きらきらしてる


 工房に到着すると、信乃は紗絢を長椅子に座らせてから暖房を入れる。小さな火鉢に特殊な火付石を入れることで、わずかではあるが室内を暖めてくれるのだ。

 ただ、それまでが寒すぎる。

 両手を擦り合わせてなんとか温めつつ、火を起こしてお湯を沸かす。

 それから、信乃はしゃがんで李蜜の瓶を開けた。甘ったるい香りとどろりとした蜜が目に入る。


「そうか。郁李って、すももの品種か」


 思わず呟く。初めて陽生が李蜜を飲むか訊かれたとき、不思議な反応をした理由をなんとなく理解する。

 お湯が沸くと、信乃はふたり分の李蜜のお湯割りをつくって机に置いた。

 甘い香りと湯気が立ち昇る。

 紗来が持たせてくれた包みを開くと、串に刺さったみたらしだんごが入っていた。

 まだ紗絢は俯いたまま、作業机の前に座っている。それでも両手で湯呑みを持ち、ゆっくりと李蜜のお湯割りを口にした。


「少しは落ち着いた?」


 向かいに腰かけて信乃が尋ねると、紗絢は大きく頷いた。


「……もう、いやになっちゃう」


 からだが温まってきたからか笑みを浮かべる余裕が出てきたようで、みたらしだんごを頬張る。


「分かってるけど。分かってるから、あらためて言われたくなかった」

「ねぇ、紗絢」


 信乃もみたらしだんごをいただく。

 あまじょっぱいたれがもちもちの団子に程よく絡まっていて美味しい。

 信乃は、問う。


「恋って、何?」

「何、ねぇ」


 紗絢は大きく息を吐き出した。


「うれしくて、苦しくて、切なくて。だけどやっぱりうれしくて幸せになれるものよ」

「紗絢、なんだかきらきらしてる」

「だってそれが恋だもの」

「……兄さまに対して、ずっとそうだったの?」

「当たり前じゃない。だから信音さまの視界に入るよう、目に留まるよう、日々努力しているのよ」


 髪型も、小袖も。

 身につけるものだけではなく。

 たとえば口元。指先。立ち方、歩き方。笑い方。話し方。

 紗絢のすべては信音の為にあるのだ。

 断言する親友を見て、信乃は微笑んだ。


(やっぱり、きらきらしてる)


 初恋もまだの信乃にとっては未知のことばかりだ、と思う。

 そして、紗来の言葉を受けて考えたことを提案する。


「考えたんだけど、一度、ちゃんと兄さまに気持ちを伝えるべきなんじゃないかな」

「え?」


 突然の提案に紗絢が目を丸くした。


「わたしがっていうのもあるけれど、今まで、紗絢がどれだけ兄さまのことを好きかなんて考えたことがなかったもの。きっと兄さまの方がわたしより鈍感だろうし」

「……それもそうね」


 みたらしだんごを食べ終わった紗絢は、串を置くと勢いよく立ちあがった。


「ありがとう、信乃。思い立ったが吉日! 今から告白してくる!」

「ちょ、ちょっと? 紗絢?」


 工房を飛び出した紗絢に、信乃はただただ驚くばかり。肩をすくめて、ひとりごちる。


「……元気が出てよかったけれど」


 おそらく舗道をものすごい勢いで駆け下りていったに違いない。

 さっきまでとの勢いの差が凄まじい。

 想像して、笑ってしまう。


「うれしくて、苦しくて、切ないもの、か」


 誰かを好きになるということについて、今まで信乃は考えたことはなかった。

 春まで通っていた学び舎でも恋愛話はあった。しかし蚊帳の外だったし積極的に興味を持とうとしてこなかった。信乃の興味の対象は常に『雨』の加工だったし、今だってそうだ。

 だから紗絢が信音に恋をしているということも、文字としては知っていたが、意味を理解していなかったのだ。


(どうして今になってそんなことを思うのだろう?)


 机の上を片づけてから、火鉢の暖を消した。

 一気に室内の温度が下がる。

 うれしいのに、苦しくて切ないとは、一体どういうことなのだろう。

 誰かに自らの感情が向かって、きらきらすることが自分にもあるのだろうか?


 恋?

 そうじゃない。

 それだけは違う。

 当てはめてはいけない、と思ったのは、誰のことだろう。


「……まさか、ね……」


 信乃は首を左右に振った。

 外に出て、灰色の空を見上げる。


(降り出してきたなぁ)


 風花はいつしかしっかりと重たい雪に変わっていた。

 指先が寒さで痺れる。雨でも雪でも傘は使わないものの、どんどんと体に降り積もる冷たさに帰り道を急ぐ。

 焚きつけたつもりはないが、紗絢が信乃の提案に勢いづいてしまったのは事実だ。

 陽生たちもいる場所でどうやって告白するのか心配が先に立っていた。



 館に戻ってきたところで玄関に紗絢の草履がないことを見て、信乃は中庭に回る。


「紗……」


 中庭に紗絢の立ち姿が見えた。

 声をかけようとして、信乃は立ち止まる。

 肩で息をする紗絢の頬は紅く染まっている。

 そして向かい合うようにして縁側に立っているのは、いつも通りの、信音。

 さらに奥の大広間には、陽生と丹生が座っていた。

 やはり紗絢は、客人にかまわず告白しようとしていた。

 信乃が止めるべきか躊躇したとき。深呼吸の後、紗絢が大きな声を上げる。


「信音さま。あらためて申し上げます。あたしは、信音さまを幼少の頃からお慕いしております!」


 紗絢の頬。まるで椿の花のようだと信乃は思った。

 一方で、信音の表情はみるみるうちに困惑の色を濃くしていく。


「……紗絢? 突然、何を……」


 それに紗絢は気づいていないようで、一気にまくしたてる。


「叶うことならば一生を添い遂げたいとも、思っています! これまで一度もお尋ねしたことはありませんでしたが、信音さまは、あたしのことをどう思いますか?」


 影で見守る信乃は胸の前で小さく両手を組み合わせる。

 鼓動が速くなっているからだろうか、さっきまでの寒さが嘘のように全身が熱い。

 まるで雪が降る音も耳に届くような、刹那の静寂。

 それを破るかのように。


「ごめん」


 信音の静かな声は、椿がぽとりと花ごと落ちるように中庭に吸いこまれた。


「まさかそこまで想ってくれているなんて知らなかった。だけど、君は妹の親友であり、昔も今も、かわいい、……もうひとりの妹のような、存在なんだ」


 言葉を受けて、紗絢の顔色が今度はどんどん青ざめていく。

 そして踵を返すと信乃の脇をすり抜けて走り去って行った。


(泣いてる……!)


「紗絢っ!」

「信音殿」


 追いかけようとした信乃の足を止めたのは、陽生の声だった。

 すっと立ちあがった陽生は、縁側まで出ると、信音と向き合う。


「君たちの間にどのような時間が流れてきたかは知らない。しかし、戯れに引っ掻いたつもりでも傷つけられた方にとっては致命傷となる場合だってあると言ったのは、君自身じゃないか」


 信音は俯いて声を発さない。

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