第四話 夏~誰の上にも光は降りて
偽装
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「ようこそ、
入国審査を無事に終えて、信乃は胸を撫でおろす。
国境に設置されている出入国管理館。
入国を希望する人々が集い、定員ごとに審査室へ通され、説明を受け、面接の末に入国を許可される。
信乃に対応した警備官はいかにも強そうな隆々とした筋肉の持ち主で、面接官は神経質そうできつい顔の持ち主だった。
その重々しい雰囲気に、信乃は完全に飲まれていた。
陽ノ国への入国は初めてだと辿々しく答えると、大きな判子を出入国許可証に押してくれた。
分かりづらい標識に従って、迷子になりつつもなんとか外に出る。
目の前に広がっているのは陽ノ国だ。
信乃は深呼吸をしてから、
――現れたのは、さらさらの薄い金髪に若草色の瞳の少女。
水ノ国の民の、一般的な髪色と瞳の色だ。
偽造した出入国許可証と、かつらと瞳の色を変える為のレンズ。それらは仲間のひとりが用意してくれた。
そもそも信乃の姿は陽ノ国では目立つので、偽って入国する必要があるのだという。
陽生の婚礼の儀のときは、
そして王族と庶民への対応はこうも違うのだと初めて知った。
陽生をはじめとした他の人間たちも、別の方法で陽ノ国に戻ってくるらしい。
彼らとは約束の日時に約束の場所で合流することになっている。
それは皆既日食の前日、正午。
陽ノ国では約十年に一度の皆既日食を『太陽の化身である
しかし今回の大祭はこれまでとは様相が違う。
本来なら第一王子の即位式が行われる予定だった。
ところが春に起きた
第一王子は国王暗殺の直前に病死。
そして、第二王子は未だに行方不明。
実質的に陽ノ国の実権を握った華衣の一族が、皆既日食後の大祭で、正式に統治一族となることを発表するのだ。
(だけど)
信乃は時々、考える。
――朱ノ鳥はどこかへ飛んでいってしまったのではないだろうか?
国王たちの暗殺によって守護鳥は国を捨て去ってしまったのではないだろうか、と。
だから華衣の一族は守護を受けられないのでは、と。
守護鳥が国にいないだなんて知ったら陽生たちは衝撃を受けるだろう。
故に、春に見た光景を誰にも言えないでいた。
今、信乃の目の前に広がっているのは、たくさんの色と音。
陽ノ国だけではなく水ノ国の民も歩いている。
いちばん王都に近い入国審査を利用するから街並みは活気づいているし、水ノ国の民も多いので潜伏しやすいだろう、と言っていたのは
しかし、自分は元々蚊帳の外にいたのだ。しかも、かつて近づくなと釘を刺された身でもある。仕方ないことだと腹を括っていた。
また、他の面々が優しく接してくれていたのが救いでもあった。
陽生派で生き延びたのは、丹生を含めて八人。
無事、十人で合流できますように。そう願っている。
(とりあえず食堂という場所でご飯を食べるように言われたよね)
まず信乃に課せられたのは、街についてできるだけ知っておくこと。
(……よし!)
外套を深く被り直して、顔を上げた。
石畳の道を歩くのは初めてだ。土の舗道や自然のなかと違って歩く度に硬い。
この付近に高低差はあまりなさそうなので、まずは歩いてみようと決める。
建物は赤煉瓦を積みあげてつくられていた。赤といっても濃度や明度が様々に組み合わされていて、それぞれの個性を演出している。
行き交う人々は立ち襟に長い丈の衣服を着ている。これが陽ノ国の一般的な民族衣装なのだろうか。
ふと、信乃は扉が開いている店の前で立ち止まった。
他の建物と違い、赤煉瓦の壁には緑色の木枠で装飾がされている。中は薄暗いものの、提灯がいくつもついていた。そして四角い木のテーブルで、何人かが食事をとっている。
「ひとりかい? 空いてるよっ」
中から
どうやらここがお目当ての食堂らしい。
信乃はおずおずと入る。すると、立っている何人かがいらっしゃいと大声を上げた。
「そこっ。メニューは壁に貼ってあるから決まったら声かけてね」
店主なのだろうか、声をかけてきた女性はそれだけ言うと奥の厨房らしき場所へ入っていく。
外食をしたことのない信乃は、おっかなびっくりで隅のテーブル席に腰かけると、店内を見渡した。
どうやらせわしなく働く店員を強引に捕まえて、壁に書いてあるものを注文し、受け取るときに代金を支払うという仕組みになっているらしい。
陽ノ国の言葉は猛特訓した、というかさせられた。
そのとき初めて他国と雨ツ国の言語は異なると知った。陽生も丹生も、大国の上流階級にいるから雨ツ国の言葉を操れていたのだ。
特訓は、毎日が驚きの連続だった。
信乃は深呼吸をしてから店員を呼び止める。
「あの、すみません。シイラのバター焼きと、やわらかいパン、それから杏の炭酸水をください」
「はいよっ。シイラバター一丁!」
杏の炭酸水とやわらかいパンはすぐに運ばれてきた。
店員に少し多めに紙幣を渡す。これは陽生たちに教えられたことだ。
陽ノ国の通貨・
ただ、陽生は最後まで、対価としては足りないと主張していたが。
店内はずっと賑わっている。がやがや、ざわざわとした雰囲気も、信乃には新鮮で悪いものには感じなかった。隅にいるから目立つことはないと判断して、おそるおそる外套を外す。
「お待たせっ、ごゆっくり!」
シイラのバター焼きが運ばれてくる。先ほどと同じように代金を支払うと、まじまじと大皿を見た。
「これが、海の魚」
信乃は唾を飲みこむ。
川魚しか食べたことのない信乃にとって、実は海魚が密かな憧れだったのだ。
そう話したときに、仲間のひとりが、シイラのバター焼きというものが美味しいと教えてくれた。
両手を合わせてから、箸を持ち、おそるおそる身を切って口に入れる。こくの深い香りの後にほろほろとした身をゆっくり味わう。白身にかかっている黄色いものがバターであり香りのもとだと理解して、信乃はやわらかいパンをちぎってバターに浸して食べてみる。
あまりの美味しさに足をじたばたさせていると、女主人が話しかけてきた。
「見慣れないけど旅人さんかい? そんなに美味しそうな反応をしてもらえるなんてうれしいねぇ」
「とても、美味しい、です。こんな美味しいもの、初めて食べました」
「そりゃあよかった。見てくれからして
「がんばって勉強しました」
「そうかいそうかい。偉いねぇ」
満足そうに女主人が去って行く。
途中で常連らしき男たちと二言三言会話を交わすのを見ていると、気になる言葉が飛びこんできた。
「しょうがないよ。国王さまがあんなことになって、
困ったように女主人が笑っている。
「だけど、ほんとならもっとどんちゃん騒ぎができただろう? 俺はここへ酒を飲みに来てるっていうのに」
「そうそう。十年に一度の特別な葡萄酒、あれが忘れられなかったのになぁ」
「こら。あんまり大声で喋るんじゃないよ。誰が聞いてるか分からないんだ」
「こんな場末の酒場に
「どこが場末の酒場だって?」
「こりゃ失礼」
はははは、と会話は笑いで〆られたようだった。
信乃は、陽生さまは無事ですと答えたい気持ちをぐっと堪えた。一方で、彼女たちは陽生のことを好いているのだろうということが推察できて、ほっと胸を撫でおろす。
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