第18話

『人は罪なくして王たりえない。罪を犯すことなくして王として君臨することなどありえない――。だからこそ祖国の存続をなによりも優先し、人民主権の扉を叩く時、王という存在はその罰と共に抹消される必要がある』


 ヴィルジール第二王子のこの主張を国王テオドールは受け入れた。受け入れたからこそ、国王の座だけはがんとして譲るつもりが無かったのである。

 その時の彼の心中は処刑の日を迎える今日に至っても、ついぞ語られることはなかったのだった。


 クーデターから三日――。


 それまでの時間のほとんどを寝る間を惜しんで様々な打ち合わせに費やしていた国王は明らかに憔悴していた。鎖に繋がれたその姿はまるで、王の地位を簒奪されて打ちひしがれる者のそれであった。


「くたばれ! 売国奴が!」

「そのクソ野郎をさっさと殺させろ!」


 王宮から目と鼻の先にある第一闘技場、そのアリーナの中央に用意された壇上で、項垂れる国王に向けて国民の罵声ばせいが放たれる。

 彼らの怒りのままに放たれたそれを、テオドールは俯いたまま甘んじてその身に受け続けていた。


 民衆が今にも暴発しそうなほどに怒り狂っているのは、国王らの判断ミスによってランクロワ王国が亡国の憂き目にさらされているからでもなければ、国王らがそれを隠し通そうとしたという事実によるものでもない。

 その原因はひとえに、王国全土に発された御触おふれによるものだ。


 そこには、国王テオドールが北部貴族と共謀し王国を帝国に売り渡す用意があったと書かれており、それを阻止したのが第二王子ヴィルジールと王子の呼びかけに集まった有志の貴族達であったとも書かれていたのである。もちろん国王を罰するための公開処刑が行われる日時と共に。


 御触れに書かれた文言だけを見れば、国民はただの貴族達の内輪揉めとしか認識できなかった可能性がある。もしそうなれば、第二王子らにもその怒りの矛先が向いたはずであった――がしかし、そうはならなかった。

 それは御触れが出たのとほぼ同時に、王国のリュテイア教会が第二王子の主張を支持する旨を発表したためである。

 闘技場の収容人数を大幅に超える八万もの民衆が集まっているこの場所で、今も国王の隣に立っているヴィルジールに向けて怒りをぶつけようとする者が皆無であることが、その証左しょうさといえよう。

 それどころか、ヴィルジールを英雄視する者さえ現れるほどであった。


 心中複雑であることを鉄面皮の下に隠して、ヴィルジールは壇上を一歩前に進み出る。

 そうして彼は客席を睨みつけるようにして見据え、声を張り上げた。


「これより――ランクロワ王国国王、テオドール・セタチュート・ランクロワの断罪を始める‼」

「うおおおおおおぉぉぉぉ‼」


 民衆の歓声が第一闘技場を揺らす。

 その迫力にこくりと喉を鳴らしていたヴィルジールは、歓声が小さくなるのを待ってから国王の罪状を読み上げた。


「国賊、テオドール・セタチュート・ランクロワは己の私益をはからんと、ランクロワ王国をガザン帝国に売り渡し! 王国を存亡の機に陥れようとした! これは国を預かる者として許されざる行為であり、王国に属する者全てに対する背信にほかならない!」


 客席から見て伝わるほどの大げさな身振り手振りを交えながらのヴィルジールの言葉に、客席から「そうだ、そうだ‼」と声が上がった。


「よってここに、テオドール・セタチュート・ランクロワに国家に対する反逆罪を適用し! 三度の石打ちの刑に処し、残りの天命を牢獄にて過ごすこととする!」


 ヴィルジールが壇の周囲に用意された石の山を手で示せば、再び民衆が沸き上がった。鬱憤うっぷんを晴らすその時を、今か今かと待ちながら。


「そして……今回の国王の蛮行を受け、それを止められなかった我々に失望した者、王家に信を置くことが出来なくなった者もいるであろう! しかし、安心してほしい! この私、ヴィルジール・コローナ・ランクロワは今日この時、国王の断罪を以て――王政と決別するつもりであるからだ!」


 その言葉の意味をすぐには理解できなかったのか、観客席は静まり返ってしまう。

 それにも構わず、ヴィルジールは続けた。


「今ここに王政を廃すことを宣言する! これよりランクロワ王国はランクロワ共和国へと生まれ変わるのだ!」


 ここに至って、ヴィルジールの言葉に反応を示す者はほとんどいなかった。「王子は突然何の話をしているのだろう?」と、首を傾げる者ばかりである。そもそも彼ら彼女らは国王に罰を与えるためにここにやって来たのだから、困惑するのも当然といえよう。

 もちろん民衆の中には、このような演説を聞くことに慣れていない者も存在し、当たり前のようにしびれを切らし、わめく者が出始めた。


「一体、いつまで待たせんだ‼」

「そんなもんどうでもいいから、さっさと国王をらせろ‼」


 彼らの声を聞いて、ヴィルジールはその顔をあからさまに顰めた。

 それは、民衆が自分の期待した反応を見せてくれなかったことに失望したから――ではなく、彼らの反応が国王の予想していた通りのモノだったからである。


 この瞬間から台本は完全にヴィルジールの手を離れ、もう一人の主役の手に渡ることとなるのだった。

 そして主役の交代を示すかのように、どこからともなく声が上がった。


「も、燃えているぞ! ティーパの方から煙が上がっている!」


 そんな誰かの声に、人々の注目が王都の北に聳えるエルジア山へと集まった。

 白と黒の入り混じった煙がエルジア山に掛るほどの高さにまで上昇し、その煙を森林火災の炎が赤く照らしている。その不吉な光景は、闘技場だけでなく王都のどこからでも見ることが出来るほどのものだった。

 長きに渡って王国を守り続けて来たティーパの地に火の手が上がっているという事実が、民衆の心に根源的な恐怖を呼び起こす。


 まさか、帝国軍がティーパの森を突破したのではないか?


 などと民衆が口々に声を上げ始め、パニックに陥る者まで現れ始めたその時――、


「ハッハッハッハッハッハッハッハ‼」


 と、闘技場に大きな笑い声が響いた。

 笑い声の主は、罪人テオドールその人である。


「何が可笑おかしい⁉」

「いやなに――少しばかり貴様を不憫ふびんに思ってな?」

「……不憫だと?」

「その通りだ! 帝国に勝つなどあり得んことだ! マリド共和国のように国民を動員したとして、たかが煙を見た程度で慌てふためくような者どもが使い物になるわけがなかろうが‼」


 テオドールは怒り心頭といった様子で観客席を睨みつけ、吠えた。


「貴様らのような腰抜けどもを見捨てて何が悪い! 王国を帝国に売り渡すことの何が罪か⁉ 私はこのような奴らと諸共もろともに死ぬなど絶対に御免である! 王家の尊い血が、斯様かような愚民どものせいで絶えることなど絶対にあってはならんだろうがっ‼」


 目を血走らせた、悪魔のような形相のテオドールの叫び。


 そのような台詞など打ち合わせには無い。

 どこか真に迫った国王の演技に、ヴィルジールがどう返したものかと頭を悩ませていたその時、処刑台の近くから騎士の声が上がった。


「と、止まるんだっ!」


 ヴィルジールが横を見れば、そこではアリーナに侵入した男達を騎士たちが抑え込んでいたのだった。


 精強とされる王都の騎士であっても流石に男たち全員を抑え込むことは叶わず、観客席から飛び降りた十数名の男たちを処刑場のすぐ近くにまで通してしまう。

 その男たちは、処刑台の周りに積まれていた石の山を目がけて走り出すと、刑の執行が始まっていないにもかかわらずに投石を開始した。


 複数の投石が壇上の国王を打ち据え、そのうちの一つが額に命中する。


「ぐっ!」


 彼らの行為は騎士たちが止めに入るまで続けられていたが、それでも怒りが収まらなかったらしい男たちは、騎士らに羽交はがい絞めにされながらも叫び続けた。


「お前のせいで、村が焼かれた! お前みたいなやつが王だったから家族は帝国に捕まったんだ! 俺らが愚民だってんなら、お前はそれ以下のゴミだろうが!」

「確かに俺らは愚民だよ! てめぇみてえな奴を国王として仰いでたんだからな!」

「誰が帝国なんかにビビってるって⁉ んなわけねぇーだろーが! 失うもんなんざもう何もねーんだよ!」


 国王に向けられたのは、帝国の北部侵攻から逃げ延びた者達の純然たる怒りであった。その中でも血気盛んな者達の叫びが、国王へとぶつけられていた。


 しかし、そんな彼らの想いを国王テオドールが汲み取ることは無い。

 なぜならいま必要なのは、彼らに対する同情などでは決してないのだから。


「……知ったことか」


 テオドールが喚く男達に侮蔑の視線を向けながら言い放ったその直後――。

 民衆の怒号が闘技場を包み込んだ。


 憎悪の雨をその身に浴びながら、テオドールは壇上から乗り出すようにして叫ぶ。


「貴様らの顔は良く覚えたぞ! 帝国が勝利し、私が解放された暁には――貴様らの一族全員に耐えがたい苦痛を与えてやろう‼」

「――――いい加減にしないかっ‼」


 ヴィルジールがその拳を振り抜き、テオドールを無理やりに黙らせた。

 ふらりと揺れた老体の口元から、一筋の血が伝う。


「私はランクロワの民を信じている‼ 帝国などに負けないと信じている‼」


 ヴィルジールは力強くそう言い切ると、握りしめていた拳を解き、その両腕を大きく広げてみせた。


「今、決別しようではないか‼ この者のような悪を生んだ古き政治と‼ そして、我々は正しく生まれ変わるのだ‼ 悪しき侵略者を討ち滅ぼして‼」


 芝居がかった口調でヴィルジールはそう言い切ると、側にいた騎士に手で合図を送った。するとすぐに、壇上に用意された丸太にテオドールの体がくくり付けられる。


「これより死刑を執行する‼」


 ヴィルジールの宣言と同時に、騎士たちが通路の封鎖を解いたその瞬間、万を越える民衆が一斉にアリーナへと雪崩れ込んでいった。

 老若男女問わずに民衆たちは石を手にし、投げつけ、怒りのままに国王を甚振いたぶる。

 驚くことにその者達の中には、王国の兵士までもが混ざっていたのだった。






 しばらくして、投石の勢いが弱まった頃。

 処刑台の壇上でそれを間近に見ていたヴィルジールが、すでに虫の息の国王へと問うた。


「何か言い残すことはありませんか?」


 すると、うつろなその顔を上げたテオドールが、焦点の合わない目でどこか遠くを睨んだ。


「貴様らの破滅を心から願っているぞ…………」


 そう言って悪辣に笑ったテオドールに、数えきれないほどの石つぶてが飛んだ。


 この時確かに王都中の怒りが国王テオドールただ一人に向けられていた。

 それも、テオドール自身が描いたシナリオの通りに。

 彼は文字通り己の全てを犠牲にして、帝国に対する恐怖を上回るほどの怒りを民衆に植え付けることに成功したのだ。



 こうして、後の世にランクロワ王国きっての愚王と評されることになる国王テオドールはこの日、彼の愛した民の手によって処刑されたのである。



 そして、父親の壮絶な死に様を見届けていたヴィルジールに、感傷に浸るような時間は無かった。

 民衆の怒りの矛先を、国王から帝国へと変える仕事がまだ残っていたのである。


 処刑台の丸太の下に散らばる石。

 赤黒い血に染まったそれらの中から、父親のオーバルを取り出したヴィルジールは、それを高く掲げてみせた。


「ランクロワの悪はここに倒れた! だがしかし…………我々の国を、祖国を火の海にせんと帝国軍がすぐそこにまで迫っている! 村々を焼き払い、罪のない者達を蹂躙じゅうりんした帝国を許せるか⁉ 悪王を滅し、天にその正義を示したランクロワの民たちよっ‼」


 ヴィルジールの問いかけに、どこからともなく「うおおおおぉ!」と、同意を示す雄叫びが上がった。

 その雄叫びは、観客の中に紛れ込ませておいた者達が発したものであったが、効果は覿面てきめんだった。市民に扮した騎士たちの叫び声を皮切りにして、それに感化された者達が我も我もと声を上げ始めたのである。


 それはあっという間に伝播でんぱし、闘技場が熱狂に包まれる。


 そしてヴィルジールは、その熱気が最高潮に達する瞬間を逃すような男ではなかった。

 右手の精霊紋を真紅に輝かせた彼は、その腕を天に突き出し、叫ぶ。


「共に帝国を倒そう‼ 勇敢なるランクロワの民たちよ‼」


 すると、ヴィルジールの周囲を炎が渦巻き始め、その中から一頭のライオンが姿を現した――。


「ヴォオオオオオオオオオオオ‼」


 闘技場の上空へ向けて放たれた、人々の歓声を掻き消すほどの雄叫び。

 それによって、場内は一瞬だけ静まり返る。


 そこへ、ヴィルジールの声が静かに響いた。


「だから頼む……私にみんなの力を貸して欲しい」


 胸に手を当て、切実に訴えるヴィルジールのその姿。国を憂い、民を想い、父王を目の前で殺された悲劇の王子のその姿に――――。



 歓声が爆発した。



 この瞬間、国王の目論見もくろみは達せられたのである。






 ◇ ◇ ◇






 国王の処刑を終えて、ヴィルジールが真っ先に足を運んだのは王妃のもとだった。


「そうですか……結局あの人は最後まで悪役に徹したのですね」

「……申し訳ございません、殿下」


 顔を伏せる王妃にヴィルジールは謝罪を口にすることしかできない。


「一体、何を謝っているのです?」

「それは――――」

「今回の処刑については、あの人が望んで行ったこと……アナタが謝ることではありません」


 アレクサンドラ王妃はぴしゃりとそう言い切った。


「それに――あの人をここまで追い込んだアナタを、私は許すつもりがありません」

「……」


 ヴィルジールには返す言葉が無かった。

 しかも、現在も彼女はその影響力の強さから軟禁状態にあり、愛する者に別れを告げる事すらも禁止されていたのだから、その怒りも当然といえる。


「あの人は優秀ではなかったかもしれないけれど、愚鈍ではなかったわ……そんな彼を愚王に仕立て上げた者全てを、私は絶対に許しません」


 悲しみに染まった王妃の怜悧れいりな視線を、ヴィルジールはしっかりと受け止めた。

 受け止めなければならないと、そう思ったのだ。

 しばしそうしていると、気丈にふるまっていた王妃の頬に涙が伝った。


「……出ていきなさい」


 ヴィルジールは言葉もなく静かに一礼すると、王妃の部屋を後にした。

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