竜か蛇か

季早伽弥

前編

 うららかな陽気が続いていた冬なかば、竜の玉が欠けているのを見つけた。

 

 竜の髭が落ち葉混じりに地面を覆う一画で、その毛足の長い深緑の絨毯みたいに群がり生える細葉の陰から、濃い青の艶々とした実があちこち顔を出していた。

 竜の玉と、この青い実にも名前があるのを知ったのは後のことで、この頃は大きさも近い数珠玉になぞらえ竜玉とか竜の実とか呼んでいて、庭に出て傍を通るときは何となく、下を向いて葉陰に実を探す癖があった。

 だから気づいたのだが、これ迄そんなのは見たことがなかった。


 しゃがんでよく見てみると欠けてはおらず、青い表皮の一部が丸く剥がれて、ごく淡い水色がかった半透明の芯が覗いていた。

 さらによく見回せばそこらに同じようなのが幾つもある。

 実は大抵下向きに付くが、葉に押され載っかるような格好や茎が短い所為だったりで上向いているのも結構あって、そんなのも含め概ね天辺あたりが剥がれ芯の覗いている様は、さながらたくさんの青い目玉を見下ろしているようだった。

 


 そういえば時折、小鳥がここら一面をつついているのを窓越しに見た。だとしても小鳥がこんなにきれいに皮を剥がすだろうか、それとも虫食いかと思案しつつ、無傷のをひとつ摘んで爪を立ててみる。

 表皮は薄く、すぐ下の芯は硬かった筈と力を入れ過ぎて、1個目は芯ごと欠けてしまった。軟骨くらいの硬さだったのだ。次は加減して爪の先で作った切れ目を抓み上げるようにすると、難なく丸っぽい形に剥けて新たな目玉が出来上がった。やっぱり小鳥かな、と見当をつける。


 にしても不味かったんじゃないだろうか、実を触った指先は嗅ぐと独特の青臭みがあって、苦い唾が込み上げてきそうだ。

 玄関先のピラカンサも赤い実が付くとしょっちゅう鳥が啄みに来るが、そちらは柔らかく、潰すと果汁が微かに甘く香るのに比べ、竜の髭の青い実は苦そうのみならず果肉もほぼ無くただ硬い。それでも瑞々しい様に惑わされ、どれかは柔らかく熟して美味しいのがあるんじゃないかと、つついてはみを繰り返した痕だったり


「何してるんだい?」


 驚いて、しゃがんだまま声のした方を振り仰ぐ。

 突然庭に現れた相手にあたふたしながら立ちかけ、頭上の枝に気づき、当たらないよう避ける。


「―――成仏したんじゃ……」

 立ち上がり直してどうにかそれだけ言うと相手、百合小路は漸く歩み寄ってきた。   

近づかれやや顔が赤らみドギマギするが、誰彼なしに見蕩れるのではというところをややで済むのは、ちょっとした記憶故だ。

「ああこれ、」

 ちょうど半畳形みたいになって群生しているのの、もう一方の縁に来て嬉しそうに言う。つられて改めて一緒に見ても、くっきりした深い青は、色の少ない季節にささやかでもよく映える。


「去年の秋以来だね、覚えていてくれて嬉しいよ」

 視線を戻し百合小路が言うのに返事を迷った。

 知ってはいるが初対面と大して変わらないと、今になって気づいたのだ。それに遅まきながら服装が様変わりしていることにも、生地が重そうで古めかしいデザインの学ランだったのが、どこからどう見ても現代人なハイクラス的ユニクロ風な装いになっている。

 あまりに普通に着こなしていて逆に気づかなかった。


「―――はい。あの、」


「成仏はしたよ」


 結局間違ってはいないと返事をし、服のことを言おうとしたら時間差でさっきの答えが返って来た。


「ちゃんと一旦は、だけど僕に憑いていた彼女らの想いの丈に引き戻されて、それぞれの願望を成就させてやらないと同じことだろうから、また暫くこの世に留まるんだ」


「幽霊に戻ったんですか?」

 にしては輪郭がくっきりしているし、血が通ってる感がある。もっとも自分に見えるのは生霊のみで、単なるイメージに過ぎないのだが。

 それともまた前と同じ状態なのだろうか。


「生身だよ。軽く言うと」

 

 それはそれで重たく言えばどうなのかと思いつつ、何とも返事のしようがなくて、はあともへえともつかぬ奇妙な声が漏れる。ちなみに彼女らというのは、百合小路を見初めた生霊のことだ。

 百合小路は元々万人を虜にする勢いな非凡な容姿に、好感度の塊みたいな人格を兼ね備えたという死霊で、偶然得た一時的な実体でもって廻った先々で、こうした生霊をどんどんくっつけていったらしい。しかもあの学ラン大学生の出立ちに優美な振舞いで、浮くどころかすっかり地域に溶け込んでもいたのは未だ聞こえる゛百合小路様゛の話からも知れる。

 そんな御仁だったのが、着る物が普通になったといって非常識な様々が変わるわけもなく、現に生身と聞いて疑問が浮かぶ。


「……あの、どこから入って来たんですか」

 ここは祖父母の家なのだが、2人とも旅行中で閉め切ってあるのだ。そんな際には親がいつもするように、脇通路にある土間につながる戸口から出入りする。この裏庭へは更に土間の裏口を開けて出ていたが、通路に面した戸は入ったら必ず内カギをかける習慣で、そうすると家の中を通り抜けることなくここに来ることは、無理ではないがまず不審者の類になる。


「脇の通路にある木戸を潜れると教えて貰った、君の生霊に。相変わらず元気だね、よく喋る」


「木…」

 脇通路の戸口は木じゃないし、鍵は絶対掛けている。それに――――意表をつくことが一遍に2つも出て視線が定まらず、周囲をキョロキョロと見回す。


「向こうの仕切り板のこと。あれは下半分が上がるよ、把手がないし随分使われなかったようだから、動かすのに少し力が要ったけど」

 百合小路が振り返った先は確かに木板の仕切りがある。裏庭と脇通路との境目を塞ぐためで、だがそういえばこの板は上下2枚に分かれていた。


「知りませんでした」


「忘れてるだけじゃない?君の生霊は知ってたんだし」


 言われた途端、割れた把手を剥がそうとする祖父の姿がうっすら甦ってきた。戸が壊れる前祖母と一緒に潜ったこともあった、昔は通路からも庭に出入りできたのだ。

 どうして忘れていたのだろう。


「それから彼女ならもういないよ」

 こちらが何と何に驚いているか百合小路はきちんと把握していたらしい。


「僕が木戸をちゃんと持ち上げられるか見届けてからだけど、本当に生身か疑ってたみたいだった」そう苦笑する。

 実は百合小路と知り合い、生霊JKらとの諸々を目撃したのは自分の生霊で、それらを朧気ながら自身が知っているのはある出来事に依ってと、特殊な状況だったのもあるかもしれない。なぜならその後の実体験で生霊というものは、幽霊っぽい性質に加え本人は知らないまま現れたり消えたりするもので、飛ばした自覚も、当然その言動も知る由がないもののようだったからだ。

 だとしても今の自分なら対面も可能な筈と期待したのだが、とっくに消えてしまっていた。しかも見つけた法則内に自らもしっかり納まっている。




「ここら一帯は昔うちの所有だったんだ」

 ふと遠い過去にでも思いを馳せたかのように、百合小路はほんの少し目を細めた。


「随分様子が変わってたけどそこの道筋は面影が残っていて、立ち寄って散策してたらこの家の前で割と最近会った人の気配がするじゃないか、驚いて呼出しを鳴らしたけど誰も出なくて、ああもしかしたらと直で呼んでみたらやっぱり君だった」


「生霊の私の方ですよね…」


「うん、君は居留守を使ったもの。だけど声を聞けば彼女なら来ると思って」

 ばれている。祖父母は留守なのだからとチャイムは無視し、続けて若そうな男の人の声もしたがセールスだろうと知らぬフリをした。がどのみち一番適した者が応対に出たのだから、構わないだろうとは思う。


「そうだ絆創膏ないかな、把手の代わりになりそうなとこを探ってたら、板のささくれに引っ掛けてしまって」

 話で思い出したのか、百合小路が片手の平を上げると血が一筋滲んでいた。


「確か、待っててください」


 土間の救急箱を覗くと数枚残るだけだったが、1枚あれば大丈夫そうだったと取って戻る。

 同じ場所で待っていた百合小路の立ち姿が一瞬、精巧な作り物じみて見えたのは、長い年月をただ一所で過ごしてきたからだろうか。


「あった?ありがとう」

 声を聞いて妙に安心を覚えつつカットバンを渡す。

「あのところで、呼べば出るんですか生霊って」

 さっき呼んだら来たと言っていた。

 もしかして声に出して呼ぶにしても何かコツがあるんじゃないかと、カットバンを取りに行く間に思いついたのだ。


「意のままにってこと?さあどうだろう、僕は単に知り合いに声を掛けただけだし」

 何ということもない口振りで、出来たのはこの人だからかもしれない。


「ところで彼女は制服だったけど君は私服なんだね、学校は、まだ冬休み?」


「休校中です――オンライン授業は午前までで」


「どうりで、前より元気そうだ」

 にっこり笑いかけられまた少し顔がほてってくる。


「授業だけ参加すればいいので…」

 ついでにどうしてもウキウキとした口調になってしまう。


 定番の一つだった空想がある。

 教室の各机の四方が開閉可能な壁で仕切られ、授業は主要5教科のみで板書はモニターでも見られる。行事の類も一切なく、出たくなければ下校までずっと個室にいられるという夢が、思わぬ形と変化球ながらほぼ叶ったに等しいのだ。

 おまけにオンラインのお陰か授業中の、顔を輝かせての説教だか罵詈雑言だかが悉く無くなった。始まるとひたすら身を縮めるか空想でもして遣り過ごすそれらはどれも共通して、時に該当するしないの区別なく、聞くべき箇所もあるかしれないが、延々と実の無い怒鳴り声を聞かされているようだった。

 実際それで、クラスによい変化が齎されたり兆しがあるという感もない。




「あれから生霊と関わることは?」


「ありました、えっと2回」

 学校に着く直前に市内封鎖となり、どうにか居着つけた場所で当座を凌ごうと、考え抜いて生霊祓い屋を開き2回仕事を請け負った。

 後から聞けば市外からの通学生にはLINEで指示があったのに、スマホの充電切れや自身の思い込み、報いから来た小さい悪意などが重なって、ただひとり右往左往していたらしい。


「役に立ったね、生霊の彼女はあんなに迷惑げだったのに」

 

 百合小路は成仏際に生霊を祓えるという力をくれた。

 そんなのいらないと生霊は声を張り上げ抗議していたが、これは多分怖がりな本体の為にだ。取り分け幽霊は、心底遭いたくないものの一つだった。生霊が出易い体質になっているけど、この力で気づいて対処できるとも言われたのだが、こちらはさっき生霊を飛ばした自覚も無く、百合小路の言うようにはなっていない。

 だがこれらの言葉を聞いたのも生霊の自分で、そもそもどこまで本当か自信もない。


 ―――下校途中の道端でいつの間にか立ち止まっていた。

 いつもみたいに空想したり妄想したりで歩いていた筈で、でも我に返った時、なぜか内容を殆ど覚えてないのみならず、いつもと全く違うことを考えていたような気がした。

 しかも辺りは人や車の通りは疎か何の気配もなく、不思議なほど静まり返っている。

 咄嗟にスマホを見て、立ち止まっていたのが僅かな間だと分かりホッとした、列車の時刻が迫っていたのだ。

 すぐまた歩き始めると、少し頭がグラついた。


 そんなことのあった数日後、いつもと違った気がしたその中身を思い出そうとしたのは、霊感など皆無な筈の自分に突如見え始めたそれらと関係あると直感したからだ。

 僅かに残った記憶を頼りにどうにか思い出そうとしていたら、丸一日ほどの間に不意に声や映像が浮かんでくることが数度あった。そのどれもが日頃の空想からは掛け離れ、且つ身の回りに起きている非常事態の理由を示しているとしか思えない、と自分では思った。

 そして今日百合小路と会ったことで、それらはより補強されることとなったのだが、記憶は朧気なままだしで、余り自信が無いのは変わらない。


 そういえばその百合小路だが実体でいた期間は生霊JK達を、見えない障壁みたいだったと言ってもいた気がする。なのに今日は生身のまま生霊を認識し、会話までしたという。

 間違っていなければ前よりパワーアップだ。




「君が望めばその力、失くしてあげようとも思ったけど」


「いえいいですこのままで、いまは」

 つい早口になったのを面白げに、百合小路は笑み直した。


「そう?」


「でも使い方のマニュアルとかないんでしょうか」


「祓えたんだろう」


「祓ったというか…話すだけなので…」 

 生霊にでなく、飛ばしている当人に証拠やリスク、末路を苦心惨憺伝えて改心してもらう。最初は生霊に話しかけたのだが、どっちもてんで耳を貸さず、執念や妄念の塊のしかも大人に、高校生の言葉など露も届かないのだと痛感した。生身の方がまだしもだったのだ。


「予想外の祓い方だよ、しっかり使いこなせてるじゃないか」


「でも正式なやり方を知っておきたいんです」

 褒められるのは嬉しいが、訳も分からずとにかく大変だったのだ。


「そんなのないんじゃないかな」

 あっさりとした物言いだが素っ気無くはなかった。だがそれ以上何を言うでもない。

 沈黙が訪れ困っていると、百合小路はやおら体を折って一画から青い実を摘み始めた。どれも啄まれ目玉みたいになったものだと気づき、そんなのどうするのだろうと首を傾げていると、摘んだ実をまとめて口に放り込み、水もなしに苦もなく飲み下してしまった。青苦い味を想像し引いていると、ツイと節の目立たぬ綺麗な指先が顔面に伸びてきた。

 面食らう間もなく抓まれた一粒の青い実が、指先に押され口の中に転がり込む。






















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