第4話

 エリーゼたちとのお茶会を終えて、翌朝。


 王都の中央にあるエマデルト大聖堂の前には、不安そうに佇むリアナの姿があった。

 学外へ出かけることなど久しぶりであったのに、わざわざ私服を着ようという気にもなれなかったリアナは、学園の制服のまま大聖堂の北口を訪れていた。


 エマデルド大聖堂はリュテイア教が有している巨大な建築物であり、その大きさは王宮に次ぐほどである。そんな大きさを誇る聖堂が建てられているのは、王都の中央区画にある聖職者のための特別区のその南端であった。

 エマデルド大聖堂に入場口は三つ存在し、身分を問わずに利用することが出来る正面門の西口、市民専用の南口、貴族と聖職者専用の北口とに分けられている。


 そのうちの北口の窓口で手続きを済ませたリアナは、受付のシスターに言われるままに教会の前室に待機していたのだった。そうしてしばらくリアナが前室の天井や壁の装飾を眺めて暇を潰していると、横から声を掛けられた。


「おはようございます……またお会いしましたね」

「っ……⁉」


 振り向いた先にいたのは、精霊召喚の儀の時に声を掛けてきた空気の読めない神官だった。

 それを認めたリアナは、貴族の子女らしからぬ嫌そうな顔を神官の男に向けた。


「うっ……」


 リアナから非難するような視線を浴びて、しどろもどろになってしまう神官。

 すると、そんな神官の後ろから揶揄からかうような明るい声が発せられた。


「あらら~何したのユーグ君? ものすごく嫌われてるみたいじゃない?」


 神官の男――ユーグの背後から現れたのは、リアナと同年代くらいの活発そうな少女だった。

 オレンジ色の髪をしたその少女は、見慣れない意匠の青い服に身を包んでいるが、シスターであれば着けているはずのヴェールなどを身に着けてはいない。


 そんなシスターらしからぬ服装に身を包んだその少女は、どこか悪戯っぽい顔でユーグの脇腹を肘で突いていた。

 その拍子に、彼女の胸元で円環と杖を模した形のロザリオが揺れる。


「周りに誤解を与えそうな言い方はやめてくださいよ、ルチア様……」


 ユーグは少女の腕をそっと払うと、うんざりしたような顔で続けた。


「それに、私は神殿でお待ちくださいと申し上げたはずですが?」

「合わせたい人がいる、って言われたら気になっちゃうでしょ?」

「気になっちゃうでしょ……じゃありませんよ」


 からからと笑うルチアに頭痛を覚えたらしく、ユーグがこめかみを押さえる。


「はぁ……ブノワも止めて下さいって」

「すまぬ」


 ため息交じりのユーグの言葉に答えたのは、少女の後ろに控えるようにして立っていた大男であった。

 その男は巌のような顔面についている太い眉をすまなそうにへの字に曲げている。

 それを見たユーグは教会の神殿騎士の鎧を纏った大男――ブノワに向けて同情の視線を送ると、ルチアの両肩を掴んで押すのだった。


「ルチア様ももう満足したでしょう? 戻りますよ」

「えー」


 ユーグは聞き分けの悪い子供を連行するようにして、少女を神殿の奥へと誘導しながらリアナの方を振り返り――、


「……申し訳ありません、ついて来てください」


 と、自分の子供に振り回される保護者のような苦笑を浮かべてそう言った。






 リアナの案内された先は、女神リュティア像のまつられている聖堂のさらに奥、聖堂から伸びる通路の先に存在する荘厳な神殿だった。


 この神殿は回生かいせい神殿と呼ばれ、通常は貴族でさえ立ち入りを許されていない場所とされている。

 というのもそれは、この神殿がリュテイア教において最も重要とされる巫女集団――マルーティアのために造られたものであるからだ。


 その様な場所になぜ自分が連れて行かれるのかと内心で不思議に思いながらも、リアナは外へと続く回廊をユーグの後ろをついて歩く。

 少しすると、リアナの目に二人の神殿騎士が扉を守るように控えているのが見えた。

 扉の前に着いた途端、神殿騎士の二人がルチアに向けて最敬礼を行う。

 それからまもなくして、神殿騎士たちの手によって両開きの大きな扉が開かれた。


 扉の向こうには、灰白色かいはくしょくの巨大な空間が広がっていた。


 神殿中央部の聖堂、その頂部にある丸い天窓から降り注ぐ陽光が、総石造りの空間を天井から床にかけて優しく照らしている。

 さらに聖堂の壁面には、上部のドーム部分がまるで宙に浮いているかのような錯覚を起こすように石組みが施され、それらすべてに神話の時代を想起させる美麗な彫刻が施されていた。


 これらの要素が相まって生まれた神秘性。

 それはこの場所を初めて見たリアナに対しても、何故か祈りを捧げたくなるような不思議な神聖さを抱かせるほどであった。

 すると、神殿の内部に見とれているリアナのその隣で、ユーグの手を振り払ったルチアが体ごとくるりと振り返り、リアナへと手を差し出した。


「じゃ、まずは貴方の要件からちゃちゃっと済ませちゃいましょ! オーバルを出してちょうだい」

「……は、はい」


 少女に言われるがままにポケットからオーバルを取り出すと、リアナは催促するようにぐっと突き出された小さな手のひらにそっと乗せる。

 オーバルを受け取ったルチアは、しばらく掌の上のそれをめつすがめつ眺めると、急に真剣な表情になって「綺麗な銀色ね」とだけ呟いたのだった。


「問題ありませんでしたか?」

「そうね……この子からは邪悪な感じとかしないし、大丈夫でしょ」


 ルチアはそう言うと、聖堂の床一杯に大理石の模様を利用して描かれた魔法陣のようなものの中心へと向かっていった。

 その後ろ姿を見送ったユーグが厳しい顔で言った。


「ブノワ……ルチア様はああ言っていますが一応」

「わかっている……総員警戒態勢をとれ!」


 ブノワの号令に、聖堂の壁際に待機していた五人の神殿騎士が入り口を塞ぐようにして隊列を組む。

 それを横目にしながら、リアナはルチアの様子をじっと見ていた。


 聖堂の中央で目を瞑り、一度大きく深呼吸するルチア。

 ゆっくりとした所作で片膝を突いた彼女は、床の陣の中央にオーバルを置き、手を合わせて天に祈る姿勢をとる。

 と同時に、彼女の足元で陣が金色に輝き始めた。

 しばらくして祈りを止めたルチアが、その両手で胸元のロザリオを握り込み――。

 そして、カッと目を見開いた。

 ルチアの瞳の奥には、金色の光が揺らめいている。


『我らが主神、その一柱に捧ぐ!』


 リアナが聞いたこともない言語で唱えられた呪文のような何か。

 それを唱え終えると、ルチアは右手を空に向かって突き出し、天から降り注ぐ光を掴むような仕草をみせる。その途端に陽光がルチアの右手へと集まり始め、その光が小さな剣を形作っていった。


『神降ろし――命の神レテメド』


 再び何かを唱えたルチアが、天井から覗く青空に向けて掲げていた光の剣を下ろす。何故か息を荒くしているルチアは、その顔に神聖な場所には似つかわしくないような陶然とした笑みを浮かべていたのだった。


 すると彼女はゆらりと立ち上がるなり、上へ下へと流れるように光の剣を振るい始めた。

 ルチアが剣を振るう度に衣装がひるがえり、それを追うように髪が靡く。

 振るった剣の切っ先から、雫となった金の光が散っていった。


「綺麗……」


 まるで演武のような完成されたルチアの舞に、リアナの口から思わず言葉が漏れる。

 その呟きに、隣にいたユーグが反応した。


「あれがマルーティアのみに伝わる、回生演舞と呼ばれるモノです」

「……かいせいえんぶ?」

「ええ、彼女たちマルーティアだけがその体に神を憑依ひょういさせることが出来るといいます。神がその身に完全に宿った時、マルーティアはその手に回生の神器を手にするのです」

「神器って……ルチアさんが持っている光の剣のことですか?」

「いいえ、あれはまだ神器ではありません。これから剣を研ぎ澄ませていくのですよ」


 ユーグに言われてルチアの手元を注視してみれば、光の剣の造形が先ほどよりも鮮明になっているのがリアナの目にも分かった。

 巫女の演舞が神器へ至るまで剣を研ぎ澄ましていくその光景を、リアナはしばらくのあいだ時間を忘れて眺めていた。


 ルチアがピタリとその動きを止めると、床の陣の輝きが消えた。

 演舞を終えた彼女がその手に持っているのは、一振りの黄金のナイフ。

 神器とされるそれを、ルチアが演舞によって上気した顔で恍惚こうこつと眺めている。


 それを固唾を飲んで見守っていたリアナの前で、ルチアはおもむろに足元のオーバルを拾い上げると、その中心にナイフを突き立てた。

 ルチアの行動にリアナが驚く間もなく、すぐに変化が訪れる。


 切り裂かれたオーバルの外殻から白色の光が床へと零れ落ち――その光はうごめきながら人の姿へと変わっていく。

 白色の光が完全な人型になった瞬間、オーバルが硬質な音を立てて砕け散った。と同時に、その欠片が人型をした光の中へと吸い込まれていったのだった。


『この者に再びの命を!』


 再びルチアが何かを唱えれば、人型を覆っていた淡い光が弾け飛ぶ。

 雪のように周囲に散った白い光が収まると、そこには少年が横たわっていた。

 眠ったように横たわる銀髪の少年は、ボロボロの貫頭衣かんとういのようなものしか着ておらず、他に身につけているものといえば、胸元に輝く銀色のネックレスだけ。


「痛っ⁉」


 そのとき少年の姿を認めたリアナの左手を、突如として鋭い痛みが襲った。

 痛みでうずく左手の甲をおそるおそる見たリアナが、その目を見開いた。


「金色の――精霊紋?」


 リアナの左手にあったのは、金色に光輝く剣を咥えたドラゴンの模様。


 淑女には似つかわしくないであろう武骨なデザインのそれを認識した瞬間、彼女の胸の内から溢れ出したのは歓喜と、そして安堵。喜びに声を上げたい衝動を無理やり押さえつければ、代わりに溢れたのは涙だった。

 だからと言うべきか、その隣で厳しい顔をしたユーグが「やはり」と呟くのにリアナは気づくことはなかったのである。


 痛む左手を下ろしたリアナは、聖堂の中央に横たわる少年の下へと吸い寄せられるようにふらふらと歩き出す。

 そしてそれを、ユーグが肩を掴んで止めた。


「いけません」

「何を――⁉」

「彼がまだ安全であるという保障がありません」

「……そんな! あの子は私の精霊かもしれないのに⁉」


 必死に食い下がるリアナにユーグは苦い顔を浮かべるも、リアナが引き下がることはなかった。


「ですから――」


 ユーグが手を振り払おうとするリアナを説得しようと口を開いたその時――、


「きゃっ⁉」


 と、聖堂に悲鳴が響いた。


「ルチア様⁉」

「――っ⁉」


 睨み合うようにしていたリアナとユーグの二人がルチアの方へと目を遣れば、そこには銀色の大きな翼があった。


 陽光に輝くのはドラゴンを彷彿ほうふつとさせる銀色の翼。それは、いつの間にか起き上がっていた少年の背中から生えたものだった。

 リアナたちが驚きに固まっていると、銀翼を生やした少年は神殿の内部を見回すなり、いきなり翼を羽ばたかせて飛び上がった。


「あいたっ⁉」


 すぐ側にいたルチアが突風を諸に食らって尻もちをついたのにも目をくれず、少年はそのまま高く上昇し、天井に空いていた穴から大空へと飛び立ってしまう。


 神殿騎士たちでさえ呆気にとられる事態に、その場にいた誰もが天井から覗く丸くくり抜かれた空を見上げたまま動くことが出来なかった。


 それはリアナとて同様だった。

 しばらくしてようやく時が動き出すと、リアナがぽつりと呟いた。


「精霊が――――――逃げた?」

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