「主」の正体
*
「……ここは」
信乃がうっすらと目を開けると、両手を背中の後ろで縛られたまま、地面に転がされていた。よく見ると両足も縛られている。
さらには四人の黒装束に囲まれていた。
景色から推測するに、平屋よりも下流の小川沿い。夏には川遊びをするような視界の開けた場所だ。
敵も土地勘はないのだろう。そこまで工房からは離れていない。
「意識を取り戻しましたか」
話しかけてきた首領は、小川の脇にある大岩に腰かけていた。その手には信乃の小刀が光っている。角度を変えて、首領は光を楽しんでいるようだった。もう片方の手にはご丁寧に投げた筈の鞘がある。
「これが噂に聞く『
「殺せるものなら殺してみなさい」
「威勢のいいお嬢さんです。しかし、大事な取引材料をみすみす失いはしません」
「……え?」
「信乃!」
そのとき。
信乃の疑問を解消するように、遠くから誰かが信乃の名前を叫んだ。
颯爽と駆けてくる人間に信乃は驚きを隠せない。
「どうしてあなたが」
――川辺に現れたのは。
信音でも、雨ツ国の者でもなく。客人である陽生だったのだ。
その表情には、態度には。力強さが漲っている。
「待ってろ、今助けるから」
高みの見物を決め込んでいる首領を除いても、一対四。
しかも、黒装束は陽生より遙かに体格がいい。どう判断しても、陽生の方が不利だった。
信乃は焦りを隠さず反論する。
「何でひとりで来たんですか。他のひとはっ」
「それは」
答えかけた陽生が、突進してくる一人目の右腕をさっと掴み突進する勢いを利用して引っ張り、絶妙なタイミングで足払いをする。ぐるん、と一人目の体が回転してそのまま地面に打ちつけられた。
華麗にして一瞬。
ぽかん、と口を開けた信乃に、構えを崩さないまま陽生は言葉を続けた。
「おれが強いから、さ」
「くっ。この期に及んで往生際の悪い」
首領が忌々しそうに、どこか違和感のある言葉を吐き捨てた。
しかし陽生は余裕を見せて、手招きまでする。
「一対三でも余裕だぞ。かかってこい! 相手をしてやる!」
三人が連携して襲いかかってくるのを鮮やかにさばく陽生を目にして、信乃は驚きのあまり固まっていた。
(すごい……! 強すぎる……)
明らかに素人の、旅商人の動き方ではない。
鮮やかな闘い方にいつしか信乃は目が離せなくなっていた。胸の鼓動が高鳴る。
(ほんとうに……お忍びの豪族だっていうの……!?)
「残念だったな。全員鍛錬が足りてない」
「まったくです、ほんとうに不甲斐ない話です。師範代を集めても一撃とは」
いつの間にか首領が信乃の隣に立っていた。
溜息をつくその姿は、他の四人とは明らかに威圧感が違う。
「こうなれば仕方ありませんね。人質として利用させてもらいますよ」
見下してきた首領と信乃の視線が合う。
背筋を凍らせるような冷たい瞳に、信乃は二回目の違和感を覚えた。
(柘榴色の瞳……!?)
その意味するところは――
信乃が首領へ問いかけようとすると、首領は信乃の首元へ雨刀の切っ先を向けてきた。
「この女の命が惜しければ大人しく降参しなさい!」
「おいおい。何の冗談だよ」
笑みを浮かべたまま陽生が両手を挙げる。
地面に目線が近い信乃しか気づかなかった。
僅かな動作だった。陽生が足元の小石を蹴る。それが黒装束から覗く肌に、ぴんっ、と当たった。反射的に首領が身を反らしたところを陽生は見逃さない。悪い足場でもぐっと踏み込み、後ろ蹴りを放つ。
「ぐあっ!」
首領は吹っ飛んだ勢いで雨刀を手放す。その柄を陽生は空中で掴むと、倒れた首領へ馬乗りになってすかさず顔の横に雨刀を突き立てた。
どすっ!
すべてが刹那に起きたことだった。
「俺に勝てると思うな」
凄みの滲む囁きと威圧。黒装束の首領は耐えきれなかったようで視線を逸らす。
敗北を認めたことを確認すると、陽生は信乃のもとへ駆け寄った。雨刀で縄を切り、信乃の体を起こす。
「痕は残っていないな。よかった……」
「すみません。助けていただいて、ありがとうございます」
「おれこそ、こわい思いをさせてすまない。信乃には迷惑をかけてばかりだ」
「え?」
陽生の後ろで、首領がむくりと起き上がる。
「陽生さま、危ない!」
「……いや、違うんだ」
すると、首領が静かに顔の布を取り去る。
そこには陽生と同じ瞳と肌の色をした、耳の先が尖った青年の顔があった。髪型はおかっぱで、一重の三白眼はやはりきつい印象を与える。
「大変失礼いたしました。あまりにも主の往生際が悪いので、手荒な手段に出てしまいました」
「……え?」
主、という単語に忌ま忌ましさを込めての告白。首領は陽生の後ろで片膝をついた。
陽生が後ろを指差す。
「こいつはおれの従者で、名を、
「……信乃さま、申し訳ございませんでした」
「どうしてわたしの名前を。一体、どういうことなの。説明してください」
丹生、と紹介された男が答える。
「こちらの御方は陽ノ国第二王子、
突然のことに信乃は言葉を継ぐことすらできない。
口をぽかんと開けたまま、陽生を頭から足元まで眺めるしかなかった。
王族の気品。ないとも言いきれない。しかし。
『陽生さんって実はお忍びの豪族なんじゃないかしら』
紗絢の言葉が信乃の脳裏に蘇る。
(豪族ではなく、王子本人ですって!?)
よほど信乃は衝撃を受けた表情になっていたのだろう。
気まずそうに陽生が頬をかいて信乃から視線を逸らす。代わりに口を開いたのは丹生だ。
「数日前のことです。陽生さまは辺境地域を視察中に行方不明になりました。ご病気だということにして捜索しておりましたが、まさか雨ツ国にいらっしゃるとは思わず時間がかかってしまいました。そして、お迎えに上がろうとしたものの正攻法では戻っていただけず、このような手段を取るに至ったのです。我らとしては国へ戻るという言質さえとれればよかったのですが」
「お前が俺に勝てる訳ないだろう、丹生」
呆れたように陽生が口を挟む。
「このところ鈍っているかと思いましたが、流石でした」
(王子さまのお忍びに巻き込まれただけ、だというの……?)
ようやく事態を飲みこんだ信乃は、勢いよく立ちあがった。
「信じられない!」
落雷のごとき信乃の激しさに、陽生と丹生が硬直する。
信乃の怒りは続く。
「紗絢がどれだけ怖い思いをしたと思ってるの! その理由が王子さまの気まぐれですって? あなたもあなたなら従者さまも従者さまね!」
大声を張る信乃の瞳は潤んでいた。
陽生が一歩進んで信乃の前に立つ。それから、静かに両膝をついて、頭を下げた。
「すべて、おれの我儘が原因だ。申し訳ない」
誠実な謝罪だった。それは信乃にもきちんと伝わってきたが、怒りはかんたんに収まるものではない。
「紗絢だけではなく、信乃にも。心から、すまないと思う」
陽生がゆっくりと顔を上げる。
柘榴色の瞳のなかの信乃は泣き出しそうになっている。
「……館に戻ります」
陽生たちは引き留めようとはしなかった。
力なく信乃は場を離れる。
単純な話だ。
騙されていた、嘘をつかれていた、ただそれだけの話。
どこまでが演技で。
どこまでが、真の姿だったのか。
雨晶を褒めてくれた、あの笑顔は――
信乃の頬を涙が伝う。乱暴に拭って、歯を食いしばる。
どうして悔しいよりつらい気持ちの方がどんどん膨らんでいくのだろうか、と考えながら。
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