第9話

「勝者、エルネス・ドラゴンキーパー‼」


 地面に崩れ落ちたアランを確認した審判が、エルネスの勝利が宣言した。がしかし客席から歓声が上がることはなく、闘技場は水を打ったような静けさに包まれていた。


 戦いを終えてエルネスの銀翼が宙に溶けて消えていったその時も、そして宙に溶けだしていた銀色の粒子が集まり、エルネスの首元でネックレスへと変わったその瞬間も、観客の誰もが声を上げない。


 エルネスが通路へと帰っていく時にも勝者に掛けられるはずの声援はなく――そして、アランがアリーナから運び出されるその時も同様に敗者に対する野次の声は上がらなかった。


「なんだあれは⁉」

「あの翼は魔道具なのでは?」


 どこかからそんな声が上がり騒がしくなり始めたのは、エルネスが退場してしばらく経ってからであった。


 そのざわめきがどよめきへと変わり始め、賭け事をしていた一部の者達の悲痛な声が喧騒に混ざり始めた頃。三階席の最前列に腰かけ、一階席の貴族たちが動揺をあらわに話し合っているその様子を、冷ややかに見下ろしていた青年が口を開いた。


「いやいや……いい戦いだったね?」

「はい」


 商人の服に身を包んでいたその青年に返事を返したのは、青い髪をした護衛の男である。


「エルネスと言ったかな……彼をどう見る?」


 青年の質問に、その男は「所見でよろしければ」と、前置きしてから答えた。


「背中の翼については何も分かりませんでした……ですが、彼の戦闘スタイルは周辺諸国のどれとも一致していませんので、我流のものかと思われます。ルチア様からの情報通りであれば、彼個人の危険度は低いものであると私は愚考します」


 及第点の回答を即座に答えてみせた男へと、青年は「そうかい」と、満足げに笑ってみせたのだった。


「こんなところにいたのですね……ヴィル、それにマティも」


 その声に振り向けば、そこにいたのは青年の良く知る女性。

 簡易的なカーテシーを披露した彼女へと、青年――ヴィルは柔和な笑みを返す。


「やあ、クリスティーヌ……よくここが分かったね?」

「有象無象の中から貴方様を見つけることなど容易いかと」

「そうか……」


 クリスティーヌの返答に小さく肩を落としたヴィルは「上手く変装したつもりなんだけどなぁ」などと呟いて、苦笑を漏らした。


「……はぁ」


 それを見て、クリスティーヌがわざとらしくため息を零したのだった。

 その意味に気づくどころか、「どうかしたかい?」と声を掛けてくる青年に、じっとりとした視線を送ったクリスティーヌは、おもむろにヴィルの耳元へとその薄ピンク色の唇を近づけた。


「――リアナ・アンテマリアについてはいかがいたしましょう?」


 耳をくすぐるように潜められたその声音。

 しかし、それを特に気にした様子も無く、青年は少しの間考え込む様子をみせた。


「出来るだけ早めに接触してほしいかな? やり方とかはいつも通り、全部君に一任しよう……リアナ嬢にちょっかいをかけそうな者達への牽制についてもね」

「はい……ご随意ずいいに」


 クリスティーヌの緑の瞳をしっかりと見つめながらそう返したヴィルに、クリスティーヌは再び軽めのカーテシーを披露すると、すぐに二人の下を去っていってしまった。


 彼女が立ち去ったあとには、ふわりと鼻をくすぐるバラの香りが残される。

 青年は少しだけ名残惜しそうにクリスティーヌを見送ってから、その琥珀色の瞳を一階席へと向けた。


「祖先の築き上げてきたものが無価値なものに変わりつつあるというのに……一体いつまでそれに縋りついているおつもりなのだ」


 青年は目つきを優し気なものから一変させ、その瞳に明らかな侮蔑を滲ませる。


 何かを憂う彼の声は周囲の話し声に紛れ――――ドン、という大きな太鼓の音がそのさざめきをさらに上から覆い隠していった。






       ◇ ◇ ◇






 エルネスがアランとの決闘で勝利した効果は、すぐ翌日から現れた。


 遠巻きにリアナを馬鹿にしていた者達の口撃はピタリと止み。リアナから距離を置いてよそよそしくしていた者達からもお茶会に誘われるようになったのである。

 決闘の取り決めの通りエルネスの試験についても免除されたことで、リアナは大手を振ってエルネスを伴って学園を歩けるようになっていた。それだけでなく、リアナはようやく精霊魔法の授業を受けられるようにもなっていたのだった。


 そうして、直近の大きな問題が解決したことでやっと肩の荷が下りたリアナには、学園生活を楽しむ余裕すら生まれていた。そんな彼女は今、放課後にエリーゼの部屋に集まってお茶と会話を楽しむという、もはやルーティーンと化した行事に参加していた。


「戦い方は誰から教わったの?」

「……村のジジイ」

「背中に生えていた翼は何ですの?」

「これ?」


 エリーゼの質問に、エルネスは胸元に輝く銀色のペンダントをぐいと引っ張って見せる。

 その拍子にペンダントトップに輝く銀色の鱗のような物体がぶらりと揺れた。


「それって、何かの鱗なんですか?」

「……?」


 ペンダントを指してのジェシカの質問に言葉が思いつかなかったエルネスは、困ったように首を捻る。しばらくすると彼は、側に置いてあった姫と竜騎士の絵本を指さしてみせた。


「それみたいなやつ」

「それって……ドラゴンですよね?」

「うん……多分?」


 エルネスは首を傾げながらも頷きを返す。

 それを聞いて、リアナ達は四人とも困ったように顔を見合わせた。


「ドラゴンの鱗ですの……?」

「嘘は吐いてはいないみたい……多分だけど」

「にわかには信じがたいわ……でも、そのくらいじゃないとペンダントが翼に変形することの説明がつかないわね」

「エルネスさんは、どこか別の大陸の出身なのかもしれないですね」


 中央大陸には、上級竜種に分類されるドラゴンと呼ばれる存在は、今は確認されていない。


 かつて神話の時代において、世界中に存在していたとされているドラゴンは、その死骸などが確認されてはいるものの、今や他大陸の未開の地にいるかどうかすら分からない伝説上の存在として扱われているのだ。


 そのドラゴンの鱗とされるものを目の前にぱっと出されたのだとしても、リアナたちにはそれが本物かどうか見極める術を持ってはいなかった。

 そのため、事態を重く見た彼女たちが話し合って出した結論は、許可なしにペンダントを軽々しく他人に見せびらかしたり、生い立ちに関する質問に答えたりすることの無いようにエルネスに良く言い含める、というものだった。

 それは、二週間後に控えた月末の舞踏会を見据えてのことである。


 それからのおよそ二週間を、貴族子女達の催し物への参加に加えて、エルネスの学内施設への引っ越し作業とその手続き、言語学習にと忙しく過ごすこととなっていたリアナ。様々な雑事に忙殺されていた彼女が気づいた時には、いつの間にか六月の最終日を迎えていた――。


 月末ということはそう、舞踏会が開かれる日がやって来たのである。


 今日開催される舞踏会は、一度目の舞踏会とは大きく異なるものとなっている。

 一度目の時の参加者が学園生と騎士学校生の一年生のみであったのに対し、二度目以降はそれに加えて学外から資産家や商家の子息を招き、さらに一年生の指導役として上級生たちも参加することが決まっているのだ。

 つまりは、本日の舞踏会は本番の社交界と何ら遜色そんしょくの無いものとなっているのである。






 解放された本館の庭園。


 月夜の闇に咲く花々を灯篭の明かりが柔らかく照らし出している。遠く聞こえてくるスローテンポのワルツが、そこに安らぎの空間を生んでいた。


 庭園の一部、芝生の広がっている場所にいくつか並べられている軽食の並べられたテーブル。そのうちのデザートが置かれたテーブルを前にして女生徒が「ふう」と息を吐く。


「やっと解放された……」


 初夏の夜風に当たりながらそう呟いたのは、リアナだった。


 今回はだいぶ余裕をもって舞踏会に臨むことが出来ていた彼女であったが、いくらエリーゼたちが盾になってくれたとはいっても、女性参加者からの質問攻めや男性参加者からのダンスの誘いなどからは完全に逃れることは出来なかったのだ。


 誰も見ていないことをいいことに、少しの間疲労の溜まっていた表情筋を両手で揉み解していたリアナは、自分のすぐ隣でお菓子をぱくついているエルネスを見て、笑みを零す。

 そして、リアナはテーブルの手前に置かれていた皿を手に取ると、嬉しそうにベリーのジャムの乗ったビスケットを頬張ったのだった。


 二人して甘味に舌鼓を打っていると、エルネスが食べる手を止めて後ろを振り向いた。

 つられて振り返ったリアナの視線の先には、燃えるような赤い髪をした少年――アランが立っていた。


「食事中、すまない」

「…………何か?」


 決闘騒ぎは事故のようなものであったが、もしエルネスが負けた場合は事がさらに大きくなる可能性があった。そう、例えばリアナが退学に追い込まれてしまうような。

 だからこそ、アランに対して思うところのあったリアナの口から出た声は、自身が思っていたよりも冷たいものだった。


 決闘は既に決着がついているというのに今更何の用があるというのだろうと、リアナがいぶかしんでいると、


「申し訳なかった!」


 と、突然アランが頭を下げた。


「……え?」


 頭を下げたまま微動だにしないアランに、リアナは面食らってしまっていた。


 リアナが何と声を掛けるべきかと言葉を探していると、アランの隣にいたもう一人の騎士学校生が割って入る。


「こいつを許してやっては頂けないでしょうか?」

「……あなたは?」


 リアナの問いに、メガネを掛けたくせ毛の少年は丁寧に騎士の礼を返した。


「申し遅れました……私はフェリクス・エインズレイと申します。今回の決闘では、我々も本意ではなかったということを今一度お伝えさせて頂きたく――――」

「私には、ノリノリで戦っていたように見えたのだけど?」

「それにつきましても、些細ささいなすれ違いがありまして⋯⋯」

「もういいフェリクス……やめろ」

「いや、だからってお前……」

「どんな理由があれ、私は全力で戦った上で決闘に敗れたのだ……すべてを正直に話さねば不義理にあたる」


 アランはフェリクスの言葉を遮ると、しっかりとリアナに顔を合わせてそう言い切った。


「私は決闘を利用して噂の真相を確かめるつもりでいた。この噂というのは、エルネス殿と――」

「はぁ……もういいわ」

「――む?」

「もういいって言ったのよ……貴方の謝罪は受け入れるわ」

「……恩に着る」


 再び頭を下げるアランに、リアナは呆れたといったようにもう一つため息を吐いてから口を開いた。


「感謝ならエリーゼに言ってあげなさい」

「……お嬢に?」

「そうよ、貴方がどういう人間なのかとか、貴方がもう一度リーザルに決闘を挑んだこととかも聞いているわ……」


 その結果リーザルが騎士学校を退学したことも含めて。

 だから、アランがエリーゼの手紙を読んでいなかったことも、今明らかなマナー違反が行われていることも多めに見れるくらいには、リアナは気分が良かったのだ。


「だから、これで手打ちにしましょう」


 苦笑しながらのリアナの言葉。

 それを聞いて二人は深々と一礼してから去っていった。







       ◇ ◇ ◇







「どうして直接謝罪しになんて行ったんだ?」

「……」

「おい……アラン?」

「……性に合わなかった」

「はぁ⁉ お前下手したら家を追い出されるとかじゃ済まなかったかもしれないんだからな?」

「承知の上だ。だからお前を置いていった」

「はあ……この石頭が。次は絶対助けてやらねぇ」


 不機嫌な顔を隠さないフェリクスに、アランはふっと笑みを零す。


「……なに笑ってんだ?」

「いや、すまない………………それと、助かった」

「はぁ…………礼を言うなら、お嬢にだろ?」


 ぶっきらぼうにそう返すフェリクス。そんな彼と並びながら南別館の城門を潜り、薄らと星明りが照らす石畳の道を進んでいたアランは、「そうだったな」と呟くと、ほんの少しだけ口角を上げた。

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