第4話

「なるほど。あんたと呼ぶのはやめにしないか、か」


 お兄ちゃんの部屋で漫画を読んでいると、突然話を持ちかけてきた。

 今まで呼び方に関しては何も言ってこなかったが、この間のこともあって思うところがあるのかもしれない。


「……いいよ。別に。私だって呼びたくて呼んでるわけじゃないし。勝者に求められた役割なだけだから」


 ほっとした顔を見せた。かわいい笑顔につられて、私も笑みがこぼれる。


「じゃあゲームをしよう。あんたが勝ったらやめてあげる。ゲームはどうしようかな……」


 考えを巡らす。正直呼び方なんてどうでもいい。

 それよりも勝っても負けても私に利のある何かを導き出せないだろうか。

 少し考えて、ひらめいた。


「かくれんぼなんてどう?」


 いいけど、どっちが隠れるんだ? とお兄ちゃん。


「いやいや普通にやっても面白くないよ。私が勝つもん。私とお兄ちゃんで隠れよう。二人で一緒にね。制限時間内にばれなければ、あんたの勝ち」


 説明の途中でお兄ちゃんが口を挟んだ。


「哲学的なかくれんぼ? 馬鹿じゃないの?

 鬼はいるに決まってるじゃん。日曜だし、お父さんにでも頼むよ。

 それでルールだけど、隠れる場所は私が指定するよ。

 あんたは、どうやったらそこに注意が向かないか、あるいは辿り着けないように妨害するかを考えるの……どう?」


 お兄ちゃんの眉がぴくりと上がる。

 好戦的な顔をして「なかなか面白そうじゃん」と言った。


「やった。乗ったね? じゃあ詳しく決めようか。

 まずは範囲かな。まあ色々できるように家にしておこうか。

 一軒家だし、狭くはないからね。

 時間は……10分くらいでいいかな。


 それで見つからなかったらあんたの勝ち。

 お兄ちゃんでもにぃにぃでもお兄様でも好きな呼び方で呼んであげる。


 見つかったらあんたの負けで……そうだね、一週間家の家事は全部あんたがやることにしよう。

 お母さんもお父さんも大助かり。本気で探してくれるでしょう」


 そこまで聞いてお兄ちゃんが当然の疑問を口にした。

 私はすっとぼけた口調で答える。


「隠れる場所? あれ、まだ言ってなかったっけ。隠れる場所はここ。

 ……俺の部屋のどこだよって、だからここ。あんたのベッド。

 ここで布団をかぶって、二人で隠れるの」


 あまり聞いたことのない裏返った声でお兄ちゃんが驚いた。

 そりゃそうだろう。

 ここからが大事だ。何も気にしていない様子を意識して話す。


「なに大きな声を出して。男女で隠れる定番スポットじゃないの? 修学旅行ではそうして監視の先生から逃れるんでしょ。わくわくするじゃん」


 なんて、本当はお兄ちゃんとくっつきたいだけだけど。

 あの一瞬で自然とお兄ちゃんと近づかざるを得ないシチュエーションを導いてしまうなんて……自分の才能が恐ろしい。

 お兄ちゃんは煮え切らない感じで逃げ口上を並べ立てている。


「えー全然入れるよ。確かにひとり用だけど、夏の薄い布団のわけでもないし……まあ、ちょっとくらいは? くっつかないと……だめかもしれないけど」


 それでも「いや……でも……」と口を濁すお兄ちゃんに痺れを切らして叫んだ。


「もう文句ばっかり言わないでよ。試してみないと分かんないでしょ! ほら! 試しにベッドに寝てよ! いいから!」


 妹のわがままに逆らえるお兄ちゃんではない。私もこのカードは計画的に切っている。

 久しぶりであったこともあってか、ようやく渋々とお兄ちゃんは従った。


「もうはじめから素直に寝てよね。……じゃ、じゃあ私も試しに……ね?」


 はやる気持ちを抑えて、お兄ちゃんの隣に移動する。

 ぴくりと、お兄ちゃんの手が動いた。


「あ! 動かないでよ。……ふたりで隠れるんだから。そういうルール、なんだから」


 言うと、お兄ちゃんは動かしかけてた手を胸の前に移動させて、祈るみたいにして両手を組んでみせた。

 文句を言ってやりたい気持ちはあったが、この機を逃す方が悪手と判断。

 ひとまず無視して倒れ込む。


「ええっと……失礼します」


 そして掛け布団をぐっと引き寄せる。

 布団はやっぱり少し小さくて、横に並んだ二人を覆うには足らなかった。


「はみ出ちゃうから、ちょっと重なるね……」


 言いながら体を横向きにしてお兄ちゃんの体に身を寄せる。

 それはきっと、好奇心が猫を殺す瞬間だったのだろう。


「え? え? え! え、えっと、これは……なかなか、近いね……鼓動でばれちゃうかも」


 お兄ちゃんが何か言った。何と言ったかは分からなかった。

 五感のすべては、ただお兄ちゃんの存在だけを感じていた。


 おや。つまりお兄ちゃんの言葉はお兄ちゃんそのものではない?

 言霊とは。霊とは。人格とは。ああどうでもいい……。



 息を吸って、吐く。


「熱い。こんなにポカポカしているんだ……」


 息を吸う。息を吐く。


「ドクドクいってる。これって私……? お兄ちゃん……?」


 息を吸う。息を吸う。


「固い……。でもやわらかい……。どうして……?」


 息を、息を。


「なにこれ……なんかもう、おかしくなりそう……」


 ?


「うわああああああああああ!!」


 絶叫して、飛び起きた。

 熱いものに触れて、無意識に手を引っ込めるみたいに。


「無理だ。宇宙だ。真理だ」


 どういうことだ? 分からない……人類には、早すぎた。


「あっ。お兄ちゃん」


 いけない。天才の悪いくせだ。いつも周囲を忘れて真理に触れてしまう。

 慌てて下を向く。


「……死んでる」


 完全に気を失っていた。

 やはり私たちは真理に触れていたようだ。

 お兄ちゃんには刺激が強すぎたのだろう。

 無理もない、私もあと数秒遅ければこうなっていた。


「って、なんであんたは気絶してんだ!」


 軽く頬をはたいてみる。ぺちと力のない音が鳴る。

 起きる気配はまったく見えない。


「おーい」


 マジか? 緊張で失神したのか? そんな人間いるのか?


「ばかばかばーか」


 頬を指でぐりぐりと突きながら言ってみる。


「マジなのか……」


 ヘタレを研究するときがきたら、こいつを解剖してやろう。


「お兄ちゃーん? 起きてないんだねー?」


 最後のつもりで呼びかける。

 ……そう。起きていないというならば。


「……好きだぞー」


 当然反応はない。

 間抜けな顔をしている。

 可笑しい。この前はあんなに格好良かったのにね。


 少し迷って、頬にキスをした。


「気付いてないんだ。ばーか」


 ひとりで笑う。

 頬じゃないところにキスをした時には、ふたりで笑えるだろうか。


「まあ、いいか。もう私も寝ちゃおうかな。……うん、いい匂い……」


 お兄ちゃんを動かして、腕を軽く自分の身体にのせる。

 心地よい重み。今はこれくらいがいいみたいだ。


 陽だまりとお兄ちゃんの腕の中で私は意識を手放した。


 お兄ちゃんは後でお父さんにぶん殴られたらしい。

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