初恋の終わり
*
数日後。
陽ノ国から、帰ってきた後。
常春の陽ノ国と、寒さの厳しい雨ツ国の差を、信乃は皮膚で感じていた。
(やっぱり、陽ノ国は暖かい国だったんだな)
しっかりと上着を着込んで出かける。
信音は温度差にやられたのか風邪を引いて寝こんでいるが、今のところ信乃は元気だった。
信乃にはどうしても行かなければならない場所があった。
それは紗絢の家。
「おかえり、信乃」
玄関に紗絢が待ち構えていた。
両腕を組んで仁王立ちになっている。なのに、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「信乃は、ばかよ!」
「わたしもそう思う。だけどきっと、そういうものなんだよね」
信乃が笑って答える。
無理やりつくった表情に見えたのだろう。紗絢の瞳からぽろぽろと涙が零れた。
そして紗絢は手を伸ばして信乃をぎゅっと抱きしめる。
信乃は。
紗絢の肩に、頭を預ける。
「……失恋、しちゃった」
ふんわりとした紗絢の香りに、信乃は雨ツ国へ帰ってきたことを実感する。
初めて口に出したことで。
――初めての恋が終わってしまったことを、実感する。
「うん」
「好きだった」
「うん」
「最初はそんなんじゃなかったのに」
「……うん」
「気づいたら、好きだった」
「そういうもんよ」
信乃は顔を上げる。
重たく灰色の雲。まるで自分の今の心みたいだ、と思う。
「そういうもの、なのかなぁ」
「うん。信乃、きらきらしてたもの。たしかに恋をしていたのよ」
こんなに胸が締めつけられるように苦しいのは、どうしてなのだろう。
かんたんに終わらせてもらえないなんてひどい話だと、信乃は思う。
そして、髪切りの間に案内された信乃は、清め布の上に正座する。
雨ツ国の少女は初めての恋が終わると、髪の毛を伸ばす。
その宣言を、髪切士と髪結士にしなければならない。
信乃は、儀式を受けに来たのだ。
「本日から髪を伸ばそうと思います」
事情をどれだけ紗絢から聞いているかどうかは定かではないし、問うてはいけないのが決まりでもある。髪切士と髪結士の夫婦は顔を見合わせて深く頷いた。
「承知いたしました。それでは、私の方から髪飾りを贈らせていただきます。こちらをお受け取りください」
瀬名が小さくて細長い桐箱を差し出す。
「謹んで賜ります」
「はい。どうか、信乃さまに、新しい世界が開けますように」
受け取った信乃が箱を開けると、そこには硝子玉の飾りがついた
少女が髪を伸ばすと誓うとき、髪結士から、もっとも似合う髪飾りが渡される。
(
信乃は両手で恭しく簪を手に取る。
新しい息吹の到来を、自らのなかに感じる。
すると髪切りの間に紗絢が飛びこんでくる。紗来が止める間もなく、紗絢は信乃を抱きしめた。
それから身を離して、親友同士額を合わせる。
「あたしが選んだの。信乃に、いちばん似合う髪飾り!」
「ありがとう。……ありがとう、紗絢」
ようやく、信乃の頬にも涙が流れていく。
一度堰を切ってしまったものはかんたんには止まらない。
うれしくて、苦しくて、切なくて。
それでも、うれしかった。
だから、まだ、苦しい。
咲かなかった恋の花は、蕾のまま萎れるのだろうか。
それとも枯れてしまうのだろうか。
まだ、信乃のなかには蕾がある。
(だけどこの苦しさを乗り越えないと、前に進めないんだ……)
涙を流しながら、嗚咽を漏らしながらの、信乃の決意。
こうして。
信乃の初恋は、十六歳を迎える前に。
想いを伝えることもなく。
終わりを、告げたのだった――
【第二話 了】
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