哀しい対峙

 それなのに、国王を、第一王子を?

 どうしても結びつかず、信じられずにいた。


 謀反が起きる前。

 朝の時間帯、郁李は湯浴みをしてから祈りの間にいた。そう陽生は話していた。

 ちょうど湯浴みが終わるであろうところを奇襲するという作戦なのだ。

 信乃は少し可哀想だと思ったものの、すぐにその思考を打ち消した。何故なら郁李も奇襲で暗殺を行ったのだから。


 教えられた宮殿の見取り図に乗っていた、一階にある、王家用の浴場。

 陽生たちはそこを目指しているのだろう。


「……おかしいな」

「そうですね、陽生さま」


 不意に陽生と丹生が顔を見合わせずに言った。


「どうしたんですか」


 後ろから信乃が尋ねると、丹生がちらりと振り返る。


「湯浴みの時間であれば待機しているだろう、侍女の姿がひとりも見当たらないのです」


 ――かつん、かつん。


 すると、通路の奥から靴の音を鳴らして誰かがゆっくりと歩いてくる。


「理由を教えてさしあげましょう。わたくしが、湯浴みを既に終えているからですわ」


 長い赤銅色の髪の毛を後ろでひとつに束ねて。

 白地に紅の縁取りがされた上着と短い丈のズボンに、太幅のベルトから伸びている布は足の前側を隠すように一枚。紅色の長いブーツ。

 背丈よりも長い漆黒の柄。長槍を右手に持って現れたのは――


「お久しぶりです、陽生さま」

「……郁李」


 ぞっとするくらい穏やかな微笑みを浮かべた、郁李だった。

 信乃からは陽生がどんな表情をしているのか分からない。しかし、拳が強くきつく握られているのは、見える。


「元気にしていたか?」

「おかげさまで、この通りにございます」


 郁李が左手を挙げると、警備隊が現れた。その数、五人。


「それは安心した。準備もさぞ大変だったことだろう」


 陽生の声は、笑っているようだった。

 信乃はあまり聞いたことのない、自国においての王子としての話し方。張って、よく通る、堂々とした声。

 陽生も鞘から刀を抜き構える。

 王族に伝わる宝刀、号は守護鳥と同じ『あかいろ』。

 丹生も、信乃もそれぞれ武器をかまえた。


「心配には及びませんわ。前もってそちらのお嬢さまのご親族が、心配のあまりに文をよこしてくださったものですから。雨ツ国の、信乃姫さま」

「……え?」


 信乃にとっては、寝耳に水の話だ。

 陽生たちが今日この日を狙っていたことを知っていたのは信乃の所為だと?


「耳を傾けるな。動揺させる為の虚言だ」


 陽生が振り返らずに小声で言う。


「あら、わたくしが虚言を申したことがありましたかしら? 雨の方々は家族思いなのだと心底感動いたしましたのよ。情報を流すから、大切な、大切なお姫さまだけは、無傷で返してほしいですって。健気な話でしょう」


(そんな)


 小刻みに信乃の手が震える。

 信じたくないけれど、この状況を見るに郁李の言っていることは事実なのだろう。


『雨ツ国では、いつでも亡霊さんが生き返ることのできるよう、準備万端でおりますから』


 そんなことができるのは瀬名しかいない。長老か信音が、瀬名に命じたのだろう。

 ここにきて己の存在が陽生の足を引っ張っていたのだという事実に、呼吸は苦しくなっていく。


「……まぁ、どうするかは、すべて終わらせた後に考えましょう」


 さっ、と郁李が手を下ろす。

 警備隊が三人目がけて襲いかかってきた。

 信乃はまだ動けないでいる。警備隊の影が信乃を覆う。


「……っ! この愚か者めっ!」


 敵との間に入りこんで刀を止めてくれたのは丹生だった。


「に、丹生さま」


 丹生と敵が一旦離れて間合いをとる。

 構えながらも丹生が言う。


「勘違いしないでいただきたい。あなたは元から足手まといなのです。その上ここで捕まったり負傷しようものなら、我が主にとってはさらに損害を被ります。あなたは我が主のもとについた以上、この場で生き残り、主のなすことを見届ける責務があるのです!」

「……!」


 ようやく信乃は我に返る。


「覚悟ッ!」


 丹生目がけて警備隊が二人がかりで襲いかかってくる。右側の男目がけて、信乃は踏み込み、右足を高く上げながらも体を勢いよく回転させて蹴りをくらわせる――ただし足だけでは力不足なので、雨刀あがたなの鞘をもうひとつのの足としてぶつける。 相手もまさか鞘が飛んでくるとは思わなかったのだろう。一瞬面食らったようにかたまり、そのまま顔に鞘が当たって後ろへ倒れる。がくり、と男はうなだれて意識を失った。

 丹生もまた峰打ちで敵を気絶させ、すぐさま2人からの攻撃をかわしている陽生の元へ走る。


「陽生さまっ!」


 最後のひとりは信乃と向かい合う。


「小娘のくせにやるじゃないか」

「子どもの頃は山猿って呼ばれてましたから」


 陽生よりも大きい。間合いをとっても一瞬で詰められてしまうだろう。


「女を殴る趣味はないが、仕事なのでなっ」


 男が拳で風を切る。


「きゃあっ!」


 信乃は後ろに飛ばされた。壁にぶつかって座りこむ。


「風圧だけで飛ばされるなんて、所詮、女は女か」


 ぽきぽきと男が拳を鳴らす。

 信乃は俯いたままだ。


「悪いようにはしないから、大人しくやられるんだな!」


 男がとどめを刺そうとしたとき。

 信乃は男を見上げてにやりと笑みを浮かべ、男が怯んだ一瞬の隙に体を床に滑らせて足を払う。勢いづいていた男は姿勢を崩して前のめりになる。そのまま信乃はすばやく立ちあがり、軸をぶれさせることなく回し蹴りを男の首に決める。

 かはっ、と男が呻いて膝から崩れ落ちた。

 風圧で飛ばされたのはわざとで、半分以上は自らで後ろに飛んだのだ。


「最近も山猿って呼ばれてます」


 信乃は呟いて、陽生と丹生の方へ視線を向ける。

 いつの間にか敵は全員気絶していた。


(あとは郁李さまを人質に取るだけ……!)


 信乃は唾を飲みこむ。


 静かに郁李が長槍を構えた。

 陽生もまた、郁李に向き合う。

 長槍というのは相手からしてみれば間合いが取りにくい。陽生は刀の使い手なのでなおさらだろう。


 丹生が信乃の傍に寄り、囁いた。


「気をつけてください。郁李さまの最大の武器は、長槍ではありませんから」

「え?」


 風を切る音。長槍は郁李の手にありながら四方八方に回転している。そして突然縦横無尽に繰り出される攻撃。陽生はそれらすべてを完璧に受け止めてみせた。


 ぴっ。


 陽生の服の左肩が裂ける。


「陽生さま!」


 丹生が大声を上げた。


「大丈夫だ。怪我はしていない」


 服が裂けたくらいでそんなに動揺するなんてありえなかった。

 そこまで恐れなければならない郁李の武器とは一体。

 信乃が丹生に尋ねようとしたときだった。


「……やはり陽生さまと武器で闘おうだなんて、無茶がありましたわね」


 郁李が槍を下ろす。

 ただ、まだ余裕のある表情だ。懐から取り出したのは五本の細い棒。


「やめるんだ、こんな場所で! 郁李!」

「陽生さま。真っ先にわたくしのもとへ来てくださったことに敬意を表します」


 左手で広げた五本の棒に、右手に持った火打ち石で点火する。

 煙が、静かに立ち昇る。


「伏せなさい! 決してあれを吸いこまないように!」

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