クラッシュ
各務あやめ
第1話
東京、池袋。その多くの人々が行きかう大都市に、とあるビルが建っている。今、日本中のマスコミが、そのビルに注目していた。
多くの報道関係者がビルの入り口前に詰め寄る。テレビをつければどこの局もこのビルの外装を映し出し、中継を行っていた。
人々が固唾を呑んで見守る中、とうとう「出てきたぞ!」と群衆の中のひとりが声を上げた。途端、わっ、と歓声が上がった。
ビルから黄色いワンピースを着たひとりの女性が出てきた。
実況中継していた女性アナウンサーが、興奮しながら早口で話し始めた。「今、たった今、ビルから人が出てきました! 監禁されていた、被害者の女性と見られます! あっ、警官が女性に今、駆けつけて行きます!」
しかしその後起こった出来事は、誰も予想しないものだった。
女性は警官にそのまま保護されるかと思いきや、駆けつけた警官をさっと軽い動きで避けた。
「えっ……?」
唖然とする人々には目もくれず、女性は走って群衆から離れていく。
途端、バアン、と凄まじい轟音が響き渡った。
「銃声だ!」と誰かが叫んだ。
人々の視線を一挙に集めたまま、女性はその場で見事に心臓を撃ち抜かれ、血を流して息絶えた。
「なあ、暑いんだけど」
弟の風馬が不機嫌そうに訴えた。
私達を監禁した犯人の女性も、私も、その声には反応しなかった。
縄で縛られた体を鬱陶しそうに横に振りながら、風馬がなお訴える。
「なあ、暑いんだけど。クーラー点けてくれよ」
「悪いがもうじき死ぬ人間に使うエネルギーはない」
女性は顔を隠したまま、低い声で答えた。
「無駄に温暖化を促進させてしまうことになるからな」
犯人でも温暖化とか考えるんだ、と私は呑気に思った。
私と私の弟がこのビルの一室に監禁されたのは午後2時頃のことだった。弟の風馬とこのビルの廊下を歩いていたら突然、背後からハンカチで口をふさがれ、意識を失った。気がつくと私は弟と一緒に縄で体を縛られ、この部屋に監禁されていた。
襲われる少し前に時計を見たからその時間は分かるが、時計もスマホも、持っていたものは全て没収されたため今の時間は分からない。体感として意識が戻ってから大体2、3時間経ったというところだろう。
私達を監禁しているのは一人の女性だ。顔全体を黒いマスクで覆っていて、目元にもサングラスをかけている。その上、上下黒い服で身を包んでいるので、典型的な凶悪犯といった様相だ。声の高さと体格で女性だとは分かるが口調は男性的で、威圧感を出すためにわざとそうしているのではないかと私は疑っている。
「暑いよう」と風馬が半べそをかきながら言った。もう中学生だというのにだらしのない弟だ、と私は思う。
すると突然、プルルルル、と机上の固定電話が鳴った。
女性は出るかどうか一瞬迷ったようだったが、受話器を取った。
「もしもし」
『こちら、警察の者だが』
女性の肩が緊張したように震えたのが見えた。
『ふたりを監禁し始めてからもう3時間が経つ。そろそろ解放する気にならないか?』
「なりません」
女性は即答した。
『……なぜ、ふたりを監禁しているのか教えてくれるか?』
「殺して、私も自殺するためです」
ひっ、と風馬が悲鳴を上げた。
「嫌だ、死にたくない、殺さないで!」
女性は風馬を振り向くと、「静かにしろ」と声に出さずに口の動きだけで言い、口に人差し指を当てるポーズをした。
「あなた方がこのビル内に入って来ないと約束して頂けるのなら、このふたりは殺さないで自分だけ死ぬと考え直してもいいですが」
『……分かった、ビルには入らない。だから人を殺すのはやめてくれ。しかし我々は、君にも死んでもらいたくない』
「それは約束できませんね」
警察が何か言いかけたように聞こえたが、女性はそこで電話を切った。
風馬が大声で騒いだ。
「なあ、警察は来ないって言ってただろ!? 俺らは殺さないんだよな!?」
「いや、殺すでしょ」
私が言うと、風馬は涙ぐんだ顔で叫んだ。
「何でだよ!?」
「今の電話での言葉は、警察にビルに上がり込まれないようにするための咄嗟の嘘だよ。逮捕されたら元も子もないしね」
その通り、と女性は頷いた。
「その女の子の言う通りだ。私はお前らを殺して自殺する。これは絶対に変わらない」
「じゃあ、何で俺たちなんだよ!? 俺たち、お前とは全く面識もないのに!!」
「そうだな。ありがちな理由だが、『誰でもよかった』んだ。身勝手承知の上で、私は自分が死ぬことに誰かを巻き込みたいと思ってる。こうして監禁して人々の注目を集めながらね」
意味わかんねーよ! と風馬が暴れた。
その様子を女性は静かに見ていた。
「今、この場でお前を殺してもいいんだぞ」
「え?」
女性は拳銃を上ポケットから取り出した。
カチャリ、と風馬の頭に当てる。
「あまり騒いでると早く殺すぞ」
「なっ……」
うわああああ、と悲鳴を上げ、風馬は縄で縛られた体で床を転げ回った。
女性は床で暴れる風馬を捕まえ、窓を開けた。
まさか、と思った瞬間にはもう、遅かった。
―女性は風馬を窓の外に投げ捨てた。
数秒の時差があって、外から悲鳴が聞こえてきた。
女性は無言でピシャリと窓を閉めた。
「……ここって、何階?」
「6階だ」
そう、と私は呟いた。それじゃあもう、風馬は助からないだろう。
私は女性を振り向いた。
「でも、もうこれで警察はあなたを信用しない。あなたは私たちを殺さないという約束を破ったんだからね。じきに警察がこの部屋に乗り込んでくる」
「……それは嫌だな」
女性は拳銃を撫でながら言った。
「逮捕されないうちに早くお前殺して自殺しくてはならないな」
「……ねえ、私って、殺されなきゃいけないの?」
私が言うと、女性は声を低くした。
「……今更命乞いをする気か」
「そうじゃないと言えば嘘になるけど。でも、あなたを見てると思うの。―あなた、人に構ってほしいんでしょ?」
女性の肩がぴくりと動いた。
「……」
「どうして自殺したいのかは知らないけど、こうして私達を監禁したのは世間に注目されたいからでしょ? 誰かに自分を見てもらいたい。自分の死にすら人に構ってもらいたい。そうでしょ?」
「……黙れ」
女性は手で弄んでいた拳銃を、さっき風馬にしたように私の頭に当てた。
ゴリッ、と拳銃が頭を押す音がする。
「急がないと警察が来てしまうからな。ここで殺す」
「じゃあ、死ぬ前に私の頼みをひとつここで聞いてくれない?」
何だ、と女性は尋ねた。
私は言った。
「……私に、あなたを殺させてほしいの」
一瞬、部屋が静まり返った。
「……どういうことだ」
「あなた、死にたいんでしょ? だったら私が殺してあげるよ、って話」
「……そんな頼み、引き受けるわけがないだろう」
はあ、と女性はため息をついた。
「そう言って、結局私を殺して自分が助かりたいだけじゃないか」
「ううん。あなたを殺したら私も死ぬよ」
えっ、と女性は小さく漏らした。
恐る恐るといった様子で、私の顔を覗き込む。
「……正気か?」
「うん」
「……お前のような死に無頓着な人間は初めて見る。もっと『死にたくない』とか騒がないのか?」
「これから自殺するって言う人に、言われたくないよ」
私の言葉を聞くと、女性は観念したとでも言うように、肩をすくめてみせた。
「……私は3日前、5年間付き合ってきた恋人に振られたんだ。そのくらいで自殺するのか、と言われそうだが、私にとっては重要なことなんだ」
そう言って、ふう、と息をつく。
「もしお前が私を殺してくれると言うのなら、大勢の人の前で殺してくれないか? ―私は、どうしようもないほど、人に構ってほしいし、注目されたいんだ」
私は微笑した。
「いいよ。―約束ね」
女性は真っ黒の服を脱ぎ、私の服に着替えた。「この格好のままじゃ、犯人だと思われて、見つかった途端すぐに捕まっちゃうからな」と言っていた。
代わりに私が女性の着ていた服を着る。私の体には少し大きかったが、いつもと違う自分になれたようで、新鮮な気持ちになった。
いいか、と女性は私に諭した。
「私が監禁されていた被害者、つまりお前のふりをして外に出る。さっきも言ったが、私が犯人だとバレると、警察にすぐに捕まってしまうからな。そして私が外に出たら、お前は私を、その拳銃でこの部屋の窓から撃つ。そして、私を殺したら、お前もすぐに自分を撃って自殺する」
「了解」
私は生まれて初めて手にした拳銃を優しく撫でた。
「……なあ」
「ん?」
「……どうして、私を殺そうと思ったんだ?」
女性は、部屋から出る前に、最後にそう聞いた。
私は答えた。
「……拳銃を、一度撃ってみたかったの。なんかカッコ良くない? 銃って」
「……私を殺してから、お前は自殺しないという手もあるんだぞ」
女性はそこで、初めてサングラスを外した。
私は一瞬、息を呑んだ。
彼女は、澄んだ青い瞳を持っていた。
綺麗だ、と一瞬見惚れてから、私は答えた。
「私は死ぬよ。そういう約束だし、私は人を殺すんだから。きちんと死をもって償わせてもらう」
そう、と彼女は呟いた。
短い沈黙が降りた。
やがて女性はドアノブを握り、私に背を向けたまま言った。
「それじゃあ」
「うん。じゃあね」
パタン、と扉が閉まった。
私は少しの間その扉を見つめてから、拳銃を握り直した。
「出てきたぞ!」と誰かが叫んだ。
ビルの出口から、ひとりの女性が走って出てきた。
声が上がった瞬間、警察官がすぐに女性に駆け寄ろうとした。
しかし女性はするりと警察官を避ける。地面に伏せている息絶えた風馬を、横目に見て一瞬立ち止まったが、またすぐに走り始めた。
まるで踊っているようだ、と私は思った。
彼女は本当に身軽で、本当に、美しかった。
私は拳銃のグリップを握る。
すう、と息を吸って、照準を合わせる。
人生最期の時を。
私は彼女を殺すことにすべて懸けた。
クラッシュ 各務あやめ @ao1tsuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます