第59話 大相撲の賜杯をいだくはモンゴルの三十七歳玉鷲あつぱれ
「大相撲の賜杯をいだくはモンゴルの三十七歳玉鷲あつぱれ」―。
八角理事長は玉鷲の優勝を称えたあと、随分と余計なコメントをしたものだ。
「大関陣や横綱が元気だったら、こううまくはならなかったろう」とは、日本人の負惜しみにも聞こえる。
どういう状況であれ、一番でも多く勝ったから優勝しただけである。
どうして「おめでとう」と祝福して終われなかったのか…。
それこそ「遺憾」である。
◇
イソップ寓話の『酸っぱい葡萄』を思い出す。
葡萄を取れなくて悔しい空腹な狐が「どうせ酸っぱくて美味しくないに決まっている」と負惜しみをする話。
そこから「酸っぱい葡萄」とは(自己の能力の低さを正当化し擁護するために、対象を貶めたり価値の無いものだと主張する)負け惜しみの心を意味するようになったらしい。
◇
津軽には「あしふぱり」がある。
普通「出る杭は打たれる」ものだが、津軽では目立ちすぎると「足下から引っ張られる」のだ。
これでは何時まで経っても「底上げ」などおぼつかない。
津軽の低め安定が続いてきた所以であろう。
否、かつては「相撲王国」と言われたではないか。
九州場所では是非、郷土力士が賜杯を手にする姿を見たいものである。
(20220927)
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