挿話 陽生(一)
第二王子
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南側を海に、北側を山に囲まれた、大陸のほぼ南に位置する
常春という恵まれた気候のおかげで順調に産業の発展していった、歴史ある国だ。そのゆるやかな中央集権制は王族によって維持されている。
しかし地方の隅々まで清らかであるかと問われたら、必ずしも首を縦に振ることができないのも事実である。過剰に税を設定して、民から搾取しては私服を肥やしている豪族がいるのだ。
(富める者が不当に富めるような仕組みは是正すべきだ)
第二執務室。
机の上に広げた書類を眺めて、第二王子・
頭痛がしてくるのをごまかすようにこめかみを抑える。
(貧富の差は埋めることができなくても、縮めることはできるのではないか)
椅子の背もたれに体を預けて瞳を閉じる。
こん、こん。
「どうぞ」
「失礼します」
扉が二回叩かれて、おかっぱ頭の従者・
陽生が物心ついたときから傍らにいる。彼の一族は代々、国王付きなのだ。
性格を表すのに真面目とか堅物という表現がこれほど似合う人間もいないだろうと陽生は考えている。
思春期に、己の真面目さをこの従者にすべて贈ってしまったが故に今の奔放な自分ができあがったと言い放ったときは本気で説教されたものだ。
さらに最近では従者というよりお目付役というか監視役に近い振る舞いをしてくる。
「陽生さま、郁李さまがお待ちです」
「すぐに行くと伝えてくれ」
陽生は書類をまとめて立ちあがる。
今日は妻・
つい数日前のことだ。久しぶりに、定期的に行ってきた地方視察へ赴くことを伝えると、郁李は同行したいと志願してきた。
たいていの豪族は自らの発展に関わらないことには興味がないという印象がある。郁李の申し出は、陽生にとっては意外なことでもあり、国の現状を知りたいという意志をうれしくも感じた。
「ん? 何か顔についているか?」
丹生が三白眼を向けてきていることに気づいて、陽生は尋ねる。
「いえ。ただ、覇気に欠けると思いまして。我が主はたとえはったりでも、常に気合いに満ちている御方だった気がするのですが」
どうやら、数ヶ月前に行われた婚礼の儀以降、静かすぎると言いたいらしい。
確かにこれまでの陽生は、宮殿を抜け出して城下町のみならず地方へ遊びに行くことも日常茶飯事だった。
しかし結婚してからは一日の殆どを第二執務室で過ごしている。
元々病弱だった第一王子・
彼からも、父親……国王からも、国の未来を頼むと言われている。
しかし。
(……分かってるよ)
丹生の言いたいことは、そういう類ではないのだろう。
いい加減に気持ちを切り替えて己のなすべきことに向かえ。顔にそう書いてある。
何でもお見通しのくせに決して陽生にあまくない従者に、陽生は大人げなく頬を膨らませた。勿論、ほんの少しだけ。
(いい天気だなぁ)
あっけらかんと、晴れた空。雲ひとつない。
陽生は日差しの眩しさに目を細める。
最近は窓の外を見ようともしていなかった。景色を意識的に眺めるのはいつぶりだろうか。
向かったのは宮殿の入り口。
馬車で陽生を待っている妻に、陽生は微笑みかける。
「郁李。なにも馬車で待たなくてよかったのに」
郁李は陽生の姿を見ると顔を綻ばせた。今日は黒を基調とした体型に沿うワンピースを着ている。
地方に行くのだからおとなしめに、と頼んだところ、宝飾品も少なめで華美ではない。しかし地味な服でも陽ノ国随一の美女だと名高い彼女に着られれば一気に華やかな装いとなっていた。
「わたくしが待ちたかったのです。陽生さまと公務に出られるのが楽しみで、はりきってしまいました。今日は宜しくお願いします」
「
馬車に揺られながら陽生は皮肉を述べる。
なにせ彼女の父親、宝積こそ陽生の頭痛の原因でもあるのだ。
欲望を煮詰めたような男で、私利私欲の塊。そしてそれ故に悪い話は枚挙に暇がない。
自らの父親への文句を否定せずに郁李は肩を竦めてみせた。
「お父さまの振る舞いについては、わたくしも行き過ぎだと思っております。いくら進言しても聞く耳を持っていただけないので諦めてしまいましたが、陽生さまに気に入られる為に今後は変わってくるかもしれませんね」
「……郁李は、宝積殿のことをどう思っているんだい」
陽生は思いきって尋ねてみる。
ふたりが宮殿から離れた地で会話をするのは初めてだった。
「そうですね。もう少し、お痩せになればいいのにと思っております。というのは半分冗談で、もう少し他者を慮るようになってくれたらいいのにと感じることはあります」
冗談混じりの返答に陽生は笑う。
人質として郁李を妻に
第一王子の妻ではないから子どもの王位継承権は下がるが、人気もあり行動力のある第二王子の妻としてなら、了承するだろう。
そうすれば
温厚な父親からそのような言葉を聞いたときは心底眩暈がしたものだ。
どれだけ穏やかな男でも自国の為なら息子を犠牲にできる。それが王の本質。
しかし、一族と婚姻関係を結べば、陽生自身も悪政に口出ししやすいだろうと思って了承した。
そんな己もまた、紛れもなく王の息子であるのだろうと笑うしかなかった。
郁李は華衣一族のなかでも親しみやすい部類に入る。
美しさを鼻に掛けるようなこともない。植物学者として勤勉で、研究に勤しんでいる。主な分野は薬に適している植物の発見と開発なのだという。
あの父親からよくこんな娘が育ったものだ、という意見はおそらく本人の耳にも届いているにちがいない。
『もし万能薬が開発できたら、第一王子のご病気を治せるのにと思います』
初めて会話をしたときに言われたことだ。
華衣一族のなかにも、他人のことを考えられる人間がいることに陽生は驚いた。そして、彼女ならば国を愛してくれるだろう。自分も、彼女を妻として大切にできるだろうと考えた。
「ところで、植物園はどうだい」
陽生は郁李の為に、宮殿内に植物園を造らせた。陽生が第二執務室にいる間、妻は植物園にいるらしい。
「はい。温度や湿度を調整できるすばらしい施設ですね。わたくしにはもったいないくらいです。陽生さまがあんなにすばらしいものを与えてくださったことを、心からうれしく思います」
郁李は、陽生の手に自らの掌を重ねた。
陽生の体温より遙かに高い。温かさが直に伝わってくる。
そして、郁李は陽生を潤んだ瞳で見つめてきた。
「郁李?」
「わたくしは陽生さまの見ている世界をもっと知りたいのです。あなたに近づきたいのです。あなたを、愛しているから……」
ふたりきりの、箱形の馬車のなか。
郁李が陽生の肩に頭を預ける。
わずかに躊躇った後、陽生は郁李の体をほんの少し引き寄せた。
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