第5話
「それで『後はこっちでどうにかするから』って、ユーグさんに言われるままに聖堂を出たの――」
「昨日のうちに、そんなことがあったんですのね……」
テーブルに気持ち身を乗り出すようにしてリアナの話を聞いていたエリーゼが、「ほう」と息を吐いてから姿勢を楽にした。
するとその横で疑問顔を浮かべていたジェシカが、リアナに尋ねた。
「その……結局のところ、教会の方々はなぜリアナさんを神殿に連れて行ったんでしょうか?」
「えっと……その、ごめんなさい。聞きそびれてしまっていて」
「パニックになっていたんでしょう? 仕方ないわよ……ね?」
アリシアの言葉に、ジェシカが慌てた様子でパタパタと両手を横に振る。
「は、はい! ちょっと気になってしまっただけで、もちろんリアナさんを責めるようなつもりなんてなくってですね……えっと」
「大丈夫、分かってるから」
リアナは、ふふっと笑みを零しながらジェシカを安心させるようにそう言うと、楚々とした所作でカップに口を付けた――。
リアナたち四人は今、女子寮にあるエリーゼの私室に集まっていた。
アリスブルーの壁紙に、クリーム色をした大きな本棚と白い
そんなエリーゼの部屋の窓際でテーブルを囲って談笑していた彼女たちの
「精霊帰還を使うことは出来ないんですか?」
「それももう試したんだけど、うまくいかなくて……」
ジェシカの問いに、リアナが困ったような表情を浮かべたまま首を横に振った。
「それでは、リアナさんの精霊の少年……でいいのかしら? 彼がどこにいるのかも分からないの?」
「ええ、なんとなく不安な気持ちや焦燥感とかは伝わって来ていたのだけど……どこにいるのかまでは流石にちょっと」
そう言いながら、テーブルの上に出して見せたリアナの左手の甲には、今もなお精霊が召喚されたままであることを示すように精霊紋が金色に輝いている。
精霊と召喚主を繋ぐ精霊紋に意識を集中すれば、精霊紋を通して相手の感情や精霊との距離などが分かるようになる。だというのに、今朝になってからリアナは精霊紋から伝わって来ていた少年の感情が読み取れなくなっていたのだ。
これは精霊が召喚主の下からかなり距離が離れているか、意識を失っている時などに起きる現象であるとされる。
不安そうに精霊紋を眺めながら、どこか浮かない顔をするリアナ。そんなリアナの左手を、隣にいたエリーゼが興味深そうに眺めていた。
「ええとたしか……その模様はどこかで……」
「『竜騎士と姫』の物語に出てくるものじゃないでしょうか……たしか本の裏表紙に同じものが描かれていたはずです」
即答してみせたジェシカに、エリーゼは「よく覚えていますわね」と感心している様子だった。
それが本当かどうか確かめたくなったらしいエリーゼが席を立って本棚に向かうのを横目に、アリシアがわざとその話題をリアナに振る。
「もしかして、あの物語が好きなの?」
「ええ……そうね」
突然話を振られたリアナが恥ずかしそうにはにかみながら答えると、それを聞いたジェシカが興奮気味に食いついた。
「名作ですよね! その模様もカッコよくていいと思います!」
胸の前でガッツポーズをするようにして目を輝かせるジェシカを見て、リアナはふと思い出した――そういえばカーバンクルって『竜騎士と姫』にも登場していたな、と。
もしジェシカがその作品の好きが高じてカーバンクルを召喚したのだとすれば、彼女の喜びようも分かろうというものだ。
「本当でしたわ!」
と、声を上げたエリーゼが一冊の本を手にして戻ってきたその時、部屋の扉が控えめにノックされた。
エリーゼが入室を許可すると、挨拶もそこそこに現れたのはリアナのメイドのクリッサだった。
「皆さま、お楽しみの所申し訳ありません……リアナお嬢様に教会から連絡です」
クリッサは急いで部屋に入るなり、リアナに向けてそう告げた。
「……教会から?」
「はい……少年が保護されたそうです」
「――っ⁉」
それを聞いて居ても立ってもいられなくなったリアナが席を立つ。
そんなリアナに向けて、エリーゼが微笑みと共に声を掛けた。
「行ってらっしゃいな」
「うん」
リアナはその気遣いに笑みを返すと、教会へ急いだ。
◇ ◇ ◇
「リアナちゃんさえ良ければなんだけど……教会に所属するつもりは無い?」
教会に着いてからすぐに別室に案内されたリアナの前で、ルチアが一言目に発した言葉がそれであった。
言われた言葉の意味をすぐに飲み込めなかったリアナが
「貴女だけじゃなくて貴女の精霊の少年についても手厚い保証を――」
「ちょっと待ってください!」
「……どうしたの?」
「精霊を引き渡すために呼んだのではなかったのですか? どうして急にそんな話を?」
困惑顔のリアナにそう言われて、ルチアは頭の後ろに手をやると、たははと笑う。
「それもそうよね……じゃあ、この話はまた今度ってことで」
言い終えるなりルチアは、隣でわざとらしくため息を吐いていたユーグに肘打ちを入れたのだった。
「ぐっ⁉」
「ただ――学園生活が嫌になったら、教会という選択肢もあるってことも頭に入れておいて貰えると嬉しいかな」
ルチアは少しだけ残念そうな表情を浮かべて「じゃあ後はよろしく」と言い残すと、悶絶しているユーグにこの場を任せて部屋を出ていってしまう。
すると、神殿騎士に連れられた少年が、ルチアと入れ替わるようにして部屋に入って来た。
「――あ」
少年のアースアイの瞳と視線を合わせた途端、リアナはつい言葉を詰まらせる。
しかし、リアナにとっては感動の再会であっても、少年にとってはそうではなかったらしく――彼はそんなリアナの横を通り過ぎ、テーブルのお菓子をもくもくと食べ始めてしまうのだった。
「えっと……私はリアナって言うんだけど、アナタは?」
自己紹介がてらにコミュニケーションを図ろうとするも、それも無駄だった。
少年はちらりとリアナを一瞥したただけで、すぐに食べ物に興味を戻してしまったのである。
無視されたショックにぴしりと固まるリアナ。
それを見かねてユーグが口を開いた。
「彼にはどうやら、言葉が通じないみたいなんですよ」
「言葉が通じない? そんなことって……」
「私も初めての経験です……衛兵の話によれば、彼は我々と異なる言語を操っていたとのことでした」
ランクロワ王国の存在する中央大陸は、共通言語であるエスナ語に統一されてからすでに長い年月が経っている。そのエスナ語を普及させているのが、中央大陸全土に広まっているリュテイア教であることを考えると、エスナ語を話せない存在がいるということ自体がおかしかった。
そもそもが、少年が蘇生出来たということは、彼が女神リュテイアの加護を受けるために教会を訪れていなければおかしいのだから。
まったく予想もしていなかった事態に、リアナは目を丸くした。
「出身地についても何も分からなかったこともあって、彼の身元は教会が保証することになりましたが、問題ありませんか?」
「え、ええ……」
歯切れの悪い返事を返したリアナに、困ったような表情でユーグは続ける。
「何か困ったことがありましたら、我々を頼ってください。いつでも力になりますので」
リアナが後から聞いた話によれば、まだ名前も知らないこの少年は、魔獣の肉で食あたりを起こして倒れていたところを保護されたのだという。
精霊紋のパスが途切れていたのはそれが原因だったのだ。
これにより、自分の精霊が行方不明になるという直近の問題は解決したものの、新たな問題がリアナを悩ませることとなった。
少年には常識が無い――それは、言葉が通じないこと以上に問題だった。
彼の常識が欠如していることは魔獣の肉を食らったことだけでなく、教会で再開した時の振る舞いからも明らかである。そしてそれは、学園に通っているリアナにとって不利に働くに違いないのだ。
なぜなら――貴族とはルールに五月蠅い生き物であるのだから。
問題が解決したと思ってもまた新たな問題が舞い込んでくる現状にリアナは、「はぁ」と大きなため息を吐いたのだった。帰りの馬車の中で、憂いとも喜びともつかないような何とも言えない視線を目の前の少年に送りながら――。
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