第16話

 ランクロワ王国北部、リーブズ侯爵領の南部に存在する城郭じょうかく都市デルプール。


 王国北部において最も大きな都市であるデルプールにある屋敷の書斎にて、オロージュ元帥率いる王国軍の受け入れ準備を進めていたバティスト・リーブズ侯爵は、とある一通の手紙を手にしたまま固まっていた。


「なんと……」


 彼が手にしている手紙は、リーブズ侯爵領から北西に位置するパートランド男爵領の領主――コーム・パートランドが特急の精霊便を使って届けさせたものだ。


 この手紙によれば、マリド共和国に向かっていたはずの帝国軍二万が突如その進路を変更し、パートランド男爵領にある都市セネールに向かって進軍しているとのことであった。この緊急事態を受けて、コーム男爵含むその周辺領主は各々の所持している領軍をデルプールに送り、オロージュ元帥の軍に合流したいという旨を伝えてきたのである。

 それら各領軍を合わせた数はおよそ一万にも及ぶ。

 そしてこのとき、一週間後に王国軍三万を受け入れる予定があったバティストには、コーム男爵らを受け入れないという考えはなかった。むしろ、対帝国の軍勢が一万も手に入ると思えば、非常に心強いとすら考えていたほどだった。


 しかし、そんなバティストには気がかりなことがあった。

 それは帝国軍の二万というその兵数のあまりの少なさに対してだ。

 というのも今回の帝国の進軍が、バティストの知っている戦争のセオリーからあまりにも逸脱していたのである。


 戦争の勝利条件といえば敵国のトップを討ち取ることと、敵国に所属しているマルーティアを無力化することの主に二つが挙げられるが、そのどちらの手段を選ぶにせよ、大都市に対して攻撃を仕掛ける必要が出てくる。ところが、今回王国北部に現れた帝国軍の二万という兵数ではパートランド男爵領を落とすのがせいぜいであるといえた。

 だからこそ、バティストには帝国の狙いが分からなかった。このままいけば、帝国はただ悪戯に二万の軍を失うことになるはずだからだ。


 ――そのような真似をあの皇帝が許すだろうか?

 手紙を机に置いたバティストはそんなことを考えながら窓辺まで近寄ると、なんともいえない苦い顔で外に広がる雨模様の空を眺め遣った。






 そして、オロージュ元帥がデルプールに到着する予定日の二日前――。

 バティスト侯爵からの「帝国軍の襲撃を受けている」という知らせを最後に、城郭都市デルプールからの連絡は途絶えた。


 それを受けて即座に作戦を変更したオロージュは、行軍を止めてデルプールに偵察部隊を送り込んだ。オロージュのもとに報告が上がったのは、部隊を送り込んだその日の夜のことである。


「デルプールが陥落しただと⁉」

「……はっ! 生存者の話によりますと……帝国軍五万に包囲された上、内部からの裏切りもあり、為す術がなかったと」


 その返答に、オロージュは八つ当たり気味にギロリと騎士を睨みつけた。不機嫌であることを隠そうとしないオロージュの代わりに、その隣の席についていた中年の将軍が尋ねる。


「内部からの裏切りについては?」

「はい……王国北部の領主数名が帝国に与していたようです。バティスト侯爵が領主連合軍を編成するために、領主らの私兵をデルプール内に入れていたことが原因と思われます」


 それを聞いてオロージュが、「はっ!」と、鼻で笑った。


「そんなざまであのジジイも、よく侯爵を名乗れたもんだ」

「はっ――まったくです」

「それで、デルプールの状況は?」

「一切分かっておりません」


 すると、こめかみをピクリと動かしたオロージュが再び騎士を睨み据える。


「……ああん? 偵察部隊は一日中、何やってたんだ?」

「そ、それが……周辺の制空権を帝国から奪うことが出来ず、デルプールには近づくことすら出来なかったと……」


 オロージュという男の気性の荒さを知っていた騎士は、背中に冷や汗を垂らしながらそう答えたのだった。


 制空権を得た状態とは、主に風の精霊が担うことになる上空からの偵察といった作戦行動を、敵から妨害を受けることなく実施できる状態のことを指している。

 例えば、デルプールの生存者の報告が無かった場合、かつ今回のように制空権を敵にとられている時には、デルプールに対してどのような作戦行動をとればよいか一切分からないということになってしまう。それはデルプール内部が助けを必要としている状態なのかどうかすら、壁外からは視認不能であるためだ。


 下手を打てば待ち伏せを食らって大損害を被ってしまう可能性がある。言い換えれば、制空権をとることさえ出来れば、デルプールが奪還できる可能性があったとも言えたのだ。

 その可能性が完全に無くなってしまったという事実に、オロージュは苛立たし気に歯噛みしていたのだった。彼の頭の中には、武功を上げるチャンスを一つふいにされてしまったという無念と怒りしかなかったのである。


 苛立たし気に頭をガシガシと掻いたオロージュは、深いため息を吐いてから口を開いた。


「すぐにティーパへ引き返すむねを王宮へ伝えろ……翌朝には出発できるようにしておけ」


 このまま平原に陣を構えていては分が悪いと判断したオロージュは、デルプールまでの行軍を中止し、二日をかけて王国の北部と中央部を隔てる二つの山脈の間――ティーパと呼ばれる土地へと引き返すと、街道とその両脇に広がる森に布陣した。






 ◇ ◇ ◇






 オロージュ元帥よりもたらされた、「帝国軍が国境を越え、十日とかからず王国北部の主要都市デルプールを落とした」という情報は、王宮をパニックに陥れた。なぜなら、デルプールには王国全体に四人しか存在しないマルーティアのうちの一人が所在していたからである。


 戦争の継続戦闘能力という点において、マルーティアの蘇生能力の右に出るものはない。だからこそ、何よりも優先してオロージュ元帥をデルプールに向かわせていたのであり、王国の当初の計画ではデルプールを北部防衛の拠点にしようとさえしていたのだ。


 端的に言えば、デルプールを失ったことは北部領域のほぼすべてを失ったことに等しく、さらにマルーティアを失ったことは、王国の総軍の四分の一を失ったに等しかった。

 その上ティーパの地が抜かれてしまえば、王都までの道を遮るものは何もない。

 つまり、ランクロワ王国は戦が始まって早々に最終防衛ラインまで押し込まれてしまったのである。


 王国の歴史上一度も抜かれたことの無いという堅守を誇るティーパの地。王国最後の砦と呼べるその場所からデルプールまでは直線距離で百キロもない。

 デルプールに向けて着々と帝国兵が送り込まれつつあり、数万規模の軍隊がいくつも国境を越えているという現状において、王国にはすでに守りを固めるという以外に打てる手が無くなってしまっていたのだった。


 まさに万事休す。


 この事態を知る者達は皆、頭を抱えていた。

 そして、その混乱した状況下にある王宮で今何が行われているかと言えば、それは――――とある貴族の吊し上げだった。


 その対象はシメオン・リーブズ。

 都市デルプールを治めていたリーブズ侯爵家の嫡男である。

 王宮の会議室では、痩せ気味で人当たりのよさそうな顔をしたその男に、大臣たちの糾弾の声が降り注いでいた。


「デルプール陥落の責は大きいぞ、リーブズ卿!」

「その通りだ! デルプールの陥落はあまりにも早すぎる!」

「バティスト侯爵が帝国の間者ではないかという疑いすら出ている! どう説明するつもりだ!」

「そ、それは……」


 シメオンには弁明のしようなどない。そもそも、デルプール内部の情報は得られていないため、大臣たちの追及すらもが単なる想像の域を出ていないのだから。

 しかし、そんなことは大臣たちにしてみればどうでもいいことなのだ。

 なぜなら――この件については、シメオンが責任をとることが既に決まっていたからである。

 それを知らないのはこの場ではシメオン一人だけだった。


 しかしシメオンも一端いっぱしの貴族であり、大臣たちの言いがかりに対処しながらも自身の置かれている状況を推測するくらいは可能であった。


 明らかに無理がある大臣たちの言い分。

 保守派も改革派も関係なく、まるで口を揃えたかのような物言い。

 不可解な理由で吊し上げられているこの状況を静観している国王。

 状況を打開すべくフル回転したシメオンの頭の中で、それらが組み合わさった瞬間――彼の体に震えが走った。


 途端に顔を青くしたシメオンは、国王へと懇願するように言った。


「こ、国王様! わ、私は誓って何も――!」

「わかっている……だがしかし、民草の怒りを鎮めるためには生贄が必要なのだ」


 憐れむような表情でシメオンを見ていた国王から返ってきたのは、無情の宣告である。


「そんな……⁉」

「バティスト・リーブズのデルプール陥落の責により、リーブズ家から侯爵の位を剥奪し、罪人シメオン・リーブズとその一族を石打ちの刑に処す――これは決定だ」

「なっ⁉」


 国王の口から放たれたのは、あまりにも重い罰だった。石打ちの刑とは、王国で最も残酷で、最も苦痛が大きい処刑方法とされる。

 それを聞いて、シメオンは声も出ない。青い顔を通り越して顔面を蒼白にした彼は、涙を流しながらその場に崩れ落ちたのだった。


「その者を連れて行け……」


 そして、国王が側に控えていた騎士へと命じたその時――、会議室の扉が勢い良く開け放たれた。

 扉の向こうから現れたのは、近衛騎士団を従えた第二王子ヴィルジール・コローナ・ランクロワ第二王子と、眼鏡を掛けたブロンドの長髪の優男――クロード・アンテマリア伯爵の二人。

 彼らの物々しい雰囲気に、国王が眉をしかめながら問う。


「珍しい顔ぶれが揃っているな、ヴィルよ……これは一体何の真似だ?」

「見てお判りでしょう、父上?」


 ヴィルジールは国王に向けて恭しく一礼すると、背後の近衛騎士団を手で示しながら答えた。

 王の御前であるにもかかわらず、近衛騎士らが武器を手にしていることからも、彼らの目的は明確だった。この場に第二王子の目的がクーデターであると察せない者は誰もいなかったのである。


「……正気か?」

「勿論にございます」

「対話による解決は?」

「……可能かと」


 ヴィルジールは己の言葉を示すかのように、武具の類を一切身に着けてはいない。

 この時、会議室にいた誰もが国王と王子のやり取りに注目していた。

 ――忘れ去られたように座り込んでいた一人の男を除いて。

 ゆらりと立ち上がったその男――シメオンが、すぐ側にいた騎士の腰元から短剣を引き抜き、国王めがけて走り出す。


「うぁあああああああっ!」


 いくつもの混乱が重なっていた今、騎士たちはその蛮行に対応することができなかった。

 不意を突かれ固まる国王へ、凶刃が迫る。

 しかし、国王へと迫るその刃はすんでのところで止められた――。

 それもクーデターを起こしたはずのヴィルジールの手によって。


「――へっ?」


 シメオンの口から間の抜けた声が零れた直後、短剣がぐいと引っ張られた。

 シメオンの顔の近くまで持ち上げられた短剣。

 それを握るヴィルジールの左手から鮮血が飛び散る。


「ヴィルジール様っ⁉」

「――――動くなっ‼」


 近衛騎士たちが焦りを浮かべて会議室に雪崩れ込もうとした瞬間、ヴィルジールが大声で怒鳴った。


「……で、ですが」

「二度は言わん!」


 怒声を間近で食らったことで我に返ったのか、シメオンのナイフを握る手から徐々に力が抜けていく。

 すると、ヴィルジールはシメオンの胸倉を掴み、力任せに引き寄せた。


「邪魔をするなよ……私はこれから、貴様なぞの命よりも重いモノの話をしようとしているんだ」


 言いながらヴィルジールは力任せに短剣を奪い取ると、握りしめた血塗れの刃をシメオンの目元に突きつけ、ドスを聞かせた声で続けた。


「……それでも邪魔立てするというならば、状況を理解出来ない役立たずなその両目を抉り出し、耳を削ぎ落してやろう。話ならば後でゆっくり聞いてやる」

「……ひっ⁉」


 ヴィルジールの琥珀色の瞳に射すくめられたシメオンは腰を抜かし、その場に尻もちをついてしまうのだった。

 確かな怒気と共に発された王子の言葉は、まるでこの場にいる全員に向けて発されていたかのようで、我関せずと傍観を決め込んでいた大臣たちさえをも圧倒していた。


「……では、話の続きを」


 項垂れるシメオンが騎士たちに連行されていくのを横目にしながら、ヴィルジールが何事もなかったかのように国王へと向かい合う。

 国王が「うむ」と鷹揚おうように頷いたのを見てとったヴィルジールは、短剣をポイと放り捨て、傷口の治療もしないままに話し始めた。


「私の目的は一つ……帝国との戦争に勝利する以外にありません」

「ならばお前は、帝国に勝つためにクーデターを起こしたと? 敗色濃厚のこの状況で政変による混乱が重なれば、勝つのはより絶望的になることくらい理解していよう?」

「もちろん分かっています……私が王位を継いだ程度でこの状況をどうにかできると考えるほど、己惚うぬぼれてはいないつもりです」

「……ならば、何故だ?」

「王位の簒奪さんだつが過程の一つに過ぎないからです。その必要がなければ、ないに越したことはありません」

「これが過程にすぎないとは……お前は一体何をしようというのだ?」


 目つきを厳しくする国王に、ヴィルジールは毅然と答えた。


「私が王となったあかつきには――王政を廃止することと引き換えに、国民に総動員令を発令するつもりでいます」

「……⁉」


 国王がヴィルジールの言葉に驚きを露わにした。

 厳しい顔で口を噤んでしまった国王のその横から、王国宰相オーギュスト・バルバーニの声が飛ぶ。


「何を馬鹿なことを⁉ 教会は国民の戦争参加の強制を禁じているはずだ……リュテイア教を敵に回せば、マルーティアの援助を受けられなくなるのだぞ! かつてのマリド王国のようになってしまえば、この戦には――――」

「強制しなければ問題ないのだろう?」

「それで帝国の戦力を凌駕りょうがするほどの人員を集められるはずがないと申しているのです!」

「ならば、現在のマリド共和国の在り方は何とする?」

「マリドには魔導武器と、それを運用する潤沢じゅんたくな資金がありましょう! 我が国には……」


 ヒートアップして、我が国にはそのどちらもないだろうと言いかけたところで、オーギュストは閉口した。

 王子の後ろに静かに佇んでいるクロード伯爵が目に入ったためである。

 瞬間、オーギュストの思考がその回転数を上げていった。


 ランクロワ王国の国庫にはもはや防衛戦に回す以外の余分な金など残ってはいない。しかし、国庫以外の金――資産家や資本家たち、そういった者たちの資産を当てにできるとなればどうであろうか。

 また、資産家や資本家の持っている資産が貴族たちの総資産を上回るようになる以前から、資産家や資本家と付き合いを深める道を選んでいた変わり者――クロード・アンテマリア伯爵であればどうであろうか。

 国民からも信頼の厚いクロードが王子と共にここにいるということはつまり、魔導武器の運用資金を集める算段がついているのではないか――。


 と、宰相がそこまで思考を巡らせたちょうどその時、国王がヴィルジールへ問いかけた。


「クロードが資金運用にかかわっているのか?」

「はい。他にも複数の支援者がおり、その資金の運用を彼に一任しております。さらに、具体的な数はお教えできませんが、すでにまとまった数の魔導武器を確保しております」

「して、魔導武器はどれほど集まったのだ?」

「今ここでそれをお教えすることは出来ません……今回の行動を起こすにあたり、私は貴族たちの反乱にも対処するつもりでいますので」

「……ほう」


 ヴィルジールがそう豪語するからには、すでに十分な兵站へいたんと武装を確保できているのだろう。そう考えた国王は、息子のその用意周到さに感心した様子をみせたものの、すぐにその表情を苦々しいものへと変えた。


「なぜ行動を起こす前に私に相談しなかったのだ、そうすれば……」

「その仮定は、もう無意味にございます……父上」

「何故だ? 現にこうして話し合うことで、互いの理解が――――」

「得られたとは言い難いでしょう……なぜならアナタ方は結局、徹底防衛を選択したのですから――それも、マリド共和国が帝国に攻め込むことを期待して」


 言い終えた途端、ヴィルジールは国王をキッと睨みつけた。


「もしアナタ方がランクロワ王国に、王国の民に期待していたというのならば、私と同じ結論にたどり着いていないはずがない!」

「それは……」

「しかも、アナタ方は自分たちの失策を一人の人間の責任にし、国民から向けられるべき怒りから逃げようとすらしていた! これの一体どこに……どこに信用に足る要素があるというのですか⁉」

「……」


 悲しげな表情を浮かべて、語気を荒げるヴィルジール。

 彼は血塗れの手で大臣たちを示しながら、黙りこくってしまった国王へと訴える。


「私の意見具申が父上のもとに届いていなかったのがその何よりの証拠でしょう! だからこそ私は、アナタが信頼している臣下を誰一人として信用することが出来ない! そして何より――」


 そこで言葉を詰まらせたヴィルジールは、怒りと悲しみが綯交ないまぜになった表情で国王を見た。


「――兄上を失ってしまったあの時、父上が変わられてしまったあの時から……私はアナタのことが信じられないっ!」


 ぎゅっと握りしめられたヴィルジールの左手から、赤黒い鮮血がぽたりと落ちる。

 独白にも似た王子の言葉に、国王は何も返すことは無かった。

 沈黙が降りた会議室に聞こえるのはヴィルジールの荒い息遣いだけ。


 それからしばらくして、「そうだったか」と国王がぽつりと呟いた。

 彼の言葉は、張り詰めたような沈黙の中にあって、会議室にいた者達全員の耳にいやにはっきりと聞こえるものであった。その呟きに含まれた一種の諦念のようなものを察して、家臣たちがその表情を一様に青いものへと変えていく。


 国王はそれらを無視したままどこか遠くを見遣ると、そのまま王子へと顔を向けることなく口を開いた。


「お前の想いは理解した……ただ、一つ聞かせて欲しい」

「……何でしょうか?」

「我らが罰せられることに否やはない……がしかし、帝国に勝利した後のお前はどうなるのだ? 聡明なお前のことだ……その先の展望も描いているのであろう?」

「……」


 国王の言葉にヴィルジールは苦虫を噛み潰したような顔をしたまま何も返さない。

 今度はヴィルジールが押し黙る番であった。


「正直に申せ」

「……アナタには知る必要のないことだ」

「仮に我々を罰したところで、それは帝国との戦争に後手を踏む結果を生んだという責しか問うことは出来ん。無辜むこなる民を戦地へと駆り立てたその責は、また別に負う必要があるはずだ」

「……」

「民もそう馬鹿ではない。たとえこの戦に勝利しようと、その責任はいずれ追及されることになるであろうな……王家の血に連なる者として」

「それは王族の一員として当然のことでしょう……アナタは私にそれを背負う覚悟が足りていないとでも言いたいのですか?」

「――――違う」

「ならば、この問答にはいったい何の意味があるというのですか⁉」

「意味ならばある。ただ、お前がわかっていないというだけの話だ」

「……私に何がわかっていないと?」


 国王の言葉に、ヴィルジールは苛立ちを露わにその表情を歪めた。

 そもそもとして、自分が一体誰の尻ぬぐいのために奔走ほんそうしていたと思っているのか。その上、さらに説教じみたことを話そうだなどと、一体どの面を下げてしようというのだろうか、と。

 ヴィルジールの視線が悲しみから、侮蔑へと変わろうかというところで、国王が「それはな」と、口を開いた。


「――子の未来を奪いたい親などいないということだ」


 それを聞いた瞬間、ヴィルジールの頭にカッと血が上った。


「今更なにを言っている⁉」


 そう口火を切った王子の口は止まらない。


「王宮の仕来りに従ってくだらない儀式をしているかと思えば、闘技会の賭け事に興じて遊び! 家臣たちがパーティーでの序列争いに躍起になっているのを眺めてばかり! アナタが誰かの未来を案じている素振りなど見たことがない!」


 さらにヴィルジールは王のもとへと一歩踏み出し、声を張り上げた。


「対帝国について話し合う時間などいくらでもあった! それを不意にしたのは、他ならぬアナタではないか! 冗談も休み休み言え‼」


 激しく激昂するヴィルジール。

 彼の言葉からはすでに敬語ががれ、国王に対する言葉遣いに気を回す余裕さえも失くしていた。

 そんな王子の言葉を国王は目を瞑り、凪いだような表情で受け流す。


「冗談など言っているつもりはない」

「……まだ言うかっ! そのような戯言に付き合っている暇など――――!」


 らちが明かないと話を切り上げようとしたヴィルジールへと、国王は困ったような顔で視線を向けた。


「お前には、私が国外にまで目を向ける余裕があったように見えていたのだろうな。そして、国王という存在がそうあるべきであるとも……だが、それはお前の思い違いだ」

「……思い違い?」

「そもそも私にそのような余裕は無かった。今まで通りに王国を維持することだけで手一杯だったのだ。お前のような非凡な者には分らぬかもしれんが……」


 何を言っているのか分からないといった様子のヴィルジールに向けて、国王は自嘲じちょうを浮かべると途中で言葉を切ってしまう。


「…………言い訳など、聞きたくもありません」

「そうだな……いずれにしろ、私が貴族への対応にかまけている間に人々の心が離れていってしまったのは否定しようがなければ、するつもりもない。私の失策を罪というならば、甘んじてそれを受け入れよう」


 国王はそう言うと、「だが」と付け加えた。


「お前の話を聞いて、少しだけ考えが変わった」


 そのどこか不穏な物言いに、ヴィルジールの背後で近衛騎士たちが身構える。

 その様を見た国王が、さも可笑しそうにふふっと笑った。


「そう身構えんでも、暴れたりなどせぬよ。ただ――」

「ただ……なんですか?」


 困惑するヴィルジールに国王はどこか吹っ切れたように笑ってみせ――そして、父親然とした眼差しを目の前の息子に向けながら言った。


「最後の王の座を譲る気が無くなっただけだ」

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