雨鉱山
*
雨晶は、水晶の
一方で雨刀は、地面に染みこんだ雨を素材とする。地中で時間をかけて浄化された雨は、地下の空洞部分でゆっくりと結晶化していく。透明度は雨晶より劣るものの、硬度は火廣金に勝るとも劣らないといわれている。その塊を敢えて高温で融解し、鍛錬していくというのが基本的な作業工程。
つまり雨鉱山とは、地下鉱山のこと。
そして鍛冶場の庭が、雨鉱山への入り口。
ここは鍛冶場の庭である。庭といってもかたい地面しかない空間だ。隣は大きな作業場で、今も大きな音が響いている。
信音の説明を、陽生と丹生、たっつけ袴に着替えた信乃は静かに聞いていた。
説明を終えると信音は全員に頑丈な鋼帽を配る。
「安全の為に被ってください。今からひとりずつ降りていただきます」
鋼帽は硬く分厚く、顎紐をしめるとぴったりと信乃の頭にはまった。
雨晶の加工士になることを選んだ信乃にとって、実は、雨鉱山に入るのは初めてだ。
「底が見えない……」
大人がやっと通れるくらいの幅の縦穴に、梯子がかかっている。
信乃は未知の世界に思わず唾を飲みこむ。
「降りてみればあっという間さ。それでは僕から降ります。着地したら合図を送りますので、次の方が来てください」
信音の姿が穴に吸いこまれていく。しばらくして、高い笛の音が響いてきた。
「これが合図かな? 丹生、先に行くぞ」
続いて陽生が躊躇うことなく梯子に足と手をかけて降りていく。
ふと残された丹生と信乃の視線が合う。
すると、丹生は信乃を睨んできた。
信乃が驚いて怯んでいると、丹生は合図の後にさっさと降りて行ってしまった。
「えっ、ちょっと?」
思い出してみれば、信乃と丹生は会話を交わしたことはない。しかし危険な目に遭わせてきた張本人も丹生である。謝罪ならまだしも、睨まれるいわれはない。
(なんだか、嫌な感じがする)
それでも合図は聞こえてきた。信音が笛を吹いているのだろう。
信乃に降りない選択肢はなかった。
慎重に梯子を掴むと冷たさが掌に直に伝わってくる。滑ったら怪我をするのは確実だ。慎重に、一歩ずつ、地下へと進む。
梯子の終わりから信乃が地面に立つと、三人が立って待っていた。
(思ったより広い……!)
初めて目にした雨鉱山の内部は、薄暗い乳白色の世界。入り口からは想像もつかないくらい奥に広がっている。
ごつごつとした表面を剥き出しにした、人間の手によって掘り進められた洞窟だ。大人の目線の高さに等間隔で豆電球のような小さな灯りがついていて、全体をなんとか照らしている。
寒いかと思ったが、地上よりも暖かく感じられた。
「これが、結晶化した『雨』」
信音は手近なところで岩に埋まっている輝きを指差す。
それは信乃が水晶の瓶に集めている液体とはまるで別物だった。既に緻密な結晶構造になっている。
陽生が結晶に触れ、顔を近づけ、息を呑む。
「すごい……」
「凍ってはいないけれど水で滑りやすくなっているから、足元に気をつけてください」
背の高い信音や陽生でも問題なく歩ける高さと幅のある坑道だ。
信乃は、三人の後ろをゆっくりと歩いて行く。
視線は気づくと陽生の背中に吸い寄せられていた。陽ノ国が常春だというのなら黒い外套は特別につくってもらったのだろうか。
背丈の同じ信音よりも肩幅が広いおかげで体躯はひとまわり大きく見える。
ふと、信乃は、事故とはいえ二回も陽生に受け止められたことを思い出す。
服の上からとはいえ筋肉質の引き締まった体は信乃をしっかりと守ってくれた。
(いやいやいやいや。わたしったら何を!)
急に冷えていた体が熱くなる。早朝と同じ感覚に慌てて両頬を叩いた。
陽生のことを考えないようにしようと努めた結果、信乃は立ち止まった。立ち止まって、壁を見つめる。
「もしかして」
胸が高鳴る。
壁となっている岩から滲み出ているものに、意識して触れてみる。よく知る水の感覚だ。これが染み出してきた雨だというなら、集めて煮詰めたら雨晶もできるのだろうか。
信乃は小さな水たまりができているところでしゃがみこみ、両手で水を掬ってみる。透明度は水晶の瓶にたまったものにはほんの少し劣るかもしれないけれど、じゅうぶんに信乃の顔を映し出してくれた。
「兄さま、……」
信音に液体を持ち帰る許可をもらおうと顔を上げる。しかしそこには信乃以外誰もいなかった。
「あれ?」
いつの間にか置いて行かれたことに気づき冷や汗が流れる。
急がなきゃ、と言い聞かせるように呟いて信乃は歩き始めた。
そして、急に視界の先が明るくなる。
道の終着点には、地底湖が広がっていた。
どんな青とも違う、乳青色。まるで一枚の青い板のように静かな湖面だ。
「すごい……」
鳥肌が立つ。体が震える。信乃は、両腕で己を抱きしめた。
鼻の奥が熱い。こんな光景があるのならもっと早くに出合いたかった。
雨刀の加工士への道を選ぶこともできた。何故なら母親が、かつて雨刀の加工士だったから。母の打った雨刀は、武器というよりは装飾品として国内外問わず喜ばれるものだった。
母はこの光景を知っていたのだと思うと、泣きそうになる。
湖のほとりでは信音と陽生が立って会話をしていた。
ところが、聞き慣れた声を纏う不穏さに信乃は話しかけることができない。
「ぼーっとしていてはぐれるなんて、間抜けなところもあるんだな」
「一度集中し始めると、周りが見えなくなるんだ。おおかた、初めて見る景色に心を奪われていたんだろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます