第17話


 八の月、十七日午前九時。

 数日に渡って続いた雨が止んだ曇り空の下、王都から北西に三百キロほど離れた山間部の地――ティーパにて戦端が開かれようとしていた。


 ティーパの地に広がる巨大な森。そこにはさらに森を切り拓いて作られた一つの大きな街道が南北にかけて縦断しており、森の間を通るその街道の長さはおよそ百キロにも及んでいる。ちなみに、街道を挟んで東西の森と森との間隔は最も広い場所で一キロほどもあった。


 王国軍はそのティーパの森の北端の森の切れ目のあたりで、北の平原からやって来る帝国軍の進路を塞ぐように防御陣地を構築。魔法部隊と弓部隊を森の中に潜ませた上で、森と平原の間に堀を張り巡らせるなどして、帝国軍を迎え撃つ態勢を整えていたのだった。

 対して帝国軍は、王国軍の魔法の射程のギリギリ外側に軍を配置していた。王国兵の潜む森の境界から二百メートルほど離れた場所に布陣し、横陣にその陣形を整えるような動きを見せつつあった。


 そんな帝国軍の様子を、王国軍を率いているオロージュ元帥がとりでの上からじっと眺めていた。現在オロージュらがいるのは、ティーパの森の東に聳える山――エルジア山の山中に建設された砦である。


「聞いていた兵数よりもだいぶ多いぞ?」

「そうですね……ざっと見た限りでも八万はいるように見えます」


 双眼鏡を覗き込みながらそう言ったオロージュに、すぐさま一人の将軍が同意した。

 王国軍もその数を増やしてはいるが、その総数は四万を超える程度。

 そのうちの二割ほどを戦闘支援・後方支援に回していることから、王国の純戦闘員はおよそ三万ほどだった。また、平原に集結しつつある八万の帝国軍はどうみても全員が純戦闘員といった装いをしていたことから、現状の帝国との単純な戦力差は実質三倍近いと言っていい。


 すると、双眼鏡をテーブルの上に置いたオロージュが苛立たし気に悪態を吐いた。


「はんっ! ほんと、ウチの偵察部隊は役に立たねぇな!」

 

 こうもオロージュが不機嫌である理由は、偵察部隊が今朝すでに行われていた前哨戦において、ほとんど成果を挙げられていなかったからである。


 ここで言う前哨戦とは、夜が明けてからそう時間が経たないうちに開始される、風の魔法使い同士による制空権の奪い合いのことを指している。今回の前哨戦の結果として、王国の偵察部隊はティーパの森上空の防衛には成功していたものの、肝心の帝国軍の情報については何も得られていなかったのだ。


 偵察部隊の度重なる作戦の失敗に、元帥の隣に控えていた将軍――ギャエルも落胆の色を隠さない。


「は……まったくその通りかと」


 そうして二人が話している間にも、デルプールへと続く道からは続々と帝国の軍隊がやってきては、陣に加わっていく。帝国軍であることを示す双頭のドラゴンが描かれた旗。それを掲げる旗手たちが整列すると、背後の軍隊も彼らに合わせて隊列を整えていった。


 そのとき突然、戦場にトランペットの音がかき鳴らされた。

 その音を合図に帝国軍が進軍を開始する。


「攻撃の合図だと⁉ 気は確かか?」


 オロージュが驚くのも無理はなかった。

 帝国軍はまだ明らかに布陣の途中であったのだから。

 しかも、防御陣を敷いている相手に不意打ちを仕掛けるのは効果が薄い。当然それを知っていたオロージュは、「はっ」と、どこにいるかも分からない敵将を鼻で笑った。


 動き出したのは帝国軍の中央にいた歩兵が三万ほど。

 三つの横列陣となって進軍を開始した三万の歩兵は、カイトシールドを前面に突き出しながら、森に潜む王国兵に向けて真っすぐに進んでいる。

 そして、横列の一つが王国軍の遠距離攻撃の間合いに入った瞬間、再びトランペットの音が鳴らされ、進軍していた三つの横列陣のうちの一つが一斉に走り出した。


「ウオオオオオォォォ‼」


 大地に雄叫びを響かせて、東の森に帝国軍一万が迫る。

 森の木々の合間から弓を構える王国兵たちの顔が強張っていった。

 そして、オロージュが設定した攻撃のラインを帝国軍が越えた瞬間、彼らは引き絞っていた弓の弦からほとんど同時に手を放し――。

 その直後、魔法と弓の一斉攻撃が帝国兵に降り注いだ。


 こうしてティーパ防衛戦が始まったのである。


 帝国兵たちが遠距離攻撃をまともに食らい、バタバタと倒れていく。

 その様子に、双眼鏡を覗き込んだままのギャエルが口を開いた。


「愚策も愚策ですね。敵将が愚かで助かりました」

「……そうだな」


 ところが、何か別の事に気をとられていたらしいオロージュは、ギャエルへ向けておざなりな返事を返すだけだった。


「何か気になることでも?」

「あん? なんていうんだろうな……考えても分かんねえってことが分かったわ」

「……?」


 はっきりしないことを言い出したオロージュに、ギャエルも困惑顔である。


「なんつーか気持ち悪いんだよな……なんかこう、もやもやしてよ」


 オロージュという男に論理的な説明を求めても無駄であるが、元帥にまで上り詰めたその持ち前の感覚が導き出した答えは本物。

 それをよく知っていたギャエルは、これを無視すべきではないと判断した。


「分からないことが分かった、とは?」

「……そりゃ、敵大将の狙いに決まってるだろ?」


 何いってんだこいつといった目で見てくるオロージュに構わず、ギャエルは質問を続ける。


「何を見て気持ち悪いと思ったのです?」

「全部だな」

「……はい?」

「全部の行動が狙ったように下策ってのは、見たことあるか?」

「無能な指揮官なら、なくはありませんが……」

「お前……相手がデルプールを二日、三日で落としたってこと忘れてないか?」

「……」


 もちろん忘れてなどいない。

 そしてこの時、ギャエルはやっとオロージュと自分の認識の差異に気づいた。

 眼前で繰り広げられている戦いを見て、自分が敵大将の能力を下方修正していたのに対し、オロージュは高く見積もったままだったことに。


「元帥の中で敵指揮官の評価が高い理由をお聞きしても?」

「あーいや……」


 部下の問いに対して、何故かオロージュの歯切れが悪かった。


「ウチの偵察部隊の奴らがあまりに役に立たないもんだから、その腹いせをちょっとな」

「……腹いせ?」

「いやだから、夜中にな……速いヤツを十体くらい敵陣に差し向けたんだよ」

「……」


 夜戦といえばフクロウの精霊が主戦力であり、夜間の制空権の防衛を担っている。

 夜間において作戦行動中であるフクロウの精霊たちは動かせないということと、オロージュの言い分を加味すれば、帝国軍に差し向けたのは夜目が利かず、夜間偵察に向いていない精霊ということになるはずだ。

 もちろんそんな精霊を向かわせても、敵陣の上空を高速で飛び回らせ鳴き声を上げさせるだけという、嫌がらせ以外に本当に何の意味もないものとなったことだろう。


 自軍の大将が子供のような行動をしていたのだと知り、ギャエルがそっとこめかみを押さえる。偵察部隊を勝手に動かしたことは流石に悪いと思ったのか、ばつが悪そうにしながらオロージュは話を続けた。


「鳥の精霊どもは、すぐに消されちまったよ…………十体全てな」

「⁉」


 スピード重視の鳥精霊は、フクロウの精霊のおよそ二倍から三倍の速度で飛行することが可能である。しかも、風の魔法を使用すればさらにスピードが上がるのだ。音速に迫るそれらを全て撃ち落とすなど、異常であるとしか言いようがない。

 そのようなことは王国の魔法部隊にも不可能だった。

 また、オロージュの言が本当ならば偵察部隊の数度に渡る作戦の失敗にも納得がいくというもの。


 となると確かに、こちらの偵察部隊を封殺する手段を持ち得る敵軍のその指揮官だけが無能であると期待するなど馬鹿げている。

 それらを踏まえて戦場を見てみれば、ギャエルにもオロージュの言わんとしていることが理解できた。

 だがそれでも、理解できたのはそこまでだった。

 やはり偵察部隊が何の情報も得られていないことがネックとなっていたのである。


「な? もやもやすんだろ?」

「……はい」


 得も言われぬ不気味さを感じながら、ギャエルは敵の大将がいるであろう帝国軍の後方を見遣ったのだった。






 ◇ ◇ ◇






「第一陣一万を追加で街道上の王国軍に突撃。残り一万をその後ろに待機させてください」

「はっ!」

「ああ、それと……待機させる一万にはオーバルの回収をさせるように」


 指示を受けた騎士が敬礼し、男のもとを去っていく。

 すると、再びトランペットの音が奏でられるその側で、軍馬にまたがっていた優男がひとり呟いた。


「あれから千年以上の時が経過しているはずですが……全くと言っていいほど戦い方に進歩が見られませんね? むしろ、退化していませんか?」


 ランクロワ王国が建国されてから七百年。ティーパの地は一度も抜かれたことがないとされている。帝国のお歴々れきれきからそれに関しての話を聞いてはいたものの、そんなことはローレンツにとってはどうでもいい事であった。

 なぜならば、ローレンツは今よりもはるか昔にティーパの地を攻略した時の戦いを、その身をもって知っていたからである。


 当時の戦いは今よりも規模が小さく数千人規模のものでしかなかったが、ローレンツの所属していた軍は、兵数差五倍という圧倒的に不利な状況にも関わらずに勝利を収めていたのだ。

 劇的な勝利を収めた遥かいにしえの戦いにおいて、何かしらの特別な戦術が用いられていたわけではない。

 ただただ相手が待ち構えていたところに突撃しただけだ。

 ただしその代わりに、狂気に突き動かされていたと言っていい異常なまでの士気の高さを誇り、その狂気を以てして相手に体勢を整える余地を与えないほどの猛攻を仕掛けてはいたのだが――。


 そして、この時の戦いの焼き直しこそがローレンツの狙いであり、当時とは異なる状況下でその条件を満たす形に無理やりに持っていくのが、総司令である自分の役割であると考えてもいたのだった。

 雨季特有の曇天の下で戦いの熱気をその身に浴びていたローレンツは、昔を懐かしんでフッと笑みを零していた。






 警戒するオロージュらの予想を裏切り、ローレンツは策らしい策を使うことなく三日に渡って愚直な突撃を敢行した――にもかかわらず、帝国の数の暴力は王国の地の利を活かした防衛を徐々に切り崩していった。

 そこに王都からの増援が遅れていたことも重なった結果、オロージュの敷いていた防衛ラインは少しづつ南へ押し下げられることとなっていたのである。


 また、ティーパの地でオロージュが苦戦を強いられていたのと時を同じくして、とある出来事が王都シルアスで起ころうとしていたのだった。



 それは――――国王テオドール・セタチュート・ランクロワの公開処刑である。

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