第3話 後悔が押し寄せる
「ここが天界?」
私は、ポツリと言葉を呟く。見渡す限り白い雲が広がっていた。ポツポツと自分のような実体を持たない人がいるのが見える。
「そうです。ここで一年程、魂の休息を行います。現世での疲れを癒したら、また新たに生まれ変わってもらいます。では、好きな事をして過ごして下さい」
そう言うと、イェルハイドはポンッと消えた。
私は、呆然としてしまう。突然、天界に連れてこられて魂の休息って言われても……。何をすればいいの? ポツンと一人、取り残されて途方に暮れた。
ぼんやりしていた私は、ふと自分の体の変化に気づく。手を見ると、細くて骸骨のような手が綺麗な女性の手になっていた。
服装も地味で暗いものではなくて、真っ白い綺麗なワンピースを着ている。髪に触れてみると、白髪に近かった薄い髪が、艶やかな金髪に変貌していた。
何か鏡のようなものはないかしら? そう思って周りをキョロキョロと見回した。
少し行った所に、小さな湖のような場所がある。そこに向かって歩き出す。足元には地面は無く、白い煙のようなものが漂っていた。
自分も実体がある訳ではないから、はたから見ると空中に漂っているようだろう。
湖に着き底を覗くと、若々しい女性の顔が映っていた。自分の顔に手を当ててみる。どうやら、湖に映っているのは私の顔のようだった。
「これって、私なの? もしかして、健康体だったらこんな女性だったってこと?」
自分でも驚くような美人だった。健康でさえいたら、違った人生だっただろうなと何だか無性に切なくなった。
そして私は、その場所で魂の休息をした。雲の上をフワフワと移動したり、他の亡き人にここでの過ごし方を聞いたりした。
それで知ったのだが、あちこちに点在している小さな湖に下界の様子が映るのだそう。試しに、私も娘の様子を見てみることにした。
「エレーヌの様子を見せて」
私は、湖の縁にしゃがんで水面を覗き込む。ポワンと一瞬淡く光ったかと思ったら、水面にエレーヌの様子が映し出された。
私は嬉しくなって、まじまじと見る。そしてとても驚く光景を目にした。
いつも美しく着飾って手入れのされた娘だったはずが、平民のような恰好をしてどこか寂しそうに屋敷の掃除をしていた。
え? 何でエレーヌが掃除なんてやっているの? しかも、どうしてあんなみすぼらしい格好なのかしら? 私は自分が見ている光景が信じられない。
私が亡くなってから、どれくらい経過しているのだろう? ここは、時間の感覚が全くないからわからない。
私は、エレーヌから目が離せなくなって、それからずっと湖の水面を長いこと覗き込んでいた。
どれくらい見ていたのか、自分では分からない。ただ一度、湖から顔を上げてその場から離れた。
自分が知った情報量の多さに、頭が付いてこない。私は、雲の上をあてどもなくフワフワとさまよい続けた。ずっと、湖でみたことを考えていた。
娘のエレーヌは、ジョルジュとその愛人によって日陰の身に追いやられていた。
私の屋敷だったはずのブルックス家は、愛人の天下となりジョルジュと愛人との間に生まれた娘が我が物顔で生活していた。
私が生きている時にも、ジョルジュに愛人がいることは知っていた。エレーヌ以外の子供もいるのだろうと思ってもいた。
でも私が、ジョルジュの望む女性じゃないとわかっていたから目をつぶった。そうして私自身を諦めて、仕方ないと見て見ぬ振りをした。
ジョルジュも私が生きていた時は、常識の範囲内で目立つ事はしていなかったから。
だから、私が死んでからもそれは変わらないだろうと思っていたのだ。
愛人や愛人の子供を、屋敷に招き入れる事はあるかも知れないとも思っていた。でも今まで、散々我慢させてしまったから私が死んだ後くらいは好きに生きたらいいと思っていた。
まさか、ブルックス家の正当な後継者であるエレーヌを蔑むなんて思ってもいなかった。目に見えてエレーヌを可愛がる父親ではなかった。でも、エレーヌはジョルジュの実の娘に変わりはない。どうして、あんな扱いができるの……。
エレーヌは、ブルックス家の屋敷で下働きのような事をさせられていた。しかもエレーヌの部屋は、愛人の娘の部屋になっている。エレーヌは、下働きと同じ屋根裏部屋に移動させられていた。
エレーヌの物全てを取り上げられ、誰に貰ったのか繕いだらけのヨレヨレのワンピースを着て働いていた。
綺麗だった手は荒れてあかぎれだらけになり、金髪でウェーブかかった美しかった髪は、パサパサで纏まりのないものに変わっていた。
「ああ、エレーヌ」
私は、顔を覆って声を出して泣いた。私が母親として至らなったばっかりに、何もしてこなかったばっかりに全て私の所為だ。
できるだけジョルジュに、迷惑にならないように生きてきたつもりだった。だから、娘の事くらいはきちんとしてくれると思っていた。そんな保証どこにもなかったのに……。今思うと、自分のことを諦めて卑屈になり過ぎていた。
母親として、エレーヌのためにしてこなければいけない事は沢山あったのだ。
どうして、優しさの欠片も向けてくれなかったジョルジュを、信じてしまったのだろう。
全部、全部、私の所為だ。
私は、生きていた頃に味わわなかった後悔に泣いた。
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