住み込み

(この勢いで細い道を見つけられたらいいんだけど)


 ふと、大通りで足が止まった。

 赤煉瓦に色つきの木枠のはめられた壁の建物はたいてい扉が開放されていて、何かのお店だということはなんとなく理解してきた。甘い香りが漂ってくるので、そっとなかを覗きこむ。

 狭い店内の中央に四角い机があって、箱が積みあげられている。その奥に硝子棚と店員らしき人間。さらに奥は厨房なのだろうか?

 菓子屋だと判り、あらためて壁に視線を戻す。


『饅頭屋 大祭までの短期従業員募集 住み込み歓迎』


(これは……!)


 信乃は閃いて、店内に入る。


「あの、外の貼り紙を見たんですが」


 硝子棚の奥にいた、細長い中年の男性が信乃を見た。白い割烹着を被っていて、頭にも白くて四角い帽子を被っている。


「信乃と申します。ここで、住み込みで働かせていただけませんか」


 答えたのは男性ではなくて軽やかな女性の声だった。


「なになに? 従業員希望?」


 信乃が驚いていると、硝子棚の向こうから、背の低い女性が現れた。髪の毛は短く、丸眼鏡をかけている。


「はい!」


 背筋を正した信乃に、女性はくすくすと笑い返す。


「返事が快い。採用! こっちが七代目大将兼旦那で、あたしは女将の羽依うい。女将って呼んでくれていいから。もう一度名前を訊いていい? 見た目からして、水ノ国みなのくにの出かしら?」

「は、はい。そうです。信乃といいます。ありがとうございます、宜しくお願いします」


 信乃は勢いよく頭を下げた。


「大祭に合わせて水ノ国とか他の国からたくさん観光客が来るんだけど、お土産用の饅頭づくりが間に合わなさそうで困っていたの。ずっと働いてくれてたひとが腰を痛めちゃってね。さ、話が決まれば早いものよ。こちらへいらっしゃい。二階の空き部屋を案内するから、荷物を置いたら早速働いてちょうだい」


 立て板に水とはまさにこのことか。

 女将は一気に喋り終えると、くるりと踵を返した。慌てて信乃は後を追うかたちとなり、大将にも大声で挨拶してから店内へ入った。

 厨房の脇に扉と狭い階段があって、女将はずんずんと階段を登る度に木の軋む音がする。少し躊躇ったものの、信乃も登っていく。


「ここを使ってちょうだい。荷物を置いたらすぐに降りてきてね」


 昨日泊まった宿より広く、雨ツ国の部屋よりは狭い。そして、古さは昨日の宿より上回っていそうだ。剥げかけている畳の四畳間。

 歩く度に軋むので、階下に響いているのは間違いない。収納はなく、窓は割れているのを粘着布で無理やりくっつけている。

 そっと荷物を置いて慎重に降りると、女将は待ってましたと言わんばかりに今度は扉の奥へ信乃を連れていく。扉の奥は居住空間になっていたが、厚紙が山積みになっている。


「手を洗ったらこの厚紙をひたすら組み立てていってちょうだい。饅頭の箱だから、丁寧にきちっと折るのよ」

「は、はい!」


 女将は店へ戻って行き、信乃はひとり取り残される。

 何百枚あるか数えることも難しそうだ。朱色の厚紙にはしっかりと折り目がついている。単純作業だということに少し安堵して、信乃は箱を組み立て始める。


(この感じ、懐かしい)


 集中することは得意だ。こつを掴むと、信乃は作業に没頭した。


「えええええ!」

「えっ?」


 はっと我に返った原因は女将の大声。目を見開いて、口をぽかんと開けている。


(間違った折り方だっただろうか)


 信乃は慌てて立ちあがる。


「す、すみません!」

「あんた、この時間でこれだけやったのかい?」


 女将は信乃の両腕をがっと掴んできた。

 柘榴色の瞳がぎらぎらと輝いている。それから勢いよく箱をひとつ手に取る。

 女将は、四方八方からうっとりと箱を眺める。


「折り目も完璧……。手先が器用すぎやしないかい? 水ノ国では何をしていたんだい」

「えっと」


 信乃は、あらかじめ陽生たちに教えられていた設定を思い出す。そして辿々しく口にした。


「箱入りで育てられてきたので特に職には就いていませんでした。実は、陽ノ国の大祭に合わせて、親が婚約者を決めようとしたので、こっそり家出してきたんです。大祭が終わったら国に戻るつもりではいるのですが、それまで、うまいこと身を隠したくて……。あの、お願いです。何でもやるので、このまま働かせていただけませんか」


 境遇を訊かれたら、眉を下げて瞳を潤ませ、声を震わせること。

 それで世の中のほとんどはなんとかやり過ごせる。これは、丹生の教えだ。


「なんて不憫な……。あんた、それは大変だったね。うちなら大歓迎だよ!」


 どうやらうまくいったらしい。

 女将の反応に、信乃は既視感を覚えていた。


(紗絢が大人になったらこんな感じになりそう)


 想像してみると、ぴったり当てはまりそうだ。

 なるべく顔に出さないようにして笑う。


「いいとこの娘さんだから言葉も手先も器用なのかしら。ねぇ、彫刻刀って使ったことある?」

「あります」


 雨晶に文字や模様を彫ることもしていたので、たいていのことはできるだろう。


「知ってると思うけど、今回の大祭は、華衣かえの一族がこの国を統治するっていう宣言をするんだよ。だから、代々使ってきた王族の印が使えなくて困っていたんだ。朱ノ鳥あけのとりと華衣の紋を用いた印を彫ってくれないかな」


 勝手に紗絢に重ねていた緩みから引き戻される。信乃は口元を引き締めた。

 華衣の一族とは郁李いくりたちのことを指す。

 情報を得ることもできそうだ。なんて好都合なのだろう。


「はい。わたしでよければ、彫らせていただきます」



 元々、華衣の一族は陽ノ国でも東側の地域を治めている豪族のひとつにすぎない。ところが近年、急激に勢力を伸ばし始めた。

 その結実が一族の長の娘である郁李を第二王子に娶らせたことだ。

 第二王子は体の弱い第一王子に代わって務めを果たすことが多く、民にも慕われる人柄だった。第二王子の妻となるような人間なら人徳も高いだろう、と国民の誰もが思った。

 それが王族にとって悲劇の始まりだったのだ!


「現状はこんな感じよ。分かった?」


 信乃は何度も頷いた。


 夕食はかたいパンと干した魚とたっぷり豆の入ったスープ。かたいものはスープに浸してやわらかくしてから食べる。

 これがこの街の一般的な夕食らしい。

 信乃には干した魚がしょっぱく感じたが、水を飲みながらがんばって咀嚼する。するとだんだん美味しく感じるようになってきた。


 食べながら、女将が陽ノ国について延々と説明してくれた。大将は元々あまり喋る性格ではないようでずっと黙ってご飯を食べていた。


「あたしたち庶民はぶっちゃけ、第二王子の陽生さまが国王になってくれたらこの国は安泰だろうと思っていたんだ。この街にもよく来てくれて、その度にあたしたちなんかの愚痴話を聞いてくれたからさ。それが蓋を開けてみたらどうだい。……ひとがよすぎたんだろうね」


 ちくり、と信乃の胸が痛む。

 陽生が国王となっていたら。郁李妃と、泰平の世を築いていたら。


「華衣の一族は高い税を取り立てることで悪名高いんだけど、第二王子に嫁いだ郁李さまは、美しくて穏やかで、まるで一族とは真逆に見えたんだ。それなのに、だよ。まったく、ひとは見かけによらないっていうのは正にこのことさ」

「……羽依ういさん、外国のひと相手だからって、あまり華衣の一族を悪く言わない方が」

「いいんだよ。ほんとうのことなんだから」


 ようやく大将が口を開いた。しかし女将に制されてまた黙り込んでしまう。

 食堂で耳にした話といい、華衣の一族が国民によく思われていないのは事実のようだった。


「はー。食べて話したら満足したわ。大将とあたしが使ったら呼びに行くから、お風呂も入りなさい。明日は印を彫ってもらうからね」


 女将の勢いは衰えず、食器をすべて積み重ねてさっさと炊事場へ運んでいく。


「……悪く思わないでやってくださいね。ああいう女なんです」


 ぽつりと大将が零す。

 その言い方には女将に対して優しさや気遣いが滲んでいるように聞こえた。性格は真逆に見えるけれど、なんだかんだ、ふたりはいい夫婦なのかもしれない。


「いえ、わたしは世間知らずなのでとても勉強になります」

「そう言ってもらえるならありがたいことです。今日はとても助かりました。数日間ではありますが、宜しくお願いしますね」

「はい。こちらこそお願いします」

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