海様

あがつま ゆい

海様

「……これで良いんだ」


 深夜、よその県から車でやってきた男はそうぼそりとつぶやいて灯台のある崖から海に向かって身を投げた。

 荒波にもまれて男の意識はぶつりと切れた。

 これでいい。死ねば女房も子供も俺の事を許してくれる。これが一番良いんだ、と思ったのだが……。




 男の意識は再び目覚めた。水中にいる感覚はあるのだが、なぜか息苦しくない。それに波やしおの動きも感じず、まるでプールの中にいるかのような感覚だ。

 確かに海に身投げしたはずなのだが……。

 戸惑っていると目の前に女が現れる。首にスカーフを巻き、海色をした地を引きずる程長い丈をしたマーメイドドレスのような服を着た、若い女だった。


「……なぜ、こんなことを?」


「!?」


 水中にいるはずなのに、まるで地上で会話をしているかのようにはっきりと若い女の声が聞こえてくる。


「……なぜ、こんなことを?」


 再び彼女がたずねてくる。


「何故って? せめてもの罪滅ぼしに家族にカネを残すためさ」


 男は答える。水中であるにもかかわらずはっきりと声が出た。という不思議があるものの自らの死がせめてもの罪滅ぼしになる、と答えた。女の問いは続く。




「なぜ命を捨てることが罪滅ぼしになるんですか?」


 どうやら声は伝わっているらしい。彼女の質問内容が変わった。


「おとなしく会社勤めを続けていればよかったのに、このままじゃ何者にも成れずに人生終わっちまう。ってバカなこと考えて

 勤め先の会社を辞めて独立して自分の会社を興したのはいいが、負債まみれで倒産させちまったのさ。

 女房や子供に散々迷惑をかけた最低の夫や父親なんだ。死んで保険金が降りれば「どうしようもないクズの命がカネになった」から大満足だろうよ」


「……あなたは悪くありません。あなたはクズではありませんよ」


 女は男を否定する。男の発言内容からしたら誰だって否定したくなるような酷いものだった、というのもあるが。




「いや、悪いクズさ。家族よりも自分を優先して家庭をぶっ壊しちまったんだ。死ななきゃいけない犯罪者だよ」


「あなたは何の罪を犯してはいません。ましてや犯罪者だなんて自ら名乗るなんてやめてください」


 彼女は男を否定する。否定はするものの嫌悪の感情はなく、何とか励まそうとしているのは確かだ。




「それに奥さんや子供もあなたが死ぬと大変悲しみます。どんな理由でも、先立たれれば残された人はよほどのことが無い限り一生残る傷を負います」


「どうだか。俺が死んで保険金が出れば両手を上げて喜ぶよ。あのクズがカネになった、ってな」


「ご家族に聞いたのですか?」


 女から鋭い質問が飛ぶ。男は一瞬だが答えにためらう


「!! い、いや聞いてないけどそういうもんだろ?」


「ではあなたの勝手な思い込みかもしれない。っていうのは完全に否定はできませんね?」


「……」


 男の声が詰まる。




「とてもじゃないが女房に会わす顔が無い。俺のせいで散々迷惑をかけちまったからな」


「そもそも迷惑だと相手は思っていますか?」


「当たり前だろ何言ってるんだ」


「証拠はありますか?」


「……」


 男は再び言葉を詰まらせる。




「この人と一生を共に生きよう。そう思って結婚して夫婦になったのですから、先立たれるというのはどんな理由があるにせよ辛いものです。

 子供だって父親が死ぬ所なんてできれば見たくありません。ましてや自ら命を絶とうとするのならさらに深く悲しむと思います。

 命はお金に換えられるかもしれないけど、その逆は無理なのを忘れないで」


「……生きろ、と?」


「ええ。簡単に言えばそうなります」


「無理なんだよ。再就職も出来ずに二ヶ月が経っちまった。どうしようもねえんだよ」


「三ヶ月後には就職できるかもしれませんよ? そうでなくても半年後なら……」


「お前は当事者の気持ちが分からないからそんなことが言えるんだろ!? もう聞き飽きたんだよそういう種類の説教は!」


 男は怒鳴り全力で女を否定する。




「もう終わらせてくれよ……もう立ち上がる気力さえないんだ。立ち上がったところでまた無様にぶっ倒されるに決まってるじゃないか。

 ぶっ倒されるのを分かって立ち上がるなんて惨めなマネはもうしたくないんだ……」


「ならしばらく休んでもいいのではありませんか? どうしても気力が湧かないのなら、それは動くべきではない時にいるかもしれませんよ」


「……」


 男は三度黙る。




「何でわざわざちょっかいを出すんだ?」


「それが私の使命だからです。人間を一人でも救うために私は存在しているのです」


「……ってことは今俺がこんな状態なのもお前の仕業か?」


「ええそうです」


 どうやら目の前にいる「人の姿をした人外の何か」であるこの女が今の状態を作っているらしい。




「分かったよ。もう一度女房と話をしてみる。それでいいか?」


「ええ。きっとうまくいきますよ。では地上へと返しますね」


 彼女がそう言うと男は何者かに「抱きしめられる」というよりは「包まれる」感覚が伝わる。そこで彼の意識は途切れた。




 東の海から太陽が出てきた頃……男は灯台近くの海岸に打ち上げられていた。

 そこへ偶然、彼を見かけた漁から帰ってきた老人が男の所へやって来る。男の脈があるのを確認した後、彼はスマホを取り出し警察に連絡を取る。

 通話を終えると男が意識を取り戻したのを確認し声をかけてきた。




「その恰好……おまえさんもしかして『海様』にあったか?」


 到底サーフィンやダイビングなどのマリンスポーツを楽しむためにやってきた人間ではない格好、それこそ「身投げに失敗した姿」というのが素人から見ても分かる男をみて彼はそう告げる。


「海様……?」


「ああ。この辺は昔から自殺の名所で身投げする奴が多かったんだが、あの灯台が出来てから身を投げた奴は海岸まで戻されるようになったんだ。

 噂じゃあの灯台にはさる有名な神様の御神体ごしんたいが祭られているとかいう話だ。俺たちゃそれを『海様』と呼んでるのさ」


「……そうか。あの女はそういう存在だったのか」


 神様、と言われれば納得だ。しばらくして警察が来て、男は無事に保護された。




 警察署でもろもろの手続きを終えた後、捜索願を出した男の妻―腹が膨らんでいた女―と再会した。事情を知っていたのか、彼女は会うなり彼のほほにビンタをくらわした。


「あなた! バカなマネはしないで!」


「話は警官から聞いてるんだな。だったら分かるだろ!? 俺はお前に散々迷惑をかけ続けたんだよ! その罪滅ぼしにせめてものカネを残したかったんだよ!」


「迷惑なんてかけてない! あなたは迷惑なんて一切かけてないから!」


「かけたじゃないか! 勝手に会社辞めて勝手に会社作って勝手に倒産させちまったじゃないか!」


「会社なんてまた作ればいいでしょ! でもあなたが死んだら私たちはどうするのよ! そっちの方こそ迷惑じゃない!」


「……」


 男は最初は分からなかった……なぜ迷惑をかけたのにこんなにも自分を肯定してくれるのかが。だが次第に理解できた。




「何でそこまで俺の事を責めないんだ? 家庭を振り回してメチャクチャにした男なんだぜ俺は」


「あなたがどういう人間かは分かってるつもりよ? 結婚して2年間そばにいればそれくらいわかるわよ。

 会社勤めの時代は自分をすり減らしてでも仕事してたことも、独立した時は儲からなかったけど本当に生き生きとしていたことも全部知ってる」


「!!」


 彼女の何もかもお見通しな言葉は彼を硬直させるには十分だった。




「……許してくれるのか? 俺を?」


「許すも何も、あなたは悪いことなんて何一つやっていないんだから」


「……すまない。すまなかった。俺が悪かったよ」


 男は妻に謝った。こんなにも愛してくれていたのに、ちっとも気づいていなかった。その謝罪だった。

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海様 あがつま ゆい @agatuma-yui

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