きな木がポツンと立っているのが見えた。
地面がないのに何で木が立っているんだろう? 木の根元を見ると、誰かが立っていた。
「あちらの方が神様です。フランシーヌ・ブルックス様、では新たな生へいってらっしゃい」
イェルハイドが、神様の方に手を向けて私を促す。私は、一つ頷いて神様の方に足を進めた。
神様は、私が来るのを待っていてくれた。神様のもとに辿り着くと声を掛けてきた。
「フランシーヌ・ブルックスだな。今世は、だいぶ大変な生だった。ゆっくり休めたか?」
神様が、私を労ってくれる。私は、神様をまじまじと見つめた。とても長い髪を、サイドに一つで編んでいた。紐を腰で結び、一枚の裾の長い衣を胸元で合せて着ていた。とても綺麗な顔だった。
「神様にお願いがあります」
私は、神様からの質問に答えることなく自分の要望を口にする。
「ん? 残念ながら私にも、次の生がどうなるかはわからないぞ?」
神様は、きっと私が次の生こそは、健康で幸せな人生を送りたいと願っているのだと思った。
「違います。私は、生まれ変わりたくありません。どうか、もう一度私のままで現世に戻らせて下さい」
私がそう言うと、神様は驚いたような顔をした。
「あんなに大変だったのに、戻ってどうするんだ? それにもう、体は完全に亡くなってしまったから、今更それは無理だよ」
私は、それでも諦めきれない。
「私の体でなくて結構です。だれか他の人の体に憑依したいのです。長い間でなくて構いません。どうかお願いします」
私は、必死になって神様に頭を下げた。神様は、考え込んでいる。
「湖で何か見たのか? できなくはないが、もう二度と生まれ変わる事はできないよ? それに、憑依のタイムリミットがきたら君の魂は完全に消失する。 それでもいいの?」
私は、躊躇うこと無くはっきりと返事をした。
「はい。構いません」
神様が、やれやれと言わんばかりに呆れている。
「だいたい想像はつくけど、みんな自分の魂を消失させてまで戻りたいと言う人はいないよ?」
私は、神様の目をしっかりと見つめて言葉にした。
「私は、きっと生まれ変わっても後悔します。その後悔は、魂に刻み込まれてきっと永遠に幸せになんてなれません」
神様も目を逸らすことなく、私の思いを受け止めてくれた。
「そこまで意思が固いなら仕方ない。憑依できるのは、最高でも三ヶ月だよ。憑依する体の魂は、精神の奥底に眠らせて君の魂を入れる。時間が来た時に、君の魂はそのまま消えて無くなるからね」
私は、良かったと喜ぶ。三カ月、思ったよりも期間が長くて嬉しかった。三カ月もあれば、絶対に何とかしてみせる。
私は、拳を握りしめて決意を新たにした。
「で、誰の体に憑依したいの?」
神様が、当然だろう質問をした。私は、ずっと考えていた人の名前を口にする。
「マーサ・アーレントでお願いします」
神様が、にやりと意味深長な笑いを浮かべた。
「なるほど。なかなかいい人選だと思う。じゃー、君に会うのはこれで最後だ。残りの三カ月、精一杯生きなさい」
神様はそう言うと、私の頭に手を翳した――――。
次に目を開けた時には、見知った顔の男性にジャケットを掛けてあげているところだった。
私は、一瞬何が起こったのか訳が分からずに手が止まってしまう。暫く動かなかった私に、痺れを切らした男が言った。
「おい、マーサどうした? 手が止まっているぞ?」
ハッと我に返った私は、手を動かしてジャケットを男にかけた。その男とは、紛れもない私の結婚相手だったジョルジュ・ブルックスだった。
私は、ジョルジュにジャケットを掛けると部屋の隅に移動した。まさか、こんな日常の最中に憑依させるなんて神様はなかなか意地悪だ。
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