第6話

 教会で少年を引き取ってから二日後。

 リアナは少年――エルネスを連れて、学園本館にある教頭の職務室を訪れていた。


「どうしてダメなんですか⁉」


 臆面おくめんもなく声を荒らげたのはリアナである。

 そんな彼女の隣では、声に驚いたエルネスが目を丸くしていた。

 あと少しで机へと身を乗り出してしまいそうなリアナに対して、学園教頭であるクレマンは書類をさばきながら淡々と言葉を返したのだった。


「舞踏会への参加は認めましたが、それとこれとは話が違います」

「教会のマルーティア様から書状も頂いているんです! 学園では魔法使いは精霊と共にあるべしとありますし、この通り精霊紋だって……!」


 リアナはオペラグローブを外すと、机の向こうにいるクレマンへ左手の甲に浮かぶ精霊紋を見せつけるようにして突き出した。

 それを一目だけちらりと見ると、クレマンは手元の書類へと視線を戻す。


「確かに……学園長代理もそれを認め、リアナさんの退学の話は無くなったと聞いています」

「なら――」

「しかし、精霊である以前に彼はどこからどう見ても人間です。あなたも知っての通り、この学園は基本的に教員以外の男性を認めていません。これは、花嫁学校フィニッシングスクールとしては当然のこと……たとえマルーティア様からのお墨付きを頂いていたとしても、無条件に彼を迎え入れることは出来ません」


 クレマンの言い分はもっともだった。王侯貴族が通うこともあるこの学園には、それ相応に厳格なルールが定められているのだから。

 それを知っていたリアナも、自分の言い分が苦しいものだということには気づいていた。気づいてはいたが、納得ができるかどうかは話が別だった。


 むろん、クレマンにはリアナを納得させる必要などなく、「それがルールです」と突っぱねることも出来たのだが、彼はそれをしなかった。


「ただし――前例がないわけではありません」

「……それは、どのような?」

「貴族家の護衛として申請してください。そうすれば学園の敷地内、それも貴女と比較的に距離の近い場所に身を置けるようになります」


 書類を置いたクレマンはリアナへと視線を向けると、机の上で手を組んだ。


「ただし、護衛として学園に置くには、彼をアンテマリア家の所属の従者として登録する必要があり、さらにそれ相応の力量と教養があることを証明しなければなりません」

「……つまり、エルネスに何かしらの試験を受けさせる必要があるということでしょうか?」

「そうですね。一応、そのための試験制度が存在します……もっとも、ここ五十年近くはこの制度が使われた形跡がありませんが」

「それは……どうしてでしょうか?」


 リアナの問いに、クレマンは作業を止めて「ふむ」と思案する様子を見せた。


「端的に言えば、戦争や貴族同士のいさかいが減ったから……ですかね。国内情勢が安定したことにより、貴族の子息子女が狙われる事件などが減ったためだと考えられています」


 そう説明するとクレマンは、「それに」と付け加えた。


「平和な時代にも関わらずに護衛をつけるということは、疚しい何かがあると勘繰かんぐられることにも繋がってしまうのです。要はこれは……貴族たちが風評被害を恐れた結果、使われなくなった制度であると言えます」


 そう言うとクレマンは、リアナの隣でぽかんとしている少年へと視線を遣った。

 目を合わせられたエルネスはというと、会話の内容など分かるわけもなく、キョトンとしたまま首を傾げることしか出来なかった。その拍子にエルネスの肩にかかる長さの銀髪がふわりと揺れる。

 そんな少年の様子に若干不安そうに眉をひそめたクレマンは、リアナへと向き直った。


「どんな形であれ、彼を学園に入れたならば、貴女へのそしりはまぬがれなくなるでしょう……学園側としても貴女をかばうことは難しくなります」


 厳しい顔で、「それでもこの制度を利用しますか?」と尋ねるクレマンに、リアナはしばらくの間押し黙った。


 クレマンの言う通り、リアナには貴族達から攻撃の的にされる自分の姿が容易に想像ができていた。ただでさえ自分は今、笑い者にされている状況にあるのだから。

 しかしそれも今更の事だ――と、リアナは内心で笑ってもいた。

 彼女に心配事があるとすれば、それは隣にいるエルネスの事だけだったのだ。

 エルネスはこのままいけば、すぐ明日にでも貴族社会の悪意に晒されることになる。それも身寄りが無く、言葉も通じない場所で。

 ――全てはエルネスを教会に引き渡さず、私の精霊であってくれることを望んだ私自身の責任だ。

 そうやって思いを巡らせていたリアナはぐっと奥歯と噛み締めると、毅然きぜんとクレマンを見たのだった。


「はい、試験をお願いします」


 先程までとは明らかに違う顔つきでそう答えるリアナを見て、クレマンは「ほう」と声を漏らすと、椅子から立ち上がるなり背後の棚を漁り始める。

 しばらく待っていると、わざわざ机を回り込んでやって来たクレマンが書類の束をリアナへと手渡した。


「詳しいことはそれに書いてありますので……それでは」


 そう言ってクレマンはさっさと席に戻ると、再び書類と格闘を始めてしまう。

 これで話は終わりだと言外にそう言っているクレマンに向けて静かにカーテシーを披露したリアナは、そっと部屋を後にした。






「あら? どなたかと思えば」


 クレマン教頭のもとを訪れた帰り道。学園の別館へと続く廊下を曲がったその先で、リアナの耳が不快な声を捕らえた。

 その自信に満ちた声の主は、ミラベルである。


 ミラベルはメイドの他に三人ほどの取り巻きを連れて、わざわざリアナの前までやって来たのだった。

 校則違反ギリギリの華美な装飾を施した制服に身を包んだ彼女は、手にしている扇で口元を隠しながら、得物を見つけた時の蛇のように目元を歪めている。

 しかもミラベルは、リアナの隣に男がいることを認めた途端、周りに聞こえるほどの大きな声で大げさなまでに驚いて見せた。


「まあまあ⁉ そちらの殿方はどなた?」

「……彼は私の精霊です」

「一目見てわかるような嘘を吐くだなんて、アンテマリア家の御令嬢ともあろうものが堕ちたものですね」

「精霊の召喚に失敗したからって、男漁りだなんて……」

「……なんてはしたない」


 そんな取り巻きたちの声にミラベルは頷いてみせてから、エルネスへと視線を移す。


「それで貴方は――」

「先を急いでいますので、それでは……ごきげんよう」


 今エルネスに喋らせるのはまずい。そう考えたリアナは急いでエルネスの手を引っ張り、その場を離れた。

 それを面白おかしく眺めていたミラベルが、後ろを振り向かずに尋ねる。


「どう思います……レイラ?」

「分かりません……私にはリアナ嬢が苦し紛れの嘘を吐いているようには見えませんでした。後で確認してまいります」


 取り巻きの答えに満足したらしいミラベルは「そう」とだけ呟くと、リアナの後姿を見てその目を細めたのだった。






 ◇ ◇ ◇






 翌日の放課後。

 リアナは王都の北区にあるアンテマリア邸でお茶会を開いていた。

 参加者はもちろんエリーゼ、アリシア、ジェシカの三人に、主催者のリアナとその精霊のエルネスである。

 その時、机の上に広げられた書類に視線を遣っていたジェシカが、納得したというように一人つぶやいた。


「それで、エルネスくんが箱庭闘技会で実力を示すことになったんですね……試験内容が前時代的なのは、この試験制度自体が古いということも関係しているのかもしれません」


 箱庭闘技会とは、騎士学校が主催する一対一の個人戦を主とした学内試合のことを指している。

 通称『箱庭』と呼ばれるこの試合では、王国の正式な闘技大会とは異なり、競技の花形とされる団体戦や馬上槍試合などが行われることはない。

 そして、この『箱庭』を勝ち抜いた者だけが王国主催の闘技大会への参加資格を得ることが出来るとされ、さらに『箱庭』を勝ち抜いた者のほとんどがその将来を保証されていることから、『箱庭』は騎士学校生にとっての登竜門となっていた。


 つまりエルネスが戦う相手というのは、武術を含む貴族の英才教育を七歳の頃から叩き込まれたような者達であり、王国主催の闘技大会を目指して現在進行形で訓練を積んでいる者達ということになる。


 そう、エルネスが幸せそうにケーキを頬張っている今この間にも、騎士学校生達は修練にはげんでいるのだ。

 自分の精霊の呑気のんきな有様を見て、リアナはとても不安だと言わんばかりに眉根を寄せる。

 そんなリアナに、エリーゼが安心させるように微笑んで見せた。


「そんなに心配しなくとも大丈夫ですわ。素人を相手にして問答無用で叩き潰すような、騎士にもとやからなど見たことがありませんもの」


 エリーゼは王国北東部に領地を持つ辺境伯家、バーミリオン家の次女である。

 バーミリオン家は武門の名家として知られ、騎士家の子息たちが親元を離れてから騎士学校に入学するまでのおよそ五年の間、鬼のような訓練を施すことでも知られている。

 騎士たちをよく知っているエリーゼがそう言ってくれるならば、リアナも少しは気が休まろうというものであった。


「皆が皆エリーゼの所の門下生みたいに聞き分けのいい奴ばかりじゃないから……一応、気を付けておいてね」


 困ったような顔で釘をさすようにそう言ったアリシアに、リアナは「あはは」と元気のない笑いを返す。

 それを見て、エリーゼが焦ったように口を開いた。


「仮にもしエルネスさんが試験に不合格になったとしても、他にやりようはいくらでもあるはずですわ。ね……ジェシカさん?」

「は、はい。その時は微力ですが、お力添えを……」

「……そうね、その時はお願いしようかな」


 リアナを含めたここにいる四人が、エルネスが『箱庭』を勝ち抜けるとは思ってはいなかった。それでもエルネスを参加させるのは、エルネスがリアナの精霊であるということをどうしても周知させておきたかったからだ。

 ――エルネスを、自分の精霊を守るために。


 ランクロワ王国では、精霊は召喚主と同じ身分として扱い、精霊に何かあった時には召喚主に責が及ぶ。

 それはどういうことかと言うと、エルネスが何かトラブルを起こした際に、仮にどこかの貴族の子供に怪我を負わせた場合、エルネスの行為はリアナと同じ伯爵位の子供が行ったものとして、召喚主であるリアナが罰せられることになるのである。

 ところが、そういった知識に疎い、またはエルネスがリアナの精霊であるとは知らない貴族の子息子女と何らかのトラブルがあった時に、これがちゃんと適用されるのかどうかと言われれば、怪しいところがあった。


 だからこそ、リアナには彼らに先んじる必要があったのだ。

 貴族子女が婚約者を見定める場という側面のあるこの『箱庭』には、参加者の情報を開示するという義務がある。それを利用すれば、エルネスが教会に保護されていることなども含めて周知させることが可能なはずだという思惑がリアナにはあった。


「闘技会よりも今は……舞踏会をどうするか考えましょう?」


 アリシアの言葉に、自然と四人の視線がエルネスに集まる。

 少女たちから発せられる無言の圧力のような何かを受けて、エルネスがぱちぱちと眼を瞬かせた。


『なに?』


 すると、きょろきょろとリアナたちの様子を伺っていたエルネスが突然――

 ハッと目を見開いた。


『これはやらないからな⁉』


 大きな声でそう言ったエルネスは、何を思ったかホール一個分のケーキを両手で抱え込むようにして隠してしまう。

 もちろん、彼が言わんとしていることはその言語を理解できずとも明らかだった。


「やっぱり……舞踏会ではあまり他の貴族と接触させたくはありませんわね」


 エリーゼの言葉に女性陣全員が同意し、静かに頷いた。

 舞踏会は精霊と共に参加することが絶対。

 だというのに、舞踏会までは二十日しか残されていないのだから。

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