第15話

 ガザン帝国の帝都タガレムに聳える白亜の城。


 その謁見えっけんの間にて、最も高い場所から式典の様子を眺めていた皇帝のもとへと、肥満気味の体を揺らした大臣が神妙な面持ちでやって来た。


「帝都にランクロワ王国の使節団が来ております……あちら側は外交交渉を望んでいるとの――」

「要らん」


 大臣が言い切る前にそう返した皇帝は、落ち窪んでいる眼窩がんかの奥から覗く黄ばみがかったまなこでギョロリと大臣を睨め付けた。

 せこけてなお、その巨体を玉座に深くもたれ掛けて座るその姿はいまだに皇帝の威厳を湛えている。そんな皇帝からわずかなりとも怒気を向けられた大臣は、「ひっ」と息を飲むと、早々に大臣たちの列へと戻っていった。


 このようなやり取りが行われている間にも、式典は滞りなく進んでいく。

 病に侵されている皇帝に代わって、その御前にて式典を執り行っていたのは皇太子であった。


「帝国将軍ローレンツよ――ここへ!」

「はっ!」


 返事と共に、居並ぶ将校たちの間から一人の男が進み出る。

 他の将校たちと比べても一際華美な衣装に身を包んでいるその優男は、皇太子の前で片膝を突くと、深く頭を垂れた。男が頭を下げた拍子に、その紫の長髪が肩口から流れるように落ちていった。


「皇帝代理、第一皇子クラウス・オルド・レイヴンズクロフトの名の下! ローレンツ・ロルフ・レッドグレイヴを、ランクロワ王国攻略戦における帝国軍総司令官に任ずる!」


 皇太子はそう宣言すると、側付きの者から華々しく装飾された一振りのつるぎを受け取り、それを目の前の優男へと差し出した。


「……はっ‼」


 剣をたまわったローレンツは、それをうやうやしく両手で捧げ持つ。


 今この瞬間、帝国がランクロワ王国への軍事作戦を本格化させることが決定した。

 この時にローレンツという男に送られた拍手は万雷の拍手とは言い難いものであったが、それをどこ吹く風といった顔でゆったりと立ち上がった彼は、紫の長髪を揺らしながら騎士たちの列へと戻っていったのだった。


 その後姿を満足げに見ている皇帝とは対照的に、皇太子がローレンツへと射殺すような視線を送っていた――。

 そして、ローレンツが謁見の間に敷かれた赤いカーペットの上を歩いていたその時、入り口の扉の方から何かを言い争うような声が聞こえ始めた。

 それから間もなくして謁見の間の扉が勢いよく開け放たれる。


 扉の向こうから現れたのは、使い古された軍服に身を包んだ偉丈夫いじょうふ

 濃い緑の髪を乱雑に切り揃えたその男は、騎士たちの制止を振り切り、カーペットの上をずかずかと進んでいった。


「お初にお目にかかります、シグルズ殿……私は此度、帝国総司令に任命されました――」


 頭を下げて挨拶するローレンツを、偉丈夫は無視して通り過ぎていく。

 偉丈夫が歩を進めその大きな肩で風を切る度に、背後のマントがはためいていた。

 そうして皇太子の側で立ち止まったその男は、この場で最も偉い存在であるはずの皇帝を見上げると、鬼のような形相で睨み据えたのだった。


 皇帝に対する蛮行に映るその行為に誰も非難の声を上げないことが、この男が特異な存在であることを表しているといえる。というのも、このシグルズという男は帝国の大英雄として、こと戦においてのみ皇帝に匹敵するほどの権利を有しているのだ。

 彼だけが身に着けることを許された背中のマント。そこに織り込まれた初代皇帝の剣を表すエムブレムこそがその証であった。


 待ちに待っていた人物の到着に、「間に合ったか……」と、皇太子がひそかに胸を撫で下ろしていたその後ろで、皇帝が面倒そうな表情を隠さずに大臣たちの方を一瞥する。

 すると皇帝は、面白くなさそうな顔を隠さずにシグルズへと問うた。


「何用だ……シグルズよ?」

「初代皇帝の盟約はどうした……名も知らぬ現皇帝よ?」

「ふむ? そう怒ることもあるまい……盟約は破ってはおらんのだからな。此度こたびの戦はお主が出るまでもないものだったというだけだ」


 皇帝の言う『盟約』とは、五百年以上前に初代皇帝と今ここにいる英雄シグルズとの間で交わされた、帝国法に匹敵するほどに重い約束事を指している。シグルズと呼ばれたこの男はその盟約の下、帝国を揺るがすような戦が起こるたびに戦場に現れては、幾度も歴史にその名を遺してきた存在なのだ。


 半世紀ほどの眠りから覚めたばかりの英雄は、眉間にしわを寄せながら問い返した。


「……ならば、なぜ私を蘇らせた?」

「知らぬな……私の意思ではない事だけは確かだ」


 しばしの間睨み合う二人に割って入ったのは、皇太子である。


「シグルズ殿を蘇らせるように命じたのは私にございます」

「……お前は?」

「第一皇子のクラウスと申します。今回の任命式では私が皇帝陛下の代役を務めてさせて頂いております」


 クラウスはシグルズに向けて帝国騎士の礼の姿勢を執りながらそう答えた。

 皇太子の振る舞いを見て、「ほう」と感心した様子をみせたシグルズに対し、皇帝はクラウスを冷ややかな視線を遣っていた。


「誰の許可を得て勝手な真似をしたのだ……クラウスよ?」


 皇帝はその眼を細めると、言葉の端々に怒気を滲ませながら静かに問う。

 それをクラウスは綽綽しゃくしゃくと受け流した。


「誰の許可も得てはおりません。そして、誰の許可も得る必要はございません」

「……なに?」

「全ては初代皇帝の意思をんだまででございます」


 皇太子はそう言うと、シグルズの前に跪き、自分の腰にいていた剣を両手で掲げ持ってみせた。


「この剣は帝国に命を捧げる貴方にこそ相応しい……どうぞお受け取り下さい」

「たとえその剣を与えようと、英雄殿に与えられる軍などないぞ?」


 協力するつもりが無いことを匂わせた皇帝に対しても、クラウスは引くことはなかった。


「軍は無くとも戦う術ならありましょう」

「そうか……ならば好きにするがいい。その代わりにお前に与えるはずだった軍は、第二皇子に移譲する」


 その言葉に謁見の間はざわめいた。

 皇帝のその言葉は、皇太子の帝位継承にも影響があるほどのものだったからだ。


 こうなることを承知の上で行動を起こしたクラウスであったが、剣を持つその手は緊張に震えていた。

 シグルズがこの剣を受け取ってくれなければ、明日にでも帝国に自分の居場所はなくなるだろう。そう考えて、頭を垂れたままのクラウスの背筋に汗が伝う。


 そのとき、ふと彼の手から剣の重さが消え――謁見の間にどよめきが走る。


 一世一代の賭けに勝った――。

 内心で喜びに打ち震えていたクラウスであったが、彼に喜びに浸るような時間は与えられてはいなかった。顔を上げたクラウスの目の前に、鞘に収まったままの剣が突き付けられていたのである。


「立て」

「……?」


 何かに失敗してしまったのか、と不安にその顔を引きらせながら立ち上がったクラウスに向けて、シグルズが問いかけた。


「貴様は私に何を望む?」


 目の前の偉丈夫のその瞳から虚言を許さぬという強い意思が見えた気がして、こくりと喉を鳴らしていたクラウスは、その金瞳きんどうでシグルズのエメラルドの瞳をしっかりと捉えてから答えたのだった。


「帝国の停滞を切り裂く刃とならんことを――望む」

「停滞か」

「……初代皇帝が恐れていたものだ」

「ほう……ならば、今がその時であるとでも言いたいのか?」


 言いながら、シグルズの瞳に剣呑けんのんな光が宿った。

 しかし、それに臆することなくクラウスは続ける。


「無論、そうなる前に片を付けるつもりだ」


 それを聞いてふっと笑みを零したシグルズは、その巨体を屈めると、クラウスに向けて頭を垂れたのであった。それも、クラウスに向けて剣を差し出しながら。


 その意味が分からない者はこの場には誰もいなかった。

 大英雄から剣を受け取った皇太子は仰々しい所作でもって剣をさやから抜き放ち――。


 そして、目の前に跪く大英雄の肩にその刃をトンと当てた。






 その翌日。

 すでに編成を終えていた帝国軍は、ランクロワ王国へ向けて進軍を開始していた。

 その光景を、帝国軍総司令官であるローレンツが城壁の上から眺めていた。

 紫色の長髪を風に靡かせていた彼の視線の先にあるのは、土煙を上げて行進する万を超える軍隊。

 しばらくその様子を眺めていたローレンツは、喜色を浮かべたまま背後を振り返るなり、言った。


「それでは、手筈てはず通りに頼みます」

「――はっ! 精霊召喚!」


 それに答えたのは、ローレンツの背後に並ぶように控えていた騎士達のうちの一人である。前へと進み出だその男が鷹の精霊を召喚したのを確認すると、ローレンツはこくりと頷いてから、居並ぶ将校たちに向けて微笑んでみせた。


「それでは――お先に」


 ローレンツはどこかウキウキした様子でそう言い放つと、帝国軍に支給されている短剣を上機嫌に引き抜き、鞘をどこかへ適当に投げ捨てる。

 するとローレンツは、何の躊躇ためらいいも無くその短剣を自身の胸に突き刺したのだった。


 その一刺しは心臓を正確に刺し貫き――――ローレンツは即死した。

 ローレンツの死体が瞬く間にオーバルへと変化する。その直後には、石畳に転がっていたオーバルを鷹の精霊が持ち去り、遠くの空へと消えていった。


 それはまさにあっという間の出来事だった。

 それからしばらくして鷹の精霊が見えなくなると、見送りに来ていた将校の一人が口を開いた。


「あのパフォーマンスは我々への恐嚇きょうかくのつもりなのか?」


 吐いて捨てるようにそう言う年老いた将校の言葉を皮切りに、他の将校たちも口々に好き勝手なことを言い始める。


「いや……それにしては心臓を貫く動きがあまりにも手慣れていたぞ。自死の経験が数十ではきかんのではないか?」

「そもそもじゃが、介錯人かいしゃくにんを置くことすらせずに己に刃を突き立てるなど、普通の神経をしている者には出来んよ」

「やはり……あやつは狂人でありますな」


 自国の総司令が戦地へと飛び立ったというのに、その勇敢さを称える者はこの場にはいなかった。それどころか、ローレンツに向けられた言葉のほとんどには侮蔑が含まれていた。


 当然、彼らがローレンツを忌み嫌っているのには理由がある。

 というより、もとより彼らとローレンツとの間には軋轢あつれきがあった。

 それが決定的なものとなったのは任命式を執り行う一か月以上前、王国への進軍についての段取りを決める会議でのこと。王国が防衛準備を整えてしまう前にどのようにして戦力を送り込むかについてを議論していた際に、ローレンツがとある意見を提示したことが発端である。


「五万の兵の首をね、国境付近に配置したマルーティアにそのオーバルを蘇生させればよいではありませんか」


 こともなげにそう言い放ったローレンツに、将校らは戦慄した。

 そもそもの話、何かしらの止むを得ない状況下で人間をオーバルにして運ぶ場合は、その対象を昏睡状態にした上で毒薬を投与するというのが通例なのだ。それは対象者に過度な苦痛を与えないためにも必要な処置であった。


 また、五万人分の毒薬を一度に入手することは難しく、仮に毒薬を集められたとしても、その動きは余りにも不審なものとなってしまう。ともすれば、王国にこちらの策を知られてしまう可能性が高かった。


 ローレンツの案は、『王国に気づかれずに兵士を一度に大量に輸送する』という一面だけを見れば優れた策のようにも見える。ところが、当然その案を採用するにあたっていくつかの問題があった。


「そんなことをすれば、軍の士気が著しく下がるであろうが⁉」


 五万の兵士が一斉に互いの首を切り落とす光景を想像して、一人の将校が厳しい顔でそう訴えた。

 その将校の主張は正しいものと言える。

 もちろん他の将校らも口々に反対したのは言うまでもない。

 ところが、反対意見に対してローレンツは以下のように反論してみせた。


「士気が下がったのなら、上がるまで恐怖で縛ればいいだけでしょう? この際は局地戦でも何でもかまいません……勝利を味わえるようになりさえすれば、士気は後から勝手について来るものですし。それともなんですか……我らが帝国軍はそれすらままならないほどに弱いとでも?」


 皇帝の御前でその言葉にいなやを唱えられる者はいなかった。

 その結果、こと戦に関して皇帝が全幅の信頼を置いていたローレンツの案のほとんどが採用される形となってしまったのである。


 その後の王国との戦闘時の案についても、ローレンツの提出したものの中には眉を顰めたくなるものが織り込まれていたが、将校たちは黙認せざるを得なかった。

 この時にはすでに、ローレンツと将校たちの間に生じていた軋轢は大きなものとなっていたのである。


「あのような流れ者を重用なさるとは、陛下も困ったものですな」


 帝国城を望みながらの一人の老将の呟き。

 皇帝に対する不敬ともとれるその呟きを咎める者はここにはいなかった。

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