6. 金色のイヤリング

 坂元さんとは西武新宿線の新宿駅で十時に待ち合わせをしていた。

 風のない、穏やかに晴れた冬の日曜日だ。

 僕は待たせてはいけないと思い、十五分前には着いた。辺りを見回したけれど、彼女はまだ来ていないようだった。そう思ったら、「大木さん」と声を掛けられた。目を上げると、サングラスに革ジャンの女性が立っていた。サングラスを外すと、坂元さんだった。髪は後ろで束ねていて、この間と同じイヤリングをしていた。シンプルなデザインの黒い革ジャンは高級そうで、黒のタートルネックセーターに、細身のブラックジーンズと黒いワークブーツを合わせていた。

「ちょっと驚いた」と僕は思わず言った。

「何がですか?」

「この間とあまりにもイメージが違うのと、それとセーターとジーンズが香澄さんと似ていること」

「こういうシンプルな組み合わせが香澄さんは好きでした。わたしも普段は割とラフな格好が好きで。ところでちょっと調べて見たら、狭山ヶ丘の周辺って、自然が多くて歩き回るのも楽しそうじゃないですか。香澄さんもそんなようなことを言っていたし。だから歩きやすい方がいいと思って」

「それは確かにそうだ。僕もどうせこんなアウトドア系の格好が好きだから、まあちょうどよかった」

 僕がそう言うと、坂元さんはえくぼを作って嬉しそうに笑った。

 狭山ヶ丘駅に着くと、先週と同じようにお団子を食べた。

「これって、この辺の名物なんですか?」

「どうなんだろう。でもなんか、よく食べていたような気がするんだよね」

「意識には上がってこないけど、もっと奥の方で憶えているんですかね?」

「そうなのかもしれない。だから香澄さんも僕をここに来させたのかもしれない」

 それから香澄さんの元の実家を案内して、僕の住んでいた場所に連れて行った。この間のような太陽に対する不思議な感覚はなかったけれど、ここで過ごしていた感覚はずっとリアルに感じられた。僕は無意識のうちに砂利のないところにしゃがみこんで、両手で砂をいじり、小さな山を作っていた。すると、すぐ隣に坂元さんもしゃがんで、手のひらで砂を集め、山を少し高くしてくれた。

「きっと無心で、こんな風に遊んでいたんでしょうね? 香澄さんと大木さんはこういうところで育ったんだ。どこか、不思議と、ふたりに共通するところがあるように感じられる。気のせいかもしれませんけど」

 坂元さんは明るい瞳で僕を見た。結構顔が近かったのでどきっとした。どうも坂元さんは普通ではない感性を持っている気がする。だからこそ、香澄さんはあの晩、坂元さんの元にも現れたのだろう。

 それから僕たちは昼の営業を始めた近くの寿司屋に入った。坂元さんが雑木林を歩いてみたいというので、寿司屋の親父さんにこの辺で残っている場所があるかどうか訊いてみた。

「そうだね、もう少し奥の西武新宿線の方までいけば、それなりに残っているよ」と教えてくれた。

 地図を頼りに、とりとめのない話をしながらゆっくりと歩いた。三十分ほどで雑木林の入り口に辿り着いた。

 雑木林はもうすっかり葉が落ちていて、落ち葉の積もった林床に明るく陽が降り注いでいた。小径こみちに踏み入れると、さくさくと小さな音を立てた。柔らかくて気持ちがいい。

「こんなところ、子供にとって最高ですね。いつまでも遊んでいられそう」

 坂元さんは嬉しそうに言った。

「たぶんさっき見た僕が住んでいた周辺にもまだ雑木林がたくさんあったみたいなんだ。あとから聞いた話では、姉はこういう雑木林を通って小学校に通っていたらしいから。たぶん香澄さんと一緒に登校していたんじゃないかな」

「そうですよね。そういえば、お姉さんは香澄さんが亡くなったことをご存知なんですか?」

「いや、たぶん知らないと思う」

「この話もちょっと松田さんたちがいるところではしにくかったので言いませんでしたけど、大木さんのお姉さんと香澄さん、ちょっとみたいですね?」

「そんなことも聞いていたんだ。ほんと香澄さんと親しかったんだね。まあ、裸で寝る間柄か」

 僕の冗談に坂元さんはちょっと怒ったような顔をしてみせた。

「それは、ですよね」

「もしかして、気に障った? ごめん」

「ふふ、冗談ですよ。ほんとはちょっと大木さんに嫉妬しているのかも。松田さんたちとは違った意味で。わたしは本当に香澄さんの妹だと思っていたから。突然、香澄さんの弟が現れて、独占できなくなっちゃったみたいで」

「でも、僕は弟にしてもらえなかった」

「香澄さんとから?」

「順番的には逆かな。弟にしてもらえず、愛人にされた」

「はは、香澄さんらしい。ねえ、太郎さんって呼んでもいいですか?」

「え? ああ、もちろんいいけど」

「じゃあ、わたしのことも名前で呼んでくださいね」

「ああ、うん。玲奈ちゃん、でいいよね」

「はい」

 玲奈ちゃんはえくぼを浮かべ僕を見ると、そのまま空を仰ぎ見た。

「なんか、木って不思議ですよね。葉が落ちてしまって、枯れてしまったように見えてもおかしくないのに、なんかしっかり元気に生きてる」

 僕は落ち葉を踏んで一本の木に歩み寄った。手のひらをざらっとした木の肌に置いた。木の命を感じた。顔を寄せて、匂いを嗅いだ。あの時の香澄さんとはまったく違う匂いだった。もしかすると春か夏には香澄さんの匂いがするのかもしれない。

 玲奈ちゃんが僕のすぐ横に立ち、同じようにした。

 どこか少女っぽさを残したきれいな横顔で玲奈ちゃんは木を見上げていた。視線に気づくと、僕を見た。

「もし、香澄さんが生きていたら、太郎さんはどうしたんですか? 一晩きりのつもりだったんですか?」

「どうしたんだろう? 僕の方は香澄さんに溺れそうだったけど、香澄さんはもっと冷静だったんじゃないかな」

「じゃあ、もし香澄さんが受け入れてくれれば本気で付き合いたいと思っていたんですね?」

「うん。愛人でもいいから恋人にして欲しいと言っていたと思う」

「太郎さんがそう思う気持ちはわたしにもわかります」

「もし香澄さんが男だったら異性として好きになっていたって言っていたもんね」

「はい」

「香澄さんが男だったら恋人にしてもらいたかった女と香澄さんが生きていたら恋人にしてもらいたかった男か」

「あの、わたしとお付き合いしていただけませんか? 恋人として」

「え? 僕が玲奈ちゃんと?」

「ダメですか?」

「だけど、僕なんか、やっと就職した小さな会社をもう辞めようと考えているし、それに玲奈ちゃんだったら、いくらでも選べるでしょ? わざわざ僕なんかと」

「でも太郎さんはもう変わったんですよね? 自分を取り戻したんですよね? 同じ太陽を見たんですよね?」

「それはそうだけど、まだスタートラインに立ったばかりで、取り戻した自分でどうやって生きていくかはこれからだから」

「そこにわたしがいては駄目ですか?」

「だったら友達ということではどうだろう?」

「やっぱり香澄さんくらい素敵な人じゃないと、太郎さんは魅力を感じないのか……」

「ちがうよ。玲奈ちゃんは香澄さんに負けないくらい魅力的だよ。正直、美人だし、えくぼのできる笑顔もとっても可愛いし、今日の服装もメチャ似合ってて、かっこいいし。とても素敵な女性だと思ってる」

「どうしたら、太郎さんに伝わるんだろう……すみません、わたし、男の人とのこういうコミュニケーションが苦手で」

「いや、玲奈ちゃんが僕と付き合いたいという気持ちは、その理由はよくわからないけど、伝わってる、わかってる」

「そういうのって、なにか理由がいるんですか? そこをはっきりさせないとダメなんですか?」

「そういうわけでもないけど」

「わたしといても楽しくないですか? わたしは太郎さんといるとすごくリラックスできるし、すごく話もしやすいんですけど。こんな風に話せる男の人は初めてなんです」

「僕も玲奈ちゃんと一緒にいて楽しいよ。特殊な香澄さんのことも共有できているしね」

「でも、それと恋人になるのは別の話ということですか?」

「まったく別ではないけど、むしろ僕の心の準備ができていないのかもしれない。正直に言うと、僕は今まで、女性と真剣に付き合ったことがないんだ。真剣な気持ちでデートとかはするけど、なんかそういう感じになれなくて。自分を殺して生きてきたから、自分自身を見失い続けていたんだ。だからデートをしてみてもその女性ひとが自分と合うのかどうかもわからない。そして、香澄さんに導かれて、ここに来た。そしてようやく自分を取り戻せたと感じた。でも、まだ自信がないんだ。玲奈ちゃんと付き合っても、ちゃんと向き合える自信がない」

「じゃあ、香澄さんは? 香澄さんの恋人になりたいと思ったんですよね? それともセックスフレンドでよかったんですか?」

「違うよ。それは違う。恋人になりたかった。特にここに来てからは、そういう思いが一層強まった。香澄さんとなら向き合えると思った。金沢でいろいろと話をしたしね」

「それは、わたしとはまだ会ったばかりで、あまり長く話もしていないかもしれませんけど、でも内容の話はしてますよね。あんな話を男の人、しかも初対面の男の人にするなんて、自分でも信じられませんでした。まあ、香澄さんの弟のような人と思えたことはありますけど」

「玲奈ちゃんはあの夢に影響を受けすぎているということはない?」

「どうだろう?」

「僕の場合は夢ではなかった。実体のある香澄さんと金沢で会っていたんだ」

「どうしてそう言い切れます?」

 僕はバッグの中から例の金色のイヤリングを取り出して、玲奈ちゃんに渡した。

「これは……」

「そう。香澄さんが部屋に忘れていったんだ。いや、もしかすると置いていったのかもしれない」

 イヤリングは玲奈ちゃんの手のひらの上で陽の光を浴びて輝いた。

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