第3話

 ランクロワ王国の王都シルアスは、人口五十万人をようする王国最大の城郭都市じょうかくとしである。

 その形は南北に伸びる菱形ひしがたをしていて、東側の一部がニール川によって分断されている。さらにその分断された東部と大きな橋で繋ぐことによって、一つの巨大な都市を形成していた。


 それら全てを望む高台の上、王都の最北端に位置する場所に王宮はある。

 王宮――ノニーク宮殿。

 現国王の住まう宮殿であるそれは、先々代国王がぜいの限りを尽くして建築させた絢爛豪華けんらんごうかな建築物であり、ランクロワ王国の富の象徴でもあった。


 そして、そのノニーク宮殿からそう離れていない場所にある巧緻こうちを極めたような城こそが、ランクロワ王立学園である。

 この学園はかつてドローシャン城と呼ばれ、王城として現在のノニーク宮殿のあった場所に建っていたものであり、今から二百年ほど前に時の国王が行った大移転計画によって、原形を保ったまま場所を移されていたのである。

 ドローシャン城が移転されて以降、今に至るまで当時の設備のほとんどが維持されたまま使用されており、この学園の中で新しく造られたものといえば、女子寮や図書館などの学園設備くらいのものであった。






 精霊召喚の儀からおよそ二週間――。

 リアナは今、図書館の二階にある読書スペースにいた。

 いくつもの分厚い本が積み上げられたテーブルで彼女が目を通しているのは、『精霊召喚の失敗について』というタイトルが書かれた手記のようなもの。


「……これもダメ」


 古惚ふるぼけた手記を読み終えたリアナは、ため息を吐きながらそれを閉じた。


 自伝などのたぐいは、目当ての情報が書かれた個所を探すまでにかなりの時間がかかる。そのため、今しがたリアナが読み終えたばかりのモノのように時間をかけた割には何も得られないといったことがしばしばあった。

 そのせいもあってか、リアナの側にはただ時間を浪費したという証拠がいくつも積み上がっていくばかりである。


 そんな彼女のかたわらには、あの時召喚された何の変哲へんてつもない石ころが置かれている。

 学園側から提示された退学までの期間はおよそ一か月。既に何の成果も得られないままに二週間を消費していたリアナの胸中では、焦りよりも諦めが勝り始めていたのだった。

 疲れ目をグイグイと揉んでいたリアナが窓の外へと目を遣れば、日はまだ高い場所にあった。

 それを確認した彼女は石ころをポケットにしまって、図書館を後にした。


 少しでも手掛かりになるものが欲しい。

 そう考えた彼女の向かった先は、授業外でも入場できるようになったばかりの庭園――その奥に存在するストーンガゼボである。






 庭園の門へと続く花道の上を一人歩きながら、その道の横を彩る花々を眺めて物思いに耽っていると、リアナはふとガゼボの中に先客がいることに気が付いた。

 そっと足を止めた彼女の目に、二人の学園生の姿が映る。

 魔法陣にふたをするように被せられた真っ赤なカーペットの上では、白いテーブルと白い食器を前にして、数名のメイドをはべらせた少女たちが楽しそうに談笑していた。


 それも、お互いの精霊を見せ合うようにテーブルにちょこんと乗せて。


 ガゼボの中はすでに奇麗に清掃されてしまっているらしく、何かの手掛かりになりそうなものなどは見当たらない。ガゼボの周囲に漂っていたあのキツかった薬品の匂いすらも分からないほどであった。

 足元へと視線を落としたリアナの口から、つい言葉が漏れた。


「なんで……」


 自分だけがこんな目に合わなければいけないのだろうか。

 今も必死になっている自分が惨めに思えて、リアナは悔しさにぐっと奥歯を噛み締める。

 ポケットの布越しに伝わってくる石ころの感触がただただ不快だった。


「こんなもの――――」


 ポケットからその不快な塊を取り出し、今すぐ地面に叩きつけてやりたい。そんな衝動にリアナは身を任せてしまう。

 そして、ポケットから取り出した石ころを振りかぶったその時――、


「お止めなさい‼」


 少女の声が、リアナの蛮行ばんこうを止めた。

 しぶしぶ石を握っていたその手を下ろしたリアナは、やり場のない怒りを語気ににじませて不愛想ぶあいそうに返す。


「……なんですか?」


 振り返った先にいたのは、金髪のツインテールの少女であった。


「『なんで』も何もありませんわ⁉ こんな場所で石を投げたら、草花に傷がついてしまうかもしれないでしょう⁉」


 その少女はリアナへと詰め寄ると、リアナが手に持っていた石ころへ向けて手を伸ばす。女生徒の伸ばしたその手を咄嗟とっさにひょいとかわしたリアナは、自分の背後に石ころを隠したのだった。


「何をするのよ⁉」

「それは私が預かっておきますわ!」

「何の権利があって言っているのよ……これは私のよ?」

「そんな石ころに持ち主も何もないでしょう⁉」


 そこまで口に出してから、リアナの顔を見た少女がはっとした様子を見せた。


「あら? あなた、もしかして――――」


 少女が何を言おうとしたその時、黄色い物体がリアナのスカートに飛びついた。


「きゃっ!」


 そのままリアナの肩のあたりにまで登って来た黄色い塊。

 その何かに驚いて悲鳴を上げたリアナの手から石ころが滑り落ち、石畳の上をころころと音を立てて転がっていく。

 すると、それを追いかけるようにリアナの肩から黄色い何かがぴょんと跳ね、石ころへと飛びついたのだった。


 この時になってようやくリアナは黄色い物体の全貌を捉えることが出来た。

 石畳の上で石を転がして遊んでいるのは、額に真っ赤な宝石をくっつけたリスのようで子狐のような見た目をした生き物――――カーバンクル。


「クルルゥ! ダメっ!」


 そんな叱責と共に早足でやって来たのは、オリーブアッシュの髪を中ほどから緩くウェーブさせたショートボブの少女。

 彼女はカーバンクルをひょいと持ち上げるなり、リアナへと頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! うちのクルルゥが……」


 カーバンクルを両手に抱えながら謝る少女は、先程までガゼボで談笑していた少女の一人だった。

 クルルゥというカーバンクルも、ついさっき見たばかりの精霊だ。

 そのことに気づいたリアナは悲し気に眉をひそめると、そっと石ころを指をさした。


「それ、返してもらってもいいかしら?」

「えっと、ごめんなさい……もう少し待ってもらってもいいですか? この子が離してくれなくて」


 確かに彼女の言う通り、カーバンクルは小さな四つ足で大事そうに石を抱えたまま離す気配が無い。

 それを見て、仕方がないと苦笑を零したリアナは、


「……大事なものだから、後で返しに来てちょうだい。クリッサっていうメイドに頼めば大丈夫だから」


 そう言い残してこの場を立ち去ろうとしたリアナであったが、歩き出したリアナの背に金髪のツインテールの少女の声が飛んだ。


「お待ちなさい!」


 今度はなんだと、足を止めたリアナがうんざりしたように振り向く。


「何ですか? 石ころの件についてだったらもう――――」

「貴女も私のお茶会に参加すれば万事解決しますわ!」

「え?」


 ついさっきまで険悪な雰囲気であったはずの相手をお茶会に誘うだなんて、一体どういう神経をしているのだろうと、リアナは信じられないモノを見るような眼で金髪の少女を見る。

 しかし、金髪の少女は名案を思いついたといわんばかりにパンと手を打ってみせると、そんなリアナの気も知らずに続けたのだった。


「そうですわそうですわ! 私の友人の精霊が迷惑をかけてしまっていることですし……お詫びに是非いらしてくださいな! それとも何か外せない用事でもおありになりますの?」


 勢い込んで話す金髪ツインテールの少女。

 彼女がくりんと首を傾げた拍子に、ハーフアップの縦ロールの髪がふわりと揺れる。


 もちろん二週間前に精霊召喚を失敗して以降、お茶会などの誘いが全てキャンセルされてしまっていたリアナには、今のところ調べ物をする以外にこれといった用事など特に持ち合わせていない。

 しかも、その調べものについては完全に行き詰っているうえに、たった一つの手がかりもカーバンクルの手の中だった。とてもではないが今すぐに図書室に帰ってどうこうしようという気にもなれそうにない。


 ――もしかするとこれが学園生活最後のお茶会になるかもしれない。

 ふと、そんなことを考えてしまったリアナの口から、思ったよりもすんなりと言葉が出ていった。


「……お願いしてもいいかしら?」






 ガゼボの中には、桃色の長髪の少女がぽつんと一人で待っていた。本を片手にした彼女はエリーゼがガゼボに入って来るのを見るなり、開口一番に文句を言う。


「……遅いわよ、エリーゼ」

「ごめんなさい、アリシア……ちょっと、こちらの方をお茶会に誘っていたところでしたの」

「険悪な雰囲気に見えたから、ジェシカに呼びに行かせたのだけど?」

「…………全く問題ありませんでしたわ」


 金髪のツインテールの少女――エリーゼが悪びれる様子も無くそう言うと、アリシアと呼ばれた少女がどこか諦めたように、「はいはい」と返して肩をすくめる。

 それを特に気にもせずにエリーゼはリアナに席を勧めると、ガゼボの周りに控えるメイド達に指示を伝えに行ってしまった。


 もちろん全く面識のない三人だけで話が弾むわけもなく、ガゼボの中には気まずい空気が流れることになる。

 リアナたち三人はエリーゼを待つ間、カーバンクルが石ころに体を擦り付けるようにして遊んでいるのをしばらく眺めていたのだった。

 それから少しして、リアナの向かいに座っていたアリシアが口を開いた。


「ところでジェシカ……その石ころはなに?」


 それは、テーブルの上で仰向けになっているカーバンクルが大事そうに腹に抱えているモノを見て、少しだけ顔を顰めながらの問いだった。


「それは先ほどこちらの、えっと……」

「リアナ・アンテマリアです……それと、その石は私のよ」

「ふぅん?」


 そんな声と共にリアナへと奇異の目を向けるアリシア。

 彼女の肩の上では、緑色のヒヨドリの精霊がしきりに首を傾げている。

 すると、アリシアの視線が再びカーバンクルに向けられた。


「クルルゥが、ただの石ころを……珍しいこともあるものね」

「そうなんです……今までこんなことなかったのでびっくりしてしまって……」


 アリシアたちが言わんとしていることは、何となくリアナにも分かる。

 カーバンクルは実際する生き物であるとされ、幸運を呼ぶ魔獣として知られている。

 その習性として宝石を収集することが有名で、カーバンクルを見つけたものが宝――幸運を手に入れたことからそう呼ばれるようになったとも言われているのだ。


 精霊となるとどこまでそういった習性が再現されているのか分からないが、ジェシカたちの口ぶりからはクルルゥは野生のカーバンクルと同じ習性を有しているだろうことが予想できた。

 もしそうならば、普通の石ころは見向きもされないはずだ――と、彼女たちのやり取りを聞いてそう考えていたリアナは、淡い期待を抱き始めていた。


「もしかして……その石の中に何か秘密があったりして?」


 ちらりとカーバンクルの方へと目を遣ったアリシアがおどけたようにそう言うと、ジェシカが困った様な顔で頷いた。


「はい……なので、その……すぐにでもリアナさんにお返ししたかったのですけど」


 それを受けて、アリシアが、「……ああ」と納得したように頷く。


「だから、エリーゼがその……リアナさんをお茶会に?」

「はい。気を回していただいたのだと思います……迷惑でしたでしょうか?」


 眉をへの字に曲げたジェシカが、目にかかるくらいの長さの前髪の間からちらりとリアナの方を伺った。

 そのときちょうど考え事をしていたリアナは、慌てて首を横に振った。


「迷惑だなんでそんな……こちらこそ、誘ってもらえて有難いくらいで……」


 むしろ彼女たちのおかげで光明を見出せそうだとも考えていたリアナは、二人に恐縮したような笑みを返したのだった。

 すると、そんなリアナの前にそっとティーカップが置かれた。


「ちょっと見ないうちに、ずいぶんと表情が柔らかくなりましたのね?」


 いつの間にか戻ってきていたエリーゼにそう言われて、リアナが咄嗟に頬を押さえる。ここ二週間の間ずっと張りつめていた気が緩んだのが顔に出ていたことに気が付いたリアナは、気恥ずかしさにそっと目を伏せた。


「仲良くなれたようで何よりですわ。それで……皆でなにを楽しそうに話していたんですの?」


 ちょうど席に着いたばかりのエリーゼが、腕の中で丸まっている毛並の赤い猫を撫でながら嬉しそうに笑う。

 こうして、予定よりも半刻ほど遅れてエリーゼ主催のお茶会が始まった。


 それからしばらくすると、雑談が再び石ころの話へと移っていった。

 その時になって口の中に残っていた甘味を紅茶で流し終えたリアナが、改まった顔で話を切り出したのだった。


「ジェシカさんにお願いがあるのだけど、いいかしら?」

「は、はい……なんでしょう?」

「その石、割ってもらうことって出来る?」

「えっと……はい。出来ると思いますけど……いいんですか?」

「ええ、一思いにやって頂戴」


 リアナはその石が精霊召喚の儀の時に現れたものだとは話していない。

 それでも、こうして話しているうちに薄々気づいていたらしい三人は、リアナのその言葉にどこか心配そうな表情を見せていた。

 ジェシカは何かを確認するようにリアナをまじまじと見てから、頷いた。


「クルルゥ……やるよ」


 カーバンクルへと声を掛けると、ジェシカが右手の薬指に光る精霊紋に魔力を込め、その模様をより強い黄色に輝かせる。


「地より生まれしものの硬きに干渉せよ! インテネレート!」


 教科書通りの呪文が唱えられた次の瞬間、カーバンクルの額の宝石の前に小さな魔法陣が現れ――。

 その直後、魔法陣の中心から黄色く輝く球体が生成された。

 カーバンクルが「キュッ」と、一鳴きすると、その黄色い光の玉は石ころへと吸い込まれ、石の表面に黄色い波紋を残して溶けるように消えていく。


「あれ、思ったより硬い?」


 テーブルの上の石ころを手に取ったジェシカは少しだけ首を傾げると、手に持っていたフォークで軽く石を叩いた。


 パキッ。


 音を立てて大きな亀裂が入り、一瞬にして石ころがバラバラに砕け散る。


「……え?」


 中から現れたソレを見て、知らずリアナの手が震えた。

 石の中から現れたのは宝石などではなかった。


 それは、その内に死者を封じ込めた神聖なる物体――――オーバルであったのだ。

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