朱ノ鳥の帰還
ばたばたと足音が近づいてくる。陽動組は扉から、偽装組は玉座の下から。
「陽生さま、ご無事で!」
全員、無事だった。
陽生を囲むようにして仲間たちが集まる。
もう大丈夫。
陽生には、たくさんの味方がいるのだから。
「皆、ご苦労だった。
陽生の言葉ははっきりと、力を持っていた。
元の、いや、それ以上に強い力だ。
信乃は胸を撫でおろす。
「かしこまりました!」
活気づく大広間。
反対に、信乃はそっと場から離れた。
これからは陽ノ国の話だ。自分の出る幕はないだろうから、どこかに身を隠しておこうか。
そう考えたのも束の間、後ろから追いかけてきた侍女らしき数人に突然取り囲まれる。
「えっ?」
「碧色の髪に翡翠色の瞳。信乃さまですね? 陽生さまにたった今仰せつかりましたので、身なりを整えさせていただきます」
「きゃああああああ!?」
*
「は、はぁ……」
あれよあれよと身体を採寸され客人用の湯浴みに放り込まれ、信乃に用意されていたのは絹で織られたさくら色のワンピースドレスだった。
胸元の辺りに薄く時計草が描かれている。
詰め襟で、着丈はからだの線に完璧に沿ったつくりをしている。
右側の腰辺りからしっかりとスリットが入っていた。動きやすいとはいえど歩く度に右足がしっかりと見えて恥ずかしい。
靴は黒。足首に二本の紐を巻きつけて固定するようになっていたので、元々履いていたものにつけていた布も蝶結びにして飾りにした。
髪の毛も整えられ艶が戻り、化粧まで施された信乃の肌は艶々と光り輝いている。
信乃と同じ年頃だろう侍女がはしゃいでいる。
「きゃー! 信乃さま、お似合いですわ!」
「え、えっと」
信乃にはまったくもって事情が飲み込めていない。
すると、はじめに侍女長だと名乗った眼鏡の女性が信乃に話しかけてきた。
「驚かせてすみません。陽生さまから、信乃さまのことは丁重にもてなすよう仰せつかっておりますので、以降も何なりとおっしゃってください」
落ち着いた雰囲気の侍女長の微笑みに、ようやく信乃の心も落ち着いてくる。
しかし、あの一瞬で信乃が姿を消したことに気づきここまで取りはからって指示するとは。
驚きと同時に気を遣わせたことを申し訳なく思うのだった。
「あ、ありがとうございます。あの……わたしはこの後どうすれば」
「間もなく陽生さまの即位に際しての宣言がございます」
即位、という言葉に信乃の肩が揺れる。
第一王子でもなく、華衣一族の宝積でもなく。
陽生がこの国の王となる。
王族が国を取り戻したことを宣言する……!
侍女長が奥の窓へ掌を向けた。
「ちょうどこの出窓から三階のバルコニーが見られるようになっております。どうぞご覧くださいませ」
「……はい、わかりました」
望んでいた場面を特等席で見てほしい、というのが陽生の願いなのだろう。
まだ何も始まっていないというのに、信乃の鼻の奥が熱くなる。
「我々はこれにて下がりますが、常に扉の外でひとりは待機しております。何かございましたら呼び鈴でお申し付けください。それでは、失礼いたします」
「えっ?」
一緒にいてくれるのではないのか。
唐突に拘束された後は、唐突に取り残されてしまった。
「……はぁ」
早朝に始まった暗殺計画。
人間が死ぬのを二回も目の当たりにした同じ日とは信じられない。
信乃の背丈よりも大きな出窓の外。
薄いレースのカーテンの向こうをちらりと覗くと、闇はだんだんと和らいできていた。
ざわっ。
不意に大歓声が外で湧き起こり、信乃は窓に駆け寄った。
宮殿の庭に人々が押し寄せている。その視線の先は、一様に上に向けられていた。信乃もまた窓から上を見上げる。
(陽生さま……!)
現れたのは、勿論、王族の生き残り。
陽生そのひとである。
黒い帽子には長方形の板が乗っていて、顔を隠すように、前後に糸に通された球が垂れてすだれとなっている。
着物は黒地に朱色の襟。帯は白金で時計草の刺繍入り。
そこから垂れる一枚布には朱ノ鳥。
美丈夫はそれらを完璧に着こなしていた。
「ここ数ヶ月、皆には不安な思いや心配をかけ、また、国の未来を憂いさせるような事態に陥っていたこと、唯一の王族として
場が一気に静まる。
「しかし、脅威となりうる国賊は、今日を以てこの国から姿を消した。十年に一度の大祭である吉日に、私はこの国の玉座を取り戻した。これからは、私が陽ノ国を守り発展させていくことを誓う――」
陽生の宣言途中で、信乃の視界が突然遮られる。
「あ……朱ノ鳥……!」
現れたのは陽ノ国の守護鳥。
どこから現れたのだろう。しかし、自らの使命を果たそうと朱色の翼で舞うように上昇していく。
信乃の心臓の鼓動が大きく跳ねる。
春。雨ツ国の上を飛んで行ったのは幻ではなかったのだ。
思わずひとりごちる。
「もしかして、あなたはずっと陽生さまを見守ってくれていたの……?」
どんどん空が明るくなっていく。
今、この場にいるすべての人間が目撃しているのは――神話の一部なのではないだろうか。
守護鳥が宮殿の上で羽ばたく。
朱い羽根が、雪のように、降る。
舞い落ちる。
「――!」
それは陽生にとっても驚きだったようで、頭上を見上げた後、高らかに告げた。
「守護神、朱ノ鳥のもとで!」
地鳴りのような歓声は、しばらく鳴り止みそうになかった。
信乃もまた、心身共に震えていた。
両手を胸元で組むと、両膝は自然と床についていた。
静かに喜びを噛みしめる。
「……陽生さま、おめでとうございます」
頬をひとすじの雫が伝う。
陽生ならば立派に国王として陽ノ国を治めていくだろう。
その歴史の生き証人となったことが、今はただただ誇らしい。
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