第10話
二回目の舞踏会以降は、上級生から下級生に対する倶楽部の勧誘が解禁されるようになる。ひいては、上級生の倶楽部に参加した下級生が、さらに同級生たちに声を掛けるという行為がしばしば見られるようになるのが、ランクロワ王立学園におけるこの時期の特徴であった。
倶楽部とは、共通の趣味を持った者達が集まる会員制の団体の事を指し、その活動はランクロワ王立学園でも盛んに行われている。
学園にある倶楽部は、政治や社交、文芸や歴史に関するものなどがほとんどであり、総じてそのどれもが入会するメリットが大きいものである。というのも倶楽部に入った場合には、同じ派閥同士の横の繋がりばかりでなく、派閥を超えた縦の繋がりが得られる上に、それに伴った学外でのサロン活動なども許されるようになるからだ。
そんな七月初旬のある日、御多分に漏れず同級生から倶楽部の勧誘を受けていたリアナのもとへと、メイドのクリッサが一通の手紙を携えてやって来たのだった。
「……リアナさんの所にも来ましたの?」
「ええ……」
「いったいこれは何がしたいんでしょうか?」
リアナと全く同じ手紙を手にしていたアリシアがそう言って首を傾げる。その隣ではジェシカが眉をしかめながら、うーんと首を捻っていた。
雨季に入り、しとしとと雨が降り始めた少し肌寒い水の日の午後。エリーゼの部屋に集まった彼女たちを悩ませていたのは、この手紙であった。美しい植物のデザインが施されているこの手紙には、どこにも差出人は書かれておらず、表紙にはただ『倶楽部へのお誘い』とだけ書かれている。
肝心の手紙の中身はと言えば、以下のようなものだった。
『その者はPの文字の下で、薔薇の精霊とその意思の残りし場所を守っている。精霊たちの最も嫌う日。その者より連なる、薔薇の若葉に相応しき者にこの手紙を渡せ』
倶楽部へのお誘いと書いておきながら、その中身は意味の分からないなぞなぞのような文章だけ。そんなものをわざわざ送りつけてくる理由が思い当らず、リアナは誰に言うでもなく呟いた。
「……悪戯なのかしら?」
「かもしれないわね。けれど……倶楽部への誘いとありながら、こちらを試すようなやり方があまり気に入らないわ」
そう言うとアリシアは、さっさと手紙を置いて紅茶へと手を伸ばしてしまう。
「でも……悪戯にしては手が込んでいますわね」
「そうなのよね……」
こういった手紙は、自分より身分が高い相手に送る場合は差出人本人が、自分より身分が低い相手にはその従者が渡しに来ることがほとんどである。
また、リアナがクリッサから聞いた話では、学園の使用人から預かったと言っていたことから、少なくとも相手は足がつかないように気を配っていたということになるのだ。
しかも、それがリアナたち四人全員に対して行われていた。ということは、もしこれが手の込んだ悪戯だとしても、最低でもリアナたち四人の従者とその待機所を把握した上で、手紙を持たせた学園の使用人を向かわせる必要があった。
一人でこれを実行するのはかなり無理があることから、協力者がいたことは想像に難くない。そこにまで考えが及んだリアナは、「ミラベル達の仕業かしら?」と、ふとした思いつきを口にした。
「それはないと思うわ」
リアナの思い付きに真っ先に異を唱えたのは、アリシアだった。
すると彼女は紅茶をそっと置いてから、難しい顔でリアナを見た。
「ミラベルたちの嫌がらせは、どちらかと言うと噂を流すといったあまり労力を必要としないものばかりだもの。それにこんなに回りくどいことをする……というか、出来る頭を持っているとは思えないわ」
「……確かに」
思い返してみても、あまり直接的な嫌がらせの類を受けた覚えが無かったリアナは、アリシアの言葉に妙に納得してしまっていた。
その横で、手紙を手にしたままのエリーゼが呟く。
「精霊たちの最も嫌う日。というのは多分、明後日の金鉄の日のことを指しているんでしょうけれど……後はさっぱりですわ」
精霊は人工物をあまり好まず、その中でも特に精錬された金属類が苦手とされている。そのことからも、精霊の嫌う日が金鉄の日であるということは魔法使いであればすぐにわかることだった。
「そもそも、『Pの文字の下』が何を指しているのかすら分からないわ……」
「学園で特徴的な場所と言えば、中庭の石像とか……ストーンガゼボとその周りの庭園くらいですわよね?」
「うーん? 学内に限らないかもしれないけど……でも、確かに」
この学園の創設者であるプロテア=ローズ・ソウルズベリー。彼女の名前には薔薇だけでなく、その頭文字にPの文字が入っている。それが全く無関係にも思えなかったリアナは、
「プロテア=ローズ・ソウルズベリーに所縁のありそうな場所を
と、エリーゼに向けて冗談めかしてそう言った。
するとその時――。
「……あっ!」
と、何かを思いついたらしいジェシカが声を上げた。
「何かわかりましたの?」
「はい、多分ですけど……」
皆の注目を集める中ジェシカはそう言うと、エリーゼの問いにすぐには答えずに、一度手紙へ視線を落としてから話し始めた。
「まず……手紙の冒頭にあるその者というのはおそらく、学園長のガブリエル卿のことを指しているのだと思います」
「何か根拠があるの?」
「はい、えっと……口で説明するより、実際に行って見てもらった方がいいかと」
ジェシカがちらりとアリシアの方を伺いながらそう言うのを聞いて、リアナとエリーゼも同時にアリシアの方を見遣る。しばらくじっと目を合わせたまま何も言わない二人に根負けするように、アリシアがため息を吐いた。
「わかったわ…………行くわよ」
空は夕暮れとなり、窓から斜陽が差し込む時間帯。
リアナ一行がジェシカに連れられた先は、学園本館の最上階にある学園長の部屋の前であった。
「……本当にありましたわ」
「何でここにだけ……Pの文字が?」
「文字だけじゃないわ……フクロウの精霊のレリーフも」
ジェシカに促されて学園長室前の天井を見上げたリアナとエリーゼ、アリシアの三人が、口々にそう声を漏らす。
本館の最上階にある石造りの天井には、びっしりとFの文字とサラマンダーの彫刻が彫られており、なぜか校長室の前にだけPの文字とプロテア=ローズ・ソウルズベリーの所持精霊であるフクロウの精霊が彫られていたのだ。
「サラマンダーの精霊が彫られているのは、この学園が城として使われていた頃の名残で、火除けのおまじないの意味が込められているのだそうです」
「Pについては分かるのだけど、Fは何なのかしら?」
「えっと確か……Fの文字はこの城を建設した時の王である、フェルディナン王の頭文字だったはずです」
アリシアの問いにそう答えてから、ジェシカは続けた。
「フクロウについては知識の象徴として扱われることが多いので……知識を守る者という意味があるのではないかと思います。なので、手紙にあった『薔薇の精霊とその意思の残りし場所』というのは、この場所を指しているだけでなく、学園全体を指しているのではないかと思うんです」
ジェシカの答えを聞いて、エリーゼがなるほどと頷いた。
「確かに……それを聞くと、手紙にあった『その者』というのが学園長にしか思えなくなってきましたわ」
「……もしそうなら、『その者より連なる、薔薇の若葉に相応しき者』って、学園長の血縁にあたる人物を探せばいいってこと?」
手紙を手にして尋ねてきたリアナに、ジェシカはこくりと頷く。
「はい……それに該当する上級生が一人だけいます――――現学園長、ガブリエル卿の孫にあたる、クリスティーヌ・ウィルダースピン様です」
神妙な顔をしたジェシカの口から、ここにいる誰もが思ってもみなかった名前が飛び出した。
それから二日後の金鉄の日。
リアナはエリーゼたちと一緒に、指定された時間通りにクリスティーヌのもとを訪ねに向かっていた。約束を取り付けた際にクリスティーヌから指定された先は、学園本館の最上階――おととい訪れたばかりの学園長室だった。
まだ日が沈み切っていないというのに、薄く雲が懸っているせいか学内は
エリーゼがコンコンコンと校長室の扉をノックすると、少ししてから「はい」という返事と共に老年のメイドが顔を出した。
「どのようなご用件でしょう?」
「ええと……クリスティーヌ様から、こちらを伺うようにと言われたのですが」
そう言ってエリーゼが手紙を差し出すと、それを見た老年のメイドは「どうぞお入りくださいな」と、すぐにエリーゼたちを部屋に招き入れる。
そうしてメイドに案内された先は、学園長室に備え付けられている別室だった。
すると、別室の扉を潜ったリアナたち四人に向けて、縦に長いテーブルの向こうから透き通るような
「ようこそ――倶楽部『シード・ソロモン』へ」
少し薄暗い部屋を照らしている枝付きの
その向こうにいるのは、少女というよりも女性と表現するのが相応しい人物であった。
彼女こそが手紙の差出人――クリスティーヌ・ウィルダースピンである。
「シード・ソロモン?」
「そうよ……可愛いでしょう?」
「え、ええ……」
まさか自分の呟きに反応が返ってくるとは思っていなかったリアナは、咄嗟に
「立ったまま話すのもなんでしょう? さあどうぞ……お座りになって」
「は、はい」
「ばあや、手紙を預かってもらえる?」
そう言って、リアナたちが席に着いている間に老年のメイドに四通の手紙を回収させたクリスティーヌは、メイドからそれを受け取った途端――蝋燭に
美しい飾りの施された手紙がみるみるうちに燃えていく。
突然のことに驚くリアナ達を余所に、クリスティーヌは火のついた手紙を皿の上に置くと、紙が燃え尽きるのを待つことすらせずに話を切り出した。
「それでは、まず倶楽部への入会について――」
「その前に聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
クリスティーヌの話を遮ったのは、アリシアだ。
彼女は右手を上げながら、鋭い視線を隠さずにクリスティーヌを見据えている。
「……何かしら? アリシア・ウィンスレットさん?」
話を途中で遮るという無礼にも全く動じた様子も無く、クリスティーヌはにこやかに尋ね返した。
「何のために、私たちにあのような手紙を送られたのでしょうか?」
「詳しい理由は説明できないわ…………あえて言うのであればテストをしていた、といったところでしょうか」
「テスト?」
「そうよ。貴女たちに宛てた手紙に使っている封筒は、王国で手に入る最高級の紙で作られ、そのデザインもエルフの影響を多分に受けた最先端のモノになります」
そう言うと、クリスティーヌは皿の上の燃えかすを指差してから続けた。
「その違和感に気づかずに悪戯だと断じるような者であったり、学園に対する知識があれば簡単に解けるような問題が分からない者は、この倶楽部には必要ありません」
「……私は手紙の問題を解いたわけではありませんが?」
「問題解決能力のある人物と
そう断言されてしまえば反論する余地は無く、アリシアは口を
「質問はもうないわね?」と、リアナたちを一度ぐるりと見まわしたクリスティーヌは、何もない事を確認してからメイドへと指示を出す。
「ばあや……アレを」
言われて老年のメイドがリアナたち四人に配ったのは、番号の彫られたバッジ。
そのバッジは、
「……これは?」
「会員章よ……それを受け取った瞬間から、貴女たちを倶楽部の会員として扱うわ」
何気なくバッジを手に取ろうとしていたジェシカがそれを聞いて、慌てて机の下に手を引っ込めた。
それを隣で見ていたリアナが、恐る恐る尋ねる。
「入会する前に何も説明はないのですか?」
その言葉と、後輩たちのあまり
「私も会員の一人にしか過ぎないから、詳しく話すわけにはいかないのだけど……そうね、秘密を守り、クラブの決めた方針に従うことは絶対ということだけは伝えておきましょうか。もちろん、今ここで入会を辞退してもらっても問題ないわ」
そう言って微笑んだクリスティーヌの胸元で、倶楽部会員の証であるバッジがキラリと光る。
少しの間、沈黙が部屋を包みこんだ。
クリスティーヌの口ぶりから推察するに、彼女は説明しないのではなくて出来ないのであろう。そしてそれは、クリスティーヌ自身が倶楽部のルール下に置かれていることを意味し、彼女はそのルールに従っているということになる。
そこから考えられるのは、倶楽部に彼女以上の権力者が関わっている場合と、そして倶楽部自体に厳格なルールを敷くだけの価値がある場合。そのどちらにしてもクラブに入るメリットは大きいように思える。
しかし、だからこそデメリットが想像できないことが恐ろしい。
沈思黙考の末、自分にはこの誘いを断る理由はないという結論に至ったリアナが、一番にバッジを手に取った。
「あら、思ったより悩まないのね?」
とのクリスティーヌの声に、リアナは困ったようにはにかむ。
「いえ……よくよく考えてみたら、私にとってはメリットにしか思えなかったので」
その答えに、もしリアナさんが辞退したらどうしようかしら、などと考えていたクリスティーヌが内心でほっと安堵していたことは秘密である。
「……確かにそうですわね」
すると、エリーゼがリアナの後を追うようにバッジを手に取った。
「わ、私も……」
それに続いて、なぜかがちがちに固まっていたジェシカがバッジを掴み、さらにそれを見てため息を吐いたアリシアが何も言わずにバッジを摘み上げた。
四人全員がバッジを手に取ったのを確認すると、クリスティーヌは嬉しそうにパンと手を合わせる。
すると、唐突にクリスティーヌが「ああ、それとね」と、話を切り出した。
「この倶楽部は王家に連なるとあるお方の意向によって創設されたものなので、秘密の保持と命令の
「⁉」
どこか楽し気なクリスティーヌの爆弾発言に、四人の後輩たちは固まった。
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