後編
口元に指が触れ反射的に体温を追ったが一瞬過ぎて分からず、代わりに口の中で転げた実が欠けてないと判った。
「丸呑みだよ、食べられたものじゃないからね」
忠告されるまでもないとその通り飲み込んでから、吐き出せばよかったのだと気づく。
「あとは藪蘭と千両の実をこの冬の間に、それぞれ同じ数だけ飲めばいい。夏頃には効果が出るそうだよ」
「効果って、何がですか」
あまり気色のいいものでない、実が喉を通過する感触に引き結んでいた口を開く。
「度を越した長寿にありがちな病で、落ち着くからと暗がりを好んで出られなくなったり、居続けたばかりに昼間ものが見え辛くなるというのがあってね、その3種を飲めばもと通り見えるようになるし、陽の下にも出られるようになるらしい。こっちに戻ってから少しく光が苦手になって困ってたんだ」
どう考えても自分には必要ない。それに長寿というのは、死んでこの世に留まっていたような手合いも含むのだろうか。
「それから相乗作用で心も晴れるそうだよ。陽の光や灯火、たとえ盲であっても、心身の健やかさに明かりは付き物ってことでもあるのかな」
心が晴れる、と胸の内で呟く。
「ちょうど実を探していたらここに3種類とも揃ってるだろ、家主は不在というから代わりに孫である君に返戻することにしたんだ。案外効くんじゃないかと思ってね、休校が終わればまた通学するんだろう」
言わんとするところを、漸く理解しつつも曖昧に頷いた。毎日景気悪げに登下校する姿を見ていたという百合小路の、自分への思いやりだろうが休校が夏まで続くとは思えないし、その頃には夏休みだ。
「ああそうだ、粒を増やすほど効きが強まるとも教わったけど、一粒ずつにしときなよ、実はどれも食用ではないし、園芸品種も混じってるようだから」
「園芸品種ってなんですか」
「人工的な品種。藪蘭と千両は問題ないけど、竜の髭って葉はもっと長いものなのに、ここのはだいぶん短いから手を加えてあるんじゃないかな」
家にあるのは矮性だといつか聞いていたのを思い出し伝えると、百合小路はやっぱりと頷く。
「効くかもしれないとは言っても、若い君じゃいつどう効くか実のとこはっきりしないから、こちらも何か不確定要素をと思ったんだ。だからまあ、試しなのはお互いにだよ」
分かるようで分からないと思ったのが顔に出たのか、百合小路はさり気ない調子で付け加えた。
「この場合、変種である竜の髭の実がこちらにとっての不確定要素。これで君同様、僕自身にも薬効が正しく出るか分からなくなる。時期もね」
「――ええと…」
気持ちゆっくり目の説明で理解した。したのだがどこか引っ掛かる。説明は終わりのようだったが、こちらが発言するのを待つつもりか黙って顔を向けるので、焦りつつ必死に頭を働かせると、案外早く原因を突き止められた。
「でもそれだったら、私には他の実を先に飲ませないですか?」
その上で竜の髭は変種でないのをと注意するのが真っ当で、初めから試しな相手にわざわざ不安要素を積み重ねたりしないと思う。
「だって君それ好きそうだったから、こっちに気づかないくらい熱心に眺めていたし」
何年か経ち、実の生る時期など拘わらずに下に目を凝らしている自分に気づいて、好きは好きなんだろうと思ったものだ。とはいえこの時はそんな理由かと脱力したが、いきなり知らない実を突き出されるよりはましだったかもしれず、
「それに僕と違う実を飲まされたんじゃ不安だろ」
という百合小路の言葉もその通りだったのだが、当の本人が飲んだのは表皮が剥がれた不完全な実で、しかもわざわざ選っていた。
「なんだ気づいてたのか」
「見たことなくて、観察してたので」
「あれは目に付いただけで特段意味は無いんだよ。でもお陰でわかり易く公平にはなった」
変種に加え僕が欠けた実で君は若年だと、広げた指を2本ずつ折る。互いに2コずつの不確定要素ということらしい。
「あとの2つってどれですか」
植込みの下辺りを百合小路は指差した。
「そこにあるのが藪蘭の実」
見ると示された場所に水仙葉に似た細長い、濃い緑の葉を茂らせた膝下丈くらいの植物があった。円状に茂った葉の中程から、黒い実を神楽鈴みたいにつけた茎が幾本か伸びている。同時に別の木陰にも同じ植物が生えているのに気づく。ずっとあったのだろうが目に入ってなかったのだ。
こっちが確かめたのを見て取ると、「あっちが千両」と今度は隅の小木を指す。ピラカンサではないかと思ったが、言われてよく見れば全然違う。厚みがあって側が緩いギザギザの葉が特徴的で、赤い実が上向きの房状に付いている。こっちはこっちで似た赤い実というだけで同じと信じ込んでいた。なんだか正月っぽいとも思っていたら、正月飾りによく使うと百合小路が話した。
話しながら藪蘭の黒と千両の赤い実とを数粒ずつ摘んでは、さっき同様口に放り、苦もなく飲み下す。
自身に効かぬわけないといった呷り方だが、長寿かという疑いは依然消えない。とはいえこちらとてまず気休めだろう。生霊のように何かしたわけでもなく、ただ祖父母のお陰なだけで効けばラッキーくらいのものだと思う。
「なるべく綺麗なものを、時期を逃さないようにね」
その割に萎んだ実や未熟なのも避けるのが無難だと注意が細かいし、こちらも教えられたことを心に留め、それぞれの実の場所を頭の中に焼き付けたりしている。
万にひとつ効いたとしても夏頃どころか、肝心な効き目さえはっきりしないらしいのに。
濃い青、どことなく紫がかった黒、鮮やかな赤。3種の実はどれも、色こそ違えどほど変わらぬ大きさの、滑らかな丸薬みたいな形をしている。
ひとつはもう飲んでしまって、残りをどうするかは自分で決める。
「鬼がでるか、蛇がでるか」
何が起こるか分からない。先の予測がつかないことだと、土間の柱に掛けてある日めくりの本日の諺にあったのが何気なく頭に浮かんで呟くと、思いがけず百合小路の反応がよかった。
「お誂え向きだなあ。知ってるかい竜の髭は蛇の髭とも言うんだって、鬼ならぬ竜が出るか蛇が出るかだ」
くくくと笑い、どこがどう受けたのか、はははと百合小路の高らかな笑い声が冬空に響く。その足元で残りの青い面々が、澄んだ空の色を掃いたかのような半透明の芯を晒し、清らな瞳のごとく天を仰いでいた。
※まずないとは思うのですが、実を口にしてみたりなさらぬよう、
お願い致します。
竜か蛇か 季早伽弥 @n_tugatsu18
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