奪還の朝


 明け方。

 朝の時刻を迎えても、空は暗かった。むしろ、夜よりも闇色が濃い。


 早く目の覚めてしまった信乃は、平屋の外に出た。

 かつらもレンズも外した今は、碧色の髪と翡翠色の瞳に戻っている。

 根岸色の小袖とたっつけ袴に着替えたものの、足元は青空市場で買った布靴だ。靴紐は、黒地に小花柄。


 髪の毛には瀬名から預かった香油の紙をほんの少しだけつけてみた。

 これから向かうのは血なまぐさい場所だが、己を奮い立たせる為の気合いのようなものである。

 草むらに囲まれたこの場所は貧民街のなかでも親を亡くした子どもたちを集めている、いわば孤児院らしい。本来ならばこういう場所はない方がいいのだが、と陽生は申し訳なさそうに説明してくれた。

 しかし、ひとをはじめとして子どもたちの名付け親になっているところから何もしていない訳ではないのだろうと信乃は思った。


「ちゃんと眠れたかい?」

「陽生さま、おはようございます……って! 服!」


 暗闇のなかとはいえ陽生の鍛えられた淡い黄褐色の上半身が露わになっていて、信乃は慌てて目を逸らした。


「あ。すまない。ちょうど稽古終わりで水浴びをしたところで」


 陽生の髪の毛から水滴が滴り落ちている。

 信乃は視線を逸らしたまま言う。


「陽生さまこそ、眠れたんですか? 昨日だってわたしに作戦の最終説明をしてくださった後、丹生さまと打ち合わせだって言ってどこかへ行かれていましたよね?」

「少しは眠ったよ。というか、元々睡眠は短時間で済ませられるから」


 陽生が顔を上に向ける。

 先ほどまでの穏やかな表情は消え、国を憂う男の顔になっていた。


 陽ノ国第二王子、陽生。

 国王と兄である第一王子を、自らの妻の一族によって、妻によって、殺された男……。


「それに、陽動組も、偽装組ももう動き始めている」


 計画は三つの組に分かれていた。


 陽動組。

 日食に紛れて大きな騒ぎを起こし、敵の注意を引く。

 この組の四人は、かつて雨ツ国で紗絢と信乃を襲った黒装束たちだ。というのは信乃が雨ツ国を出たときに説明され、謝罪された。

 しかし信乃も信乃で反撃したので、それは水に流そうという話で終わっている。

 そして、数ヶ月の間、信乃を鍛えてくれたひとたちでもある。


 偽装組。

 王族しか知り得ない侵入経路を使うことで陽生だと思いこませ、敵を油断させる。陽生に万が一のことがあった場合には、影武者としての役割も担う。

 割と穏やかな印象の面子で構成されているが、陽生曰く悪知恵の働く面々、らしい。彼らは信乃に陽ノ国の言葉を教えてくれた。

 シイラのバター焼きを勧めてくれたのは彼らのひとりである。


 それから陽生と丹生と信乃。王座の、奪還組。


「おれは必ず国を取り戻す」

「……はい」


 信乃は拳をぎゅっと握りしめた。

 運命の日が、はじまる。



 信乃は二本の雨刀あがたなを腰に差した。

 火打ち石も身につけて、気合いは充分である。

 そこへ陽生と丹生が現れて、信乃は口をぽかんと開けた。


「待たせたな。……ん?」


 陽生は前髪を後ろに撫でつけて額を露わにしていた。


「いえ、わたしにとってその髪型は見慣れなくて、つい驚いてしまいました」


 雨ツ国を正式訪問してきたときと、婚礼の儀でしか目にしたことはないが、第二王子としてはその髪型の方が正しいのだろう。

 黒の上着は襟に金縁、ボタンも金色。右腕上部には時計草の刺繍。

 ベルトの幅は広く、腰には2本の刀を差している。内、1本はかつて信音が打った雨刀だ。

 黒のズボンは長い革靴に続いている。


 後ろに控える丹生もほぼ同じだが、縁取りは金ではなく黒だ。


「いざ、参るとするか」


 大祭、とはいえど、日食中は神聖な祈りの時間である。

 国じゅうひっそりと静まりかえっていた。すべての民が、食の間は祈りを捧げるのだという。

 十年間平穏無事でいられたことを朱ノ鳥あけのとりに感謝する。

 そして、太陽が再び戻ってきたとき、最大の喜びを表現するのだと。

 朱色の宮殿もまた、暗闇のなかひっそりとそびえたっている。

 門の前にはふたりの警備官が立っていた。


 丹生が懐中時計で時間を確認した。


「まもなくです」


 その言葉の終わりと同時に、宮殿の奥から光が昇り、空に大きな花火が打ち上がる。

 彼岸花のような朱。次から次へと打ち上がり、暗闇に花を咲かせる。


 かっ! ぱっ! ぱん!


「きゃっ!」


 信乃はびっくりして悲鳴をあげそうになり、掌で口を押さえる。説明は受けていたもののいざ爆発を目の当たりにすると驚いてしまったのだ。

 ぎろりと丹生に睨まれた。この期に及んで何を驚いているのだ、と瞳が言っている。


 その通りだ。

 こんなことくらいで動揺してはいけない。


 神聖な儀式を利用してまでこれから始めるのは。


 ――華衣一族の長・宝積の暗殺計画なのだから。


 警備官が爆発に驚いて、宮殿の外に背を向けている。

 素早く飛び出したのは丹生。背後から首元を狙い、一人目の警備官を気絶させる。


「おれたちも行くとするか」


 二人目が即座に反応するも、続いた陽生に同じく背後から攻撃されて倒れた。気絶したふたりを縄で後ろ手に縛り、さるぐつわをかませ、門の横に寝かせた。

 信乃も慌ててふたりの元へ走る。


「こっちだ、信乃」


 陽生が小さく手招きする。

 門から宮殿までの間には大きな庭と池がある。庭の生け垣に沿って、少し背を屈みながら歩く。

 見回りが門の横で気絶している警備官たちに気づいた頃には、なんとか陽生たちは宮殿の壁まで辿り着けるだろう。


 本来の国王軍は暗殺、処刑、閑職にまわされるのいずれかで、今の警備官たちは華衣の一族が雇った傭兵くずれが多いらしい。

 統率性や忠誠心にはあまり期待できない部隊であることは朗報だった。


 小さくて地味な入り口まで辿り着く。使用人の出入りする場所なのだという。

 丹生が鍵を使って、音を立てないように扉を開けた。

 近くに誰もいないことを確認してから侵入する。


 予定にない花火に驚いたのだろう。いつの間にか宮殿内の照明はついていた。

 信乃は陽生と丹生の後に続いて歩く。


 ――聞かされていた計画では、まず、郁李妃を人質に取るのだという。

 陽生の妻であり、今や仇でもある。

 信乃も一度目にしたことがあった。美しくて、いい香りがして、優しそうで。とても悪人には思えなかった。

 彼女の父親、一族の長である宝積ほづみの方がよほど絵に描いたような悪人面をしていたし、郁李は宝積から信乃を庇ってもくれたのだ。


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