同一人物


「なるほど。足元にも外灯を据えるというのは面白い」


 雪は降っていないものの、雲はまだ重たく、空気は刺すように冷たい。信乃は柿色に染めた羊毛の羽織を着込んでいるし、陽生と丹生は分厚い外套を着込んでいた。

 雪道を歩きながら、信乃は雨ツ国を案内して回る。

 温度や湿度に応じて快適に過ごせるように木造建築が多いことや、冬には融雪用の粉末が自由に散布できるように設置されていることなど、普通だと思っていたものにことごとく驚かれるのは信乃にとって新鮮な出来事だった。

 常春の陽ノ国では想定されないことなのだろう。

 陽生が興味深そうにいちいち設備を確認する。


「霧深い里だからこその工夫が活かされているんだな」

「そう言っていただけるなら案内しがいがあります」


 信乃は安堵する。

 考えた末に、当たり障りのない接し方をしようと決意した。そもそも、王子の戯れの意図なんて考えたって分かる筈がないのだ。

 おしとやかにしろ、という長老の言葉を守ってふるまえば大丈夫だろう。

 雨ツ国は便宜上、国という名を冠しているが、実際には集落ほどの広さしかない。あっという間にめぼしいところは一周してしまった。

 昼食が館で用意されているから戻ろう、と信乃が声をかけようとしたときだった。


「ところで信乃殿。案内してくださったお礼に、私にもお連れしたい場所があるのですが」

「はい?」


 信乃は首を傾げた。

 秋だってたいして遠出をした訳でもないのに、雨ツ国の地理に疎い陽生が連れて行きたいと申し出る場所を想像することができなかった。



 そして連れて行かれたのは予想外の場所。

 雨ツ国に流れる川の下流、岩場だった。


「ここは」

「……陽生さま」


 ふたりの後ろで額に青筋を浮かべて溜息を吐き出したのは丹生だった。


『こちらの御方は陽ノ国第二王子、陽生さまにあらせられます』


 従者の言葉が信乃の脳内に蘇る。

 ここは、陽生が正体を明かしたときの場所だった。

 川の前にしゃがみ、陽生は流れてゆく水面を見つめる。

 手を水に晒して一瞬で引っ込めた。


「へぇ。おそろしいくらい冷えているのに、流れる水は凍らないんだな」

「えぇと、陽生さま?」


 信乃はどう反応すればいいのか言葉に詰まる。


「見せたいものがあると言っただろう」


 振り返った陽生が立ちあがり、信乃の目の前まで歩いてくる。

 向かい合うと、外套のなかに手をつっこみ、ごそごそと、首にかけていたものを取り出した。

 それは信乃にとって、誰よりも見覚えがあるものだった。


「わたしのつくった雨晶あまきら……!」


 こぶし大の雨晶は、細い白金で編むように囲まれている。雨晶の表面に合わせて最大限輝けるように組まれた金属は、どう見ても火廣金ひひろかねだった。

 削って仕上げる技術のない陽ノ国では持て余されるだろうと思っていた、大きな雨晶の結晶だというのに。

 見事に装飾品となった雨晶は黒い紐で首にかけられる造りになっていた。


「肌身離さず持ち歩いている。美しいだけではなく、心なしか、身につけているとからだが軽くなるような感じがあっていい」

「……あ、ありがとうございます」


 信乃は視線を地面に落とす。

 半人前の信乃から陽生が無理やりに貰ったものだ。


 たしかにこの雨晶は、周囲にひとがいるときに見せてもらっては困るものだった。

 一方で、希少な火廣金を使ってまで装飾品にしてもらっているという事実。

 そのままにしておいたときよりも煌めきが増しているように信乃には感じられた。

 作者としては感激もひとしおではある。

 ……勿論、極力表情には出さないが。


「それにしても、たっつけ袴以外も着るんだな。梔子色、とても似合っていた。まるで別人かと思った。びっくりしすぎて思わず初対面だという芝居を忘れてしまった」

「はい?」


 今度は陽生が気まずそうに視線を逸らし、口元に空いている左手を当てる。


「練り紅も似合っていた。贈り甲斐があった」

「えぇと、陽生ヨウセイさま?」

「そう呼ばれるのはかえって気恥ずかしいな」


 陽生が苦笑いを浮かべた。それから、雨晶へと繋がる紐の部分を恭しく両手で首にかけ、外套の下に隠す。

 信乃にとっては再びどのように接していいのか、感情が迷子になりかけていた。


 改めて、陽生ヨウセイ陽生あきおなのだと認識せざるを得なかった。


(……練り紅に気づいていたなんて)


 言葉にされたのが気恥ずかしくて、信乃はまた視線を地面に落とす。

 雪の中庭で話をしたときから陽生の顔をまともに見ることができずにいる。


「また雨ツ国に来ることができてよかった」

「ごほん」


 丹生がふたりの後方から咳払いをする。


「あまり私的なお話はお控えくださいませ」

「丹生は堅物だな。少しくらいいいだろう。それとも、この場所がいやなのか? おれに負けたから」

「ひとこと余計です」


 従者に本気で睨まれた主は、まったく気にすることなくけらけらと笑う。


(もしかして)


 私、という一人称を用いるときは王子。

 おれ、のときは、そうでない振る舞いをしているのだろうか。

 信乃はようやく気づく。

 そして。

 ここへ来たのは、雨晶もだが——陽生あきおとして信乃と話をしたかったのだろうか。


(まさか)


 信乃は首を横に振る。

 そうだとしたらうれしい、と思ってしまった気持ちを打ち消すように。


(意味は考えないって決めたんだから!)


「そろそろ館に戻りませんか?」


「そうだな。昼食後は信音から雨刀あがたなをいただくことになっているし。雨鉱山というところへ行くのだろう? 待ち遠しくてたまらない」


 陽生は、心底楽しそうに背伸びをした。


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