第7話

 リアナは学園の南別館の前で止まった馬車から急いで降り立つと、本館に向けて足早に歩き始めた。

 紺色の露出の少ないイブニングドレスに身を包んでいた彼女は、学園の別館にある南門を潜ったあたりで背後のエルネスをちらりと振り向く。


「言いつけ通りにしているのよ」

「…………ハイ」


 貴族然とした彼女の少しきつめの言葉に、エルネスはあたりを見回すのをピタリと止めた。

 燕尾えんび服を着ているエルネスのその見た目はカッコいいというよりは可愛らしいものであり、意外と整っている外見から、ぱっと見は貴族の子息にも見えなくはない。

 ただし、エルネスには貴族にあるべき落ち着きというものが欠けていた。


 注意されてからやっと建物の観察をやめたエルネスから視線を外したリアナは、「はあ」と小さなため息を吐いたのだった。


 学園の南門から本館の間には大きな庭園が広がっている。

 この庭園は、上級生と合同で舞踏会が開催される時などに開放される会場の一つであり、上級生の参加しない今回は人の姿が一切見当たらない。

 そのため庭園のそこかしこに設置されている外灯は、リアナたちが歩いている道以外は暗いままだった。


 石畳の上を真っすぐ北に進み、道の真ん中に建てられた学園創設者の銅像、ローズ=プロテア・ソウルズベリー像を通り過ぎた先に学園の本館はある。


 本館の中央に設けられた一階から最上階までを貫いている二重螺旋階段。歴史的にも美術的にも価値のある装飾の施されたその階段の奥、一階にある旧王の間こそが舞踏会の会場であった。


 開始時間から少し遅れて旧王の間――ダンスホールの扉を潜ったリアナは、すぐにエリーゼたちと合流すべくホールに視線を巡らせた。


 ホールの中央に吊り下がる大きなシャンデリア。その真下のダンスフロアには、ゆったりとした弦楽器の曲調に合わせて複数の男女のペアがワルツを踊っている。


 踊っている彼ら彼女らの周りにはグラスを片手に楽しそうに言葉を交わす男女の姿があり、さらにその周りにいくつかのグループに纏まって談笑している貴族子女たちの集団がある。それらの輪の一番外側には、談笑に混ざるタイミングを伺う騎士学校生たちの姿も見えた。

 しかし、そのどこにもエリーゼたちの姿はなかった。


 リアナが入り口付近で立ったまま、ダンスフロアの奥にある大階段から吹き抜けの二階部分へと視線を上げると、二階フロアの手すりからこちらに向かって小さく手を振っているジェシカと目が合った。


 ところが、ほっとして笑みを零したリアナが歩き出そうとしたその時――、


「君がリアナ・アンテマリア嬢か?」


 と、見も知らない少年が声を掛けてきた。


「――え?」


 リアナが少年の対応にまごついていると、あれよあれよという間に騎士学校の制服を着た少年たちに周囲を囲まれてしまう。

 それを見たジェシカが慌てて二階フロアの奥に引っ込んでいった。






 ◇ ◇ ◇






「……フェリクス、あれは何だ?」


 燃えるような赤い髪の少年がダンスフロアの入り口付近を顎でしゃくりながら、隣にいる天然パーマのメガネの少年に問いかけた。

 面倒くさそうに入口の方へと視線を遣ったメガネの少年は少ししてから、「ああ」と呟く。


「リアナ・アンテマリア嬢だな……それがどうかしたか?」

「男どもに囲まれて困っているように見えるが、なんとも思わないのか?」

「思わんこともない……が、今のところは関わりたくはない」


 そう結論付けると、フェリクスと呼ばれた少年はちびちびと水割りのワインに口をつけ、つまらなさそうにダンスフロアの中央に視線を戻した。


「……薄情だな」


 赤髪の少年はそう言い捨てると、入り口へと一歩踏み出す。

 ところが、彼の歩みは後ろから肩を掴んできたフェリクスによって止められてしまうのだった。


「――待て、アラン」

「何をする、離せ!」

「離せじゃねぇよ、話を聞け!」


 肩を掴む手にぐっと力を入れたフェリクスはアランへと詰め寄ると、声のトーンを落としつつ言った。


「……アンテマリア嬢の後ろに、俺らより少し年下くらいの銀髪の奴がいるだろう?」

「ああ、いるな」

「どうやったかは知らんが、そいつがアンテマリア嬢を上手く誑し込んだっていう噂が流れている」

「……なに⁉」


 それを聞いて義憤に駆られたらしく眼光を鋭くしていたアランであったが、伝えた本人であるフェリクスはどこか冷めた顔をしている。そんな彼は今にも飛び出していきそうなアランの肩を掴んだまま、面倒臭そうに話を続けた。


「あくまでも噂だって……最後まで聞け、馬鹿野郎」

「……むう?」

「アンテマリア嬢を囲んでいるのは、銀髪の少年の身分が低いもんだと決めつけて動いているような奴らだ。自分にも売り込めるチャンスがあるんじゃないかって、夢を見ている馬鹿共ってわけだな」

「そうなのか?」

「実際……アンテマリア嬢に言い寄っているのは彼女の身分よりもずっと下の者達ばかりだ。顔見りゃ分かるだろ?」

「……」


 フェリクスの問いに対して、アランは何も言わずついと視線を逸らした。


「まあいい……話の肝はそこじゃないからな。問題は銀髪の少年が噂通りではない可能性が高いってところだ」

「どうしてそんなことが分かる?」

「王立学園がそんなわけも分からないような奴を敷地に入れるわけがないだろが。だから、首を突っ込むのはちゃんと裏を取って準備してから――――」

「面倒だ。二人を助けるついでに直接聞けばいい」


 アランはキッパリとそう言い切ると、フェリクスの手を退け、リアナの下へ向かって行ってしまった。

 それを見てフェリクスは「ふう」と大きく息を吐く。


「またか」


 そう呟いたフェリクスは、近くを通りがかったメイドにグラスを預けると、人ごみの中をずかずかと進むアランの後ろを疲れた顔で追うのだった。






 ◇ ◇ ◇






「是非、私と一曲」


 そういった誘い文句を様々な言葉を並べ立てながら言い寄ってくるのは、誰も彼もがいかにも思慮の浅そうな下心丸出しの男たち。

 最初は苦笑を笑みの下に隠して対応していたリアナの顔には、とうとう疲れの色が見え始めていた。


 するとそのとき、二階にいたエリーゼたちが急いで大階段の方へ向かっているのが見えて、リアナがほっと胸を撫で下ろす――。

 しかし、そんな彼女の前にまた一人騎士学校生がやって来たのだった。


 群がる男たちを押しのけて現れたのは、グレーアッシュの髪を逆立てた筋骨隆々の少年。人相の悪い顔を不機嫌そうに歪めているその男は、黒い噂の絶えないグラッドストン家、その伯爵家の嫡男である。


「リーザル……」


 蛇蝎だかつの如く嫌っているその男を目にして、リアナは無意識に厳しい視線を向ける。


「そいつがお前のお気に入りか……?」


 エルネスへ向けて顎をしゃくりながらリーザルはそう言うと、凄むようにリアナへと詰め寄っていった。


「……お気に入りって、何のことかしら?」

「何とぼけたこと言ってんだ? これ見よがしに男を連れ込んでんだろうが」

「だから、あなたが何を言っているのか――――」


 分からない、と続けようとしたリアナの腕をリーザルがいきなり掴んだ。


「――痛っ⁉」

「違うってんなら、俺のダンスの誘いを受けられるよな?」


 リアナの腕を力任せに引き寄せながらリーザルはそう言うと、なぜかエルネスへ向けて勝ち誇ったような愉悦ゆえつの籠った笑みを向ける。


 それにリアナが何かを言い返す暇もなく、リーザルがリアナの腕を引く。


 そして痛みに顔を顰めたリアナが、腕を引かれるままに歩き出したその時――急に横から伸びてきた太い腕が、リーザルの手首をがっしりと掴んだ。


「なにをしている……リーザル?」


 燃えるような赤髪の男が、その赤い眼でリーザルを鋭く睨む。


「関係ねえ奴がしゃしゃってくるんじゃねえよ……放せ」


 リーザルが語気を強めてそう言うも、赤髪の少年――アランは掴んだ腕を離すことはなかった。

 それどころか、苦痛に歪むリアナの顔を見たアランは、リーザルの腕を掴む右手にぎりぎりと力を込める。


「手を離すのはお前が先だ……それとも、今ここでへし折られたいか?」

「……ちっ」


 リーザルはひとつ舌打ちをすると、アランの腕を振り払うようにしてやっとリアナから手を離したのだった。


「騎士爵ごときが盾突きやがって……後でどうなるかわかってんだろうな?」

「知らん。そもそも、細かいことを考えるのは俺の性に合わん」


 脅迫ともとれるリーザルの言葉に、アランは表情一つ変えずにキッパリとそう返す。


 分かりやすく青筋を立てるリーザルと、身構えるでもなく堂々とそれと対峙するアラン。

 一触即発の空気を醸し出し始めた二人がしばらくにらみ合いを続けていると、突然何かを思いついたらしいアランが、「うむ」と頷いて、懐をごそごそとまさぐり始めた。


 少しして、アランが取り出したのは真っ白な手袋。

 するとアランは、その手袋をリーザルの足元に向けてポイと放ってみせたのだった。


「……なっ⁉」

「己の正義を示したいなら受けろ、リーザル。こうすれば後顧の憂いもなく戦えるだろう?」


 アランがその自信に違わぬ実力者であること知っていたリーザルは、足元の手袋を難しい顔で睨むことしか出来ずにいた。


 リーザルは高を括っていたのだ。自身と同じ保守派に属し、さらには自分よりも身分の低いアランが決闘を申し込んでくることは無いだろうと。


 白い手袋を相手の足元に投げるという行為は、決闘申請の手段である。この手袋を拾った時点で決闘を承諾したことになり、日を改めて証人の前で一対一の試合が行われることになるのだ。


 また、決闘裁判が廃止されて以降、決闘は時代の移り変わりと共にその形を変え、現在は基本的に貴族同士が己の正義を示すため、互いの正義や信念を押し通すために戦うモノへと変化していた。

 今回の場合、貴族子女に横暴を働いた上で貴族の権威を振りかざそうとしたリーザルを咎める形で、アランが決闘を申請したことになる。

 つまりこれは、貴族としての名誉のための決闘と言っても良かった。


 そのためアラン本人の望む望まざるとにかかわらず、彼の目的はリーザルから権威を奪うことにあるのだろうと、この場を目撃した全員がそう考えていた。


 ――そこに居た、たった一人の例外を除いて。


 だからそれは、アランのすぐ後ろでリーザルを警戒していたリアナにも対応することは出来なかった。


 アランとリーザルを中心としてダンスフロアにぽっかりと空いた大きな空間。その真ん中で一人の例外が動き出す。

 そして、その例外は床に落っこちていた白い手袋を拾い上げると、アランに向けて差し出した。


「たすけて、くれて、ありがと」


 ――それも、にこやかな笑顔を添えて。


「む?」

「あぁ?」

「え?」


 この瞬間、それを目撃していた者たちの時が確かに止まった。


 白い手袋を手にしていたのは誰あろう、エルネスだったのである。

 ここにあるのは、リアナに侍っていた少年が手袋を手にしているという事実。


 それを目にした途端、リーザルがほくそ笑んだ。

 ああ、自分が戦わずともこの場を逃れる術ならあるじゃないか――と。

 だから彼は事実を捻じ曲げ、声高に叫んだ。ダンスフロア全体に響き渡るように。


「リアナ嬢のお気に入りが、アランの決闘を受けたぞ!」

「――なっ⁉」


 騎士を目指す者としてはあり得ないその振る舞いにリアナは驚愕しながらも、すぐに反論した。


「違うわ‼ これはアランによるリーザルに対しての決闘の申請で――――‼」

「決闘⁉」

「銀髪のチビが手袋をもっているぞ!」


 しかし、リアナの言葉は周囲を取り囲む大勢のざわめきにかき消され、誰の耳にも届くことは無かった。

 この騒ぎは、エリーゼたちがクレマン教頭を連れてやって来るまで治まることはなかったのである。

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