8日目

2#49 浮気



深い、深い、眠りに堕ちていく。



「おやすみなさい、皐月くん」



最近、いろいろあって、疲れた。


肉体的にも、精神的にも。


どうしてこんなことになったんだろうか?と常々考えていた。


何が原因だったのだろうか?


思考はまとまらない。今はただこの幸せな快楽に身を委ねて、眠りたい。



深い、深い、眠りに堕ちていく。




◇◇◇




夕暮れ、西日が差し込む薄暗い空き教室で俺は1人の女性に出会った。


夕焼けに照らされ、窓から外を眺める彼女の瞳は、しかし何も写してはいなかった。その表情はあまりにも無機質で、生きているかさえ怪しくて、まるで精巧に造られた人形の様。


その横顔に酷く惹き込まれたのを覚えている。


綺麗だ、と。


俺は自分の運命に出会った。



「ボクに何か用かな?」



彼女はこちらを一瞥もせず、表情をピクリとも変えずに俺に淡々と問うた。



「好きです。付き合ってください」



あまりにも端的に俺は彼女に自分の胸をウチを吐露した。



「……これまでにキミはボクと関わった事が会ったかな?ボクの記憶にキミと接した記憶がまるで無いんだが」


「そうですね。今が初対面です」


「ならば何故?」


「一目惚れです。今、好きになりました」



彼女が振り向き目が合った。相変わらずその表情に感情は宿っていない。彼女の瞳は全てを見通すように俺の瞳を覗き込んでいる。暗く、深く、深淵を見つめるような、その瞳に目が離せない。



「冗談では無いようだね。しかし、これは中々にタチが悪い」



彼女は俺から目を離し窓の外に視線を戻した。



「付き合ってあげてもいい。ただし、キミのその気持ちが本物かどうかは試させてもらおうかな」


「わかりました!これからよろしくお願いします!」



こうして俺は彼女と付き合い始めた。




◇◇◇




「ふぅ……」



彼女は1つ息を吐くと、再びこちらに向き直る。


二チャリと口元が歪んだ。表情に感情が宿る。それは彼女のいつもの表情。薄ら笑い、胡散臭さを醸し出す実に厭らしい笑み。



「さて、それでボクはキミをいろいろと試させてもらった訳だ」



そうして、いつもと変わらぬ偉そうな口振りで、彼女は語り出した。



「初めは半信半疑。一目惚れなど一過性のモノだと思っていた。キミとてボクのことを理解すればする程に離れていくと思っていたんだけどね。キミは実に馬鹿な男だ。ボクの事を理解していくに連れてキミのボクに対する想いもまた大きくなっていくなんてね。驚くことにキミの気持ちは本物だと言わざる得なかった。お陰様でボクも大分キミに絆されてしまったよ。まさか自分がこんなになるとは思っても見なかった」



あのまま温い幸せに浸かって日常を享受していればよかったと思わないでもないが、何分ボクは研究者だ。故にさらにキミを試してみたくなった。


実際のところキミならば乗り越えてくれると思っていたんだが……実に惜しかった。あと少しで乗り越えられたのにキミはしくじったね?


ああもしっかりと浮気されるとは思わなかったよ。


まぁ、低脳の突飛な行動を予測しきれなかったボクの落ち度もあるにはあるし、圧倒的なまでの力押しもあったから仕方がないと言えばそうかもしれない。


だかね。皐月くん。どれだけ言い繕うとも浮気は浮気だと思わないかい?


キミはボクに様々な感情をくれた。


だがキミはあまりにもボクに一途が過ぎた。ボク以外にまるで靡く気配すら見せなかった。それはそれで心地がいいものではあったのだけれどね。如何せんボクはそれで満足は出来なかったんだ。


もっと様々な感情を経験してみたいと思った。


だからね。キミからボクの記憶をまるっと消して見せたんだ。それでキミに好意を寄せる女を焚き付け、仕向けてみた。


正直な話、ボクはどちらに転ぼうともよかったよ。記憶を失っていてもキミはボクへの想いを貫くならばそれもヨシ。はたまた快楽に流されてしまってもヨシ。


分かりきった結果を観察するより、どちらに転がるか分からない事象を観察する方が面白いからね。


結果、キミはボク以外の女に手を出してしまったわけだ。


記憶が無かった?言い訳は聞きたくないね。


浮気だよ浮気。


それでなるほど理解したわけだ。


恋人に浮気される気分というのはこういうことなのだとね。


実に、実に最悪な気分だ。


自分の最愛の恋人が他の女とまぐわっているのを見せつけられるのは実に最悪の気分だよ。


ボク以外の女と触れて、重なり、交わっている。他の女を抱いた身体でボクを犯すのかと思うと気が狂ってしまいそうだ。


それだけボクはキミに入れ込んでしまっているわけでもあるわけだが。


まったく、あんなものを見せられたら気持ちが高ぶってしょうがない。この火照りをどう責任取るつもりなんだい、キミは?


これまでは色恋沙汰で姦しく騒ぎ立てる馬鹿な女共の気持ちなぞ微塵もわかりはしかったのだけれどね。


今は痛いほどに身を持って体感してしまった。


これはしょうがない。


ボクも結局は馬鹿な女の1人だったようだ。


色恋沙汰で右往左往するのは実に面白い。色に狂って人生を台無しにする馬鹿の多いのも頷ける。


ボクの人生も狂ってしまった、狂わされてしまった、皐月くん、キミにね。


ボクにはキミが必要だ。


いやはや、まったくもってボクは完全にキミに堕とされてしまっているわけだよ。


だからこそ、浮気されたからといって、他の女にキミを渡すつもりなど毛頭ないし、手放すという選択肢も存在していない。


キミのことは誰にも渡さない。


キミは、ボクの、モノだ。


今回の1件については「最愛の恋人に浮気されて嫉妬に狂う女の心情」を体験できたから多めに見てあげよう。


まぁ、許しはしないけどね。


キミにはしっかりと自分の犯した不貞を償って貰うよ。


なに安心してくれ、どうやって償ってもらうかは既に決めてあって用意も既に整っているよ。


準備がいいと思うかい?それもそうだ。どちらに転んでも同じことをするつもりでいたからね。


これはキミがボクへの想いを貫いた時のご褒美であり、そしてキミがボクを裏切った時の為の罰でもある。


心配しなくていい。


これはただキミとボクとが幸せになるためだけのモノだよ。



「それでは、皐月くん。キミがボクの元に来るのを、楽しみに待ってるぜ」






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