第14話
クリッサの昔話を子守唄にして眠るリアナ。
彼女の記憶の底で
そう――――あれは、確かあれは天気のいい夏の朝のことだった。
知り合いの悪ガキに教えてもらった秘密の抜け道を使って、街の城壁の外に出ることに成功した私は、得意げにララちゃんへと振り向いた。
「うまくいったでしょ!」
「うん! リアナちゃんすごーい!」
私に手を引かれながら歩いていたララちゃんが、くりくりとしたその茶色い目を開いて、表情をふにゃりと歪める。
そうしてしばらく二人で
この道はピクニックに行く時に何度も通ったことがある場所で、森の奥の花畑へと続いている。私たちの今日の冒険の目的は、その花畑のさらに奥にあるらしいアンダルという木なのだった。
その木を目指して薄暗い森の中を小さな足で歩いていると、先導する私にララちゃんが話し掛けてきた。
「ねぇねぇ……リアナちゃん」
「ん? なあに?」
「そのダンダルの木だっけ? そのお花はどんなお花なの?」
「ダンダルじゃなくてアンダル。お花は見たことないんだけど、なんか……マンビョウっていうやつに効くすごいお花なんだって」
「へぇー! そんなすごいお花なの⁉」
「うん。なんかね……すごく奇麗で、すごくいい匂いがするんだってさ」
あまりよく分かっていなさそうな顔のララちゃんに、私はうろ覚えの知識を
「そのお花で、お姉ちゃん元気になるかなぁ……?」
急にしょんぼりとしてしまったララちゃんに、私は精一杯笑いかける。
「きっと元気になるって! この私が言うんだもの……大丈夫よ!」
後ろを向いてふふんと胸を張る私に、ララちゃんは笑顔を返してくれたけれど、やっぱりすぐにしょんぼりとしてしまうのだった。そんなララちゃんを見ていられなくて、私は繋いだ手をキュッと握って先を急いだ。
しばらくすると、薄暗い森の先に明るく開けた空間が見えてきた。そこに広がる花畑を見た途端にララちゃんが目を輝かせて、「うわぁ!」と、感嘆のため息を漏らす。
「リアナちゃん、ここって……⁉」
「前に来てみたいって言ってたでしょ? 元気出るかなって思って……」
「うん……ありがと! リアナちゃん!」
そう言って、くしゃくしゃの笑顔を見せてくれたララちゃんに、私は「えへへ」と、照れ笑いを返した。
色とりどりの花々の中を、ニコニコ笑顔のララちゃんの手を引いて進む。
花畑のさらに向こう側にある大きな森を目指して――。
そして、私たちが大きな木がたくさん生えている場所に近づいたその時、森の奥の方から何かの動物の
「……え?」
――この時の私は知らなかった。この花畑にピクニックに来れるのは、魔獣の掃討が終わった後だけだということを。そして、幼い頃の私は考えが及んでいなかった。子供でも行けるようなところに万能薬の素材が残っているはずがないということに。
オオカミのような生き物の姿が見えたと思った途端――首元に物凄い痛みを感じて、私は意識を失った。
次に目が覚めたのは教会のベッドの上だった。
いつの間にかエクスオードの街に戻ってきていたらしい。
「あれ……ララちゃんは?」
起きた時に側にいたシスターのお姉さんに尋ねても、お姉さんは困ったように微笑むだけで、何も答えてはくれなかった。目覚めたばっかりの私は、何の説明もないままアンテマリア家の迎えの従者に引き渡されることとなったのだ。
分かった事は、私が死んでからもう三日が経っているということだけだった。
「駄目だ」
ララちゃんを生き返らせてあげて、という私のお願いに対するお父さんの第一声がそれだった。ララちゃんがまだ生き返っていないということを家の者から聞いた私は、お父さんが家に帰って来る時を狙って、お父さんの書斎にまで頼み込みに来ていたのだ。
「どうしてよ! 私は生き返らせて良くて、なんでララちゃんはダメなの⁉」
「私の娘ではないからだ」
服を着替えながら淡々と答えるお父さんは、取り付く島もなかった。
そのことに腹を立てた私は、さらなる思い付きを口にした。
「なら、お金を貸して! 私がララちゃんを生き返らせるから」
「そういう問題じゃない……」
「……じゃあ、どういう問題なのよ! もうお父さんには頼まないから!」
そう言い捨てると、私はお父さんの書斎を飛び出した。
――この時の私は正しく理解していなかった。父の言っていた言葉の意味を。
ララちゃんがまだ蘇生されていないのは、ララちゃんの家にお金が無いからだ。
だったら、ララちゃんの家にお金を持っていけばララちゃんは生き返るはず。
そう信じて疑わなかった私は、自分の部屋にある金目の物をお気に入りのポシェットに詰め込むと、従者たちの制止を振り切って屋敷の外へと飛び出した。
重い重いポシェットをぎゅっと両手で抱えて、薄暗い路地裏を走り抜ける。
そうしてようやくララちゃんの家の前にまでやって来た私は、呼吸を整えるのもそこそこに玄関の扉をドンドンドンと叩いた。
少し経ってから、扉が開かれる。
扉の向こうから現れたララちゃんのお父さん――ロドリグさんは、私を見た途端に固まってしまうのだった。
固まってしまったのは私も同じだった。
ロドリグさんの顔が酷くやつれているのを見てしまったから。
そのまま私が何も言えずにいると、ロドリグさんが感情を押し殺したような声で私に尋ねた。
「……うちに何の用だ?」
「こ、これをララちゃんを生き返らせるのに――――ひっ⁉」
ポシェットの中身を見せながらそう言った瞬間、ロドリグさんに物凄い
大人から向けられたあからさまな怒気に驚いて、勝手に口から悲鳴が漏れる。
すると、怯えた私を見てふと我に返ったらしいロドリグさんが、悲し気に目を伏せた。
「帰ってくれ……」
さらにロドリグさんはふり絞ったような小さな声でそう言うと、すぐに扉を閉めようとしたのだった。
それを見た私が慌てて、「こ、これを!」と、ポシェットを突き出すと――――、
「――いいから、帰ってくれ‼」
と、ロドリグさんは私を怒鳴つけ、顔を合わせることすらないままに扉を閉めてしまう。
「……なんで?」
そう呟いて、ポシェットを持っていた手を力なく降ろした。
このポシェットには私の貯金だって入っている。絶対にララちゃんの蘇生の役に立つはずだった。
笑顔で受け取ってくれると思っていたのに、返って来たのは怒りだけ。
どうしたらいいのかわからなくて、目頭が熱くなる。
そうして玄関の前に立ち尽くしていると、横から声を掛けられた。
「大丈夫、リアナちゃん?」
「クリッサお姉ちゃん……」
「ごめんね。お父さん、今いっぱいいっぱいみたいだから」
いつもの表情に乏しい顔を悲しげなものへと変えたクリッサさんへ、私は肩から提げていたポシェットの中身を見せた。
「貯めてたお金も入ってるよ……? これじゃ足りない?」
私の言葉に、クリッサさんは首を横に振った。
「そのお金は蘇生には使っちゃいけないの……貴族の資産を使って蘇生をしてはいけない。そういう決まりがあるのよ」
「そんな⁉」
そんな決まりがあるだなんて知らなかった。
「ララちゃんは……どうなるの? お金は足りるの?」
私の問いにクリッサお姉ちゃんは視線を逸らすだけで、何も答えてくれない。
それが答えのようなものだった。
嫌な想像が頭の中から離れなかった。視界が歪み始めて、喉の奥がキュッと閉まる。
私のせいだ。私のせいでララちゃんがいなくなってしまう。
クリッサお姉ちゃんやロドリグさんから家族を奪ってしまう。
そう考えると堪えきれずに涙が溢れた。
「………………いやだ」
服の袖でぐしっと顔を拭った私は、クリッサお姉ちゃんの制止の声も聞かずに裏路地を駆け出した。
息を切らせながら表通りへと抜けて、領都エクスオードに一つしかない教会へ走る。表通りを走っている途中で、誰かに声を掛けられたような気がしたけれど、振り返らずに走って走った。
この道を曲がれば教会だ。
そう思って走る速度を緩めたその時、いきなり誰かに肩を掴まれた。
それに驚いて、「きゃっ!」と悲鳴を上げた私は、肩に掛けられた手を振り払う。
そうして、後ろを振り返った拍子に見たものは、見知った悪ガキの困惑した顔だった。
「……なに?」
先を急いでいた私がその悪ガキ――イヴァンを睨みつけながら尋ねると、イヴァンは泣きはらした私の顔を見るなり、珍しく真剣な顔で尋ね返してきた。
「そんなひどい顔してどうしたんだよ? 俺の声も聞こえてなかったし、なんかあったのか?」
「…………イヴァンには関係ない」
「そうだけど! ほっとけないし! なんか手伝ってやれるかもしれないじゃん!」
泣き
暇さえあれば悪戯ばかりしているイヴァンに出来る事なんて何もない、そう言ってイヴァンを突っぱねようとしたその時に、ふと思い出した――たしか以前、イヴァンは教会の倉庫に忍び込んだことを自慢していたはずだ、と。
それをどうやって聞き出したものかと考えている間、じっとイヴァンを見つめたまま動かないでいると、何故かイヴァンが頬を赤らめたのだった。見つめ合って道端に立ち止まっていた私たち二人に向けて、おばさんたちの「あらあら」という話し声と、生暖かい微笑みが向けられる。
私のやろうとしていることは、人通りの多い表通りでは話せない。
注目されるような原因を作った目の前のバカへと恨めし気に視線を遣った私は、場所を変えるべくイヴァンの手を引っ張って走り出した。
向かう先は教会、その裏手にある倉庫だ。
倉庫の横の小道に入った私は手を放すと、イヴァンへと振り返った。
「……な、なんだよ⁉ いきなりこんなとこにまで連れてきて――――」
「倉庫の中に入りたいの!」
「――――は?」
私の言葉を聞いたイヴァンが、バカを見るような眼で私を見ていたが、それも気にせずに私は彼に詰め寄った。
「前に自慢してたじゃない! 倉庫に忍び込んでやったぜって! オーバルがいっぱい並んでて綺麗だったって!」
「いや……そりゃ度胸試しとか言って、チビ達と一緒にやったけどさ……」
さっきは手伝ってやるとか息巻いていたくせに、イヴァンは今になってなぜか気が進まなそうにしている。
そんな煮え切らない様子に焦れた私は、ポシェットから純銀のネックレスを取り出して、イヴァンへと見せつけてやった。
「これでどう?」
いくらおバカなイヴァンでも、このネックレスの価値は分かったらしい。
それを見て一瞬だけ目を見開いたイヴァンだったけれど、私の顔を見るなりなぜかいきなり怒り出した。
「ふざけんな⁉ そんなん要るか!」
「……ご、ごめん」
ネックレスを持つ手を押し返しながらそう言うイヴァンの剣幕にびっくりして、私は咄嗟に謝罪を口にしてネックレスを引っ込める。
「いいから――もう二度とそういうことすんな!」
怒っているような、それでもどこか覇気を感じられない様子でイヴァンはそう言うと、私にちらと目を合わせてから背を向けた。
「わかったよ、手伝ってやるよ! だから……お前はここで待ってろ!」
イヴァンはそう言い残すと、どこかへと走っていってしまった。
それからしばらく小道の端っこから倉庫の入り口の様子を伺っていると、イヴァンが大通りの方から走ってやって来た。
なぜか両手をポケットに突っ込んだ不自然な恰好のまま――。
そのままイヴァンは倉庫の扉の前に立っている神殿騎士の所まで走っていくと、大声で叫んだ。
「くらえ! 牛糞魔法‼」
その声と同時に、ポケットから取り出した茶褐色の物体を神殿騎士の顔面目掛けてぶん投げる。
べちゃり。
粘着質の音が聞こえた直後、ひと時の静寂が訪れた。
それから少し経って、強烈な匂いが私の鼻を襲う。
神殿騎士の手から倒れ落ちた槍が、ガチャンという音を立ててその静寂を破った。
「く・そ・が・き・がぁぁぁぁぁぁっ‼」
激怒した神殿騎士の咆哮。
それを至近距離で食らったイヴァンが、「ひっ」と悲鳴を上げ、大通りの方へと一目散に逃げだした。
そのすぐ後ろを神殿騎士が追いかける。
どう見てもイヴァンが捕まるのは時間の問題だった。
「ありがと」
走り去るイヴァンに向けてそう呟いた私は、扉の周囲に散らばった茶色いモノを避けながら倉庫の中へと侵入した――。
倉庫の中は薄暗くて、埃っぽかった。
小さな明り取り用の窓から差し込んでくる光だけでは、足元に広がる暗がりまでは照らせていない。
たくさん並んでいる棚がその光を遮っているからだ。
それでも物にぶつからずに歩けるのは、棚に敷き詰められている箱から漏れ出すオーバルの淡い光のおかげだった。
棚にはそれぞれ
その表記を頼りに自分の背よりも高い棚が並ぶ中を進んでいった。
三日前の日付の書かれたものを探して。
聖歴一七一二年、七月二十七日。
仕切りで区切られた棚の一段には、そこにあるはずのララちゃんの箱がなかった。
「どうして?」
何度確認しても見つからなかった。
激しい
そうしてしばらく倉庫を
そこで私は見つけてしまった。
ララ・七歳と墨で書かれた板切れと、その側に置かれていた一つの頭陀袋を。
口の開いた頭陀袋には墨で『聖国行き』と殴り書きがされていた。
震える手で袋を掴んだ私は、おそるおそるその中を覗き込む。
「ひっ!」
そこにあったのは十や二十じゃ利かない数のオーバルだった。
誰が誰だか判別不能の石の群れの中にララちゃんがいる。
そう思った瞬間、怖くなった私は袋を手放して後退っていた。
その拍子にいくつかのオーバルが床に落ちて転がった。
私の足元にころころと『死』が転がってやって来る――。
「うぁ……」
それらにララちゃんを重ねた瞬間、私の中で何かがポキリと音を立てた。
「あ……あ……ぁ……!」
胃がぎゅるりと捻じれるような感覚。
頬を伝う嫌な汗が顎を伝い、涙が滲んで視界が霞んでいく。
必死に頭を働かせようとしても、それを脳が拒否していた。
からからに乾いた喉が震え、勝手に掠れた嗚咽が漏れた。
「ゴメンね……ごめんなさい……ごめんなさい……」
その場にゆっくりと崩れ落ちた私は、ただ謝罪することしか出来なかった。
誰も力を貸してくれないのなら、私がララちゃんのオーバルを王都に持って行って、蘇生させてあげよう。そんな浅はかな考えから始まった私のララちゃん救出計画は、こうして大失敗に終わった。
あの後どうやって自分の部屋まで戻ったのかは覚えていない。
気づいた時には私はベッドに突っ伏して顔を埋めていた。
ふと顔を上げてみれば、窓から差し込む夕日が部屋を赤く染めていた。
ベッドのサイドテーブルへと目を遣ると、お気に入りのピンクのポシェットからアクセサリーや貨幣が落っこちて床に散らばっているのが見える。
それをぼーっと眺めていた私の目から、勝手に涙が零れ落ちた。
床に散らばった金貨がくすんで見えたのは、きっと涙のせいではなかったのだろう。
この時からだ。貴族として私を育てることを嫌がっていた父の反対を押し切って、貴族になることを目指すようになったのは。
泣き疲れていた私は、瞼が重くなっていくのに任せてゆっくりと眼を閉じた――。
◇ ◇ ◇
微睡から覚めたリアナが目を開けると、ぼやけた視界に彼女の良く知るメイドの顔が映った。
途端にリアナの顔に笑顔が零れる。
「あ……おはよう、クリッサ」
「おはようございます……リアナ様」
昼下がりの教会の個室で二人きり。
完全に眠りから覚醒したリアナは、何も言わずにクリッサの腰元へと抱き着いて、そのぬくもりを確かめるかのようにぐりぐりと顔を押し付けた。
「……リアナ様?」
「…………おかえり」
「はい……ただいま」
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