帛屋紡衣彩光が末弟子のみつきと申す

 空染師そらぞめしとして仕事を果たしたみつきは、片付けを請け負ってくれる兄姉弟子達に甘えてお尻を地面に付けて怠い体を休めていた。

 そこに不規則な蹄を鳴らして一頭の馬が乗り込んで来る。その背で手綱を握るのは彩光あやみつだった。

「いや、どんだけ速いんですか。息切れしてる馬が可哀想でならないんだけど」

「みつきちゃんに少しでも早く会いたかったのね。あれ、彩空で一番速い馬でしょ」

 土煙を上げてやって来た彩光を見付けて、彩雲あやくも織彩おりあやが片付けの手を止めて呆れていた。彩緋あやあけがこれ見よがしに溜め息を吐いているのは親方の振る舞いと弟妹弟子が手を止めたのとどちらへの非難だろうか。

「うっせぇ!」

 彩光は弟子に向けて怒鳴りつつも、馬から降りると同時にみつきの方へ近づいて来た。

 みつきは上手く力が入らなくて傾ぐ足でなんとか立ち上がり、彩光の顔を見上げて疲れた笑顔を作る。

「どうですか、とってもいい出来でしたよね」

「おう、よくやった。ちゃんと仕事果たしたな」

 彩光はみつきの頭を雑に撫でて髪を乱した。

 でもみつきは猫のように目を細めて、今にも喉を鳴らしそうだ。

「帰ったらまみぼしを買ってやる」

「ほんとに! やったー!」

 みつきは大好きな砂糖菓子を貰えると聞いて、疲れも吹っ飛び諸手を上げて喜ぶ。

 そんな態度に彩光は胸の内で、やっぱまだまだ娘っ子だな、と笑みを浮かべた。

「じゃ、帰るか」

「え、またすぐに走らせたらあの子可哀想ですよ」

 彩光はみつきの背に手を回しまだ息を切らせて汗で足元に黒い影を作る馬へと促すが、みつきはそんな馬を気遣い足を踏み締めて抵抗する。

 そんな事をしている所にやって来る人の足音を聞き付けて、彩光はみつきを背に隠して彩雲の方へと押しやった。

 仕事終わりの帛屋きぬや一門の元へ訪れた門次かどつぐに彩光は足を踏み出して対応を引き受けた。

「おう。仕事は全て果たしたぜ。つっても、どっちも貴方から受けた仕事じゃねぇけどな」

「いえいえ。皆様のお陰で、晴れて姫を送り出す事が出来ます。輿入れも半月の後と決まりました。娘と婿殿の分も感謝申し上げる」

 二人は気さくに言葉を交わし、門次は恭しく腰を折って頭を下げた。

「一国の主が職人にそう易々と頭を下げるもんじゃないだろうが」

「それだけの恩がありますとも」

 彩光は苦笑して話を途切れさせた。

 門次は弱ったように笑い、しかし真剣な眼差しで彩光がその体が遮っている向こうを見詰める。

 彩光は納まりが悪そうに身をずらし、しかしそれは門次の視界を更に狭めた。

「彩光殿」

「お、おう」

 門次の呼び掛けに、彩光は後ろを意識して気も漫ろに返事をする。

「儂は厄災に捉われた者を救うには力不足でした。儂の腕では諸共に斬るか否かしか無かった。それで躊躇い怪我を負って倒れた事に悔いを抱いておりました」

「門次殿、それは……」

 それは仕方のない事だと言う二の句を彩光は継げなかった。人道にもとるは武士の恥であり、志を儘に罪を犯さず、しかし結果として藩は厄災に蝕まれて多くの人命を失った。

 力不足であった、実力が足りなかった、どんなに言葉を取り繕うが門次を貶すものにしかならない。

「儂の傷は癒えてこうして動けるようになりましたが、厄災を討ち果たした恒正つねまさ殿は呪いに臥せっておられる。それは血の贖罪と共に儂が受けねばならんかった。どんなに口惜しく思おうとも今更身代わりにもなれぬ」

 彩光は小さく息を吐く。返せる言葉も送れる言葉もない。人の生に瑕疵のない幸せなどありはしない。

 だからこそ、瑕疵を負って幸せに至るしか人は出来ないのだ。

「されど、恒正殿は誠に名君である。こうして人を救わんとする彩光殿の慈悲深さにも、儂の悔やみは幾らかも晴れております」

「恒正殿は兎も角、俺ぁ、押し付けられただけだ。そんな殊勝なもんじゃねぇよ」

 自分の事となると彩光はこそばゆくて黙っていられず、顔を大袈裟に顰めた。

 その態度に門次は腹の底から笑いを上げる。

「儂はお二人の沙汰を喜ばしく思っていると、そう知ってほしかったのですよ」

「……俺が余計な気を揉んでたか」

 彩光は首に手を回して頭の後ろを掻いた。

「我が娘の縁談に尽力してくださった女性の名をお伺いしても宜しいかな?」

 門次の直向きな眼差しに、彩光は、ああ、と雑に返事をしてから居住まいを正す。

「帛屋紡衣ほうえ彩光が末弟子のみつきと申す。末席ながら生意気にも俺と言霊繰りは迫る腕扱きの空染師なり。ちっと派手で新しいことばっかやりたがるのが玉に瑕でまだまだ手のかかる小娘だがな」

「それはそれは。可愛い限りなのでは」

「んなこたねぇよ、めんどくせぇばっかりだ」

 微笑ましく目を細める門次に剥けて、彩光は心底嫌そうにぼやいて兄姉弟子に構われるみつきを遠巻きに眺めていた。


空染工房へ、ようこそ 終

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