第2話

 ストーンガゼボの周りにはすでに、儀式に臨む第二陣の生徒たちが集まっていた。

 その数はおよそ五十人近く。彼女たちはいくつかの集団に分かれ、お互いの魔法石を見せ合いながらおしゃべりに興じている。


 その集団の中に最近顔見知りになった生徒を見つけたものの、リアナは楽しそうに話す彼女たちの輪に入る気になれず、なんとはなしにその光景を遠目から眺めているだけだった。

 そうしてしばらく一人でいると、リアナに声を掛ける者が現れた。


「あらあら、どこのどなたが辛気臭しんきくさい顔をしているのかと思えば、リアナ様じゃありませんか?」


 レッドアンバーの眼を勝気につり上げ、サイドテールにしたダークブロンドの髪を揺らしながら現れたその少女は、ミラベル・ランプリングである。

 二人の取り巻きを連れて近寄ってきたミラベルを見て、リアナは頬を引きらせそうになるも、間一髪のところで抑え込んだ。


 周囲から明らかに距離を置いているリアナに対してわざわざ声を掛けるところからも、彼女の無頓着さが伺える。


 多少げんなりとしながらも、リアナは相手に悟られないように余所行きの笑顔を張り付けて、「ごきげんよう」と挨拶を返す。すると、ミラベルはそんなリアナの気も知らず、挨拶もそこそこに本題に入ったのだった。


「三日後にお茶会を開く予定なのだけど、リアナさんの予定は空いているかしら?」

「申し訳ありません。すでにその日には先約が……」

「あらあら、そうですか。では五日後のサロンならどうかしら?」

「その日にも先約があるので……参加できかねます」

「……では、いったい何時なら予定が空いているのかしら?」

「一か月ほど先になるかと……」

「そうですか……でしたら、三日後にリアナさんと約束されているお相手の名前を伺っても?」


 矢継ぎ早に聞いてくるミラベルに、リアナは辟易としながら返事を返す。

 なぜそんなことを聞くのだろうと考えながらも、さっさとこのやり取りを終わらせてしまいたかったリアナは、彼女の質問に律義に答えていた。


「……マリアンヌ嬢です」

「マリアンヌ? 確かブレイジャー子爵家のところの?」

「はい、そうです」


 それを聞いて、ミラベルなぜか安心したといったように息をついた。


「それなら、問題ありませんね」

「……お二人はお知り合いなのですか?」

「……いいえ?」

「え?」


 ミラベルがマリアンヌ譲と渡りをつけ、二人の共催という形でお茶会を開くことになるのだろうと、そう考えていたリアナは困惑を隠せない。


「……子爵家の者の誘いなど断ってしまえばいいでしょう?」


 それがさも当然であるかのように言い放ったミラベルに、リアナは答えに窮していた。

 どう返すのが正解なのだろうか、と。

 不快感を胸の内に隠して、しばらく黙り込んでいたリアナ。

 彼女がミラベルに答えを返そうとして口を開いたその時、ふいに周囲の話し声が止んでいることに気が付いて、周囲を見渡した。


 女生徒たちの注目を浴びていたのは、庭園の門から現れた精霊魔法科のオーブリー教授であった。杖を突きながらガゼボへと向かうオーブリーは、その後ろに教会の神官らしき男を連れている。


 それを見たミラベルは小さく「……あら」と声を上げると、


「それでは、色よい返事をお待ちしていますね」


 とだけ言い残して、リアナの返事も聞かずにさっさとガゼボの方へと歩いて行ってしまうのだった。

 嵐のようにやって来てはすぐに去っていった彼女を、リアナがなんとも言えない顔で見送っていると、ガゼボの前で足を止めたオーブリー教授が突然声を張り上げた。


「これより、精霊召喚の儀を始める!」


 オーブリーが杖の先端をガゼボの床に刻まれた魔法陣の溝に差し込めば、杖に触れた先から魔法陣の溝に張り巡らされていた液体が白い光を放ち始める。

 その発光は魔法陣の起動準備が整った証であった。


「準備を終えた者から儀式に取り掛かれ!」


 精霊召喚の儀の開始の合図を受けて、生徒たち全員の表情が引き締まる。

 オーブリー教授の威圧的な声も相まってか、先ほどまでの和やかな空気は一変していた。


 精霊召喚の儀には一時間ほどの時間が設けられ、この時間内であれば誰がいつガゼボに入って精霊召喚を始めても構わないとされている。

 別段、空気の張りつめている今この瞬間に、他の生徒たちの注目を集めた状態で精霊を召喚する必要はないのだ。

 しかし、下手をすれば晒し物になってしまうという危険もあることから、互いにけん制し合ったりする生徒が現れる中、良くも悪くもそういったものを気にしない人物がここにはいた。


「――では、わたくしが」


 いの一番に皆の前へと進み出たのは、ミラベルである。

 彼女は教授の側で立ち止まると、わざわざカーテシーを披露してみせる。

 そんなミラベルの堂々とした姿勢に、感心したように「ほう」と呟いたオーブリーは、先程とは比べられないほどの優しい声音で問うた。


「時間はまだ十分にあるが、構わないのかね?」

「はい、心の準備などとうに出来ております」

「うむうむ……貴族たるものがどういうものか、よく心得ているようだな」


 ミラベルの答えに気を良くしたらしく、オーブリーは彼女の答えに満足そうに頷く。

 それを見たミラベルはさらに胸に手を当てて、


「一番手の栄誉をたまわれること、光栄に思いますわ」


 と言うと、気後れを感じさせない力強い足取りで、ガゼボのその中央にある儀式場へと向かっていった。

 その様子を周囲の生徒たちは割りかし好意的に見ていたようであったが、リアナだけは先程のこともあって、そもそも第二陣である自分たちに一番手の栄誉もなにもないだろうと、ミラベルのことを白い眼で見ていたのだった。


「さすがは由緒正しき伯爵家の息女」などといった声を背に、揚々とガゼボの中へと入っていったミラベル。彼女は魔法陣の中央に立つと、制服のポケットから青く輝く魔法石を取り出して、召喚の文言を唱え始めた。


「精霊の女神にミラベル・ランプリングが願い奉る! 我が魂の半身よ、ここに!」


 ミラベルが魔法石を掲げた途端――足元を照らす魔法陣の光が白から青へと変化する。と同時に、彼女の掌の上で魔法石が甲高い音を立てて砕け散り、その欠片が空気中に溶けるように消えていった。


 その直後、青い光が儀式場を包んだ。


 しばらくして光が収まると、そこには水で形作られた蛇を右腕に巻き付けたミラベルの姿があった。

 彼女の右手の薬指には精霊紋と呼ばれる紋章が浮かび上がっており、青い光を発している。このとき浮かび上がった精霊紋こそが精霊とパスが繋がったという証であり、精霊の契約者である魔法使いの証でもあった。

 精霊を召喚する際に精霊紋はその大きさと場所、さらには模様までをも選ぶことが出来る。それが満足のいく出来であったのか、ミラベルは蛇を右手に巻き付かせたまま嬉しそうに右手の薬指を眺めていた。


「あれが水属性の精霊?」

「綺麗ですわね……」

「精霊紋のデザインも素敵です!」


 などといった騒めきで、ガゼボの周りが再びかしましくなっていく。

 それを何とも言えない顔で眺めていたリアナは、ミラベルに続かんとして次々に儀式場へと殺到する生徒たちを尻目に、庭園の中へと避難したのであった。


 精霊の召喚を終えた者はそれ以降は自由時間となり、帰途についても良いとされている。

 そのためリアナは、用意された時間をいっぱいまで使用し、全員が帰った後の最後の一人となったところで、ひっそりと儀式に挑むつもりだったのである。


 しばらく庭園の真ん中にある花時計をベンチに座って眺めること、一時間近く。

 用意された準備時間を目一杯に使って庭園の門まで戻ってきたリアナであったが、彼女はそこで足を止めてしまった。

 門の側で立ち尽くすリアナの視線の先には、鳥やリスなどの小動物から、爬虫類、蝶などの昆虫、果ては空想上の生き物まで様々な精霊で溢れかえっていたのである。


「あらリアナさん……まだ精霊を召喚していないのではないですか?」


 しかも厄介なことに、庭園から出てきたばかりのリアナに気づいて、ミラベルが話しかけてきたのだった。

 彼女はここにいる誰よりも先に精霊を召喚したことで一目置かれていたらしく、今もその周りを十人ほどの女生徒に囲まれている。

 そんな状態の彼女がリアナに話しかければ、その周りを囲む子女たちの視線もリアナへと向いてしまうのは必然だった。


「……え、ええ」


 頼むからこれ以上は余計なことをしないで、と心の中で祈っていたリアナ。

 笑顔で対応した彼女の顔は少しばかり引きつっていた。


「――なら、急ぎましょう! 皆さん道を開けて!」


 そんなリアナの思いは届かず、余計な気を回したミラベルはそう言うと、リアナを先導するかのようにずかずかと生徒たちの間を進んで行ってしまう。

 それを見て――ああ、大勢の前で精霊召喚に臨むのは避けられないのだろうなと、内心で大きなため息を吐いたリアナは、重い足取りでその後に続いた。






 大理石の床に刻まれた魔法陣の上を進むリアナの鼻を、薬品の匂いがつんとついた。


 ストーンガゼボは、正八角形を描くように設置された石柱の上にドーム型の屋根を乗せるだけの非常にシンプルな構造をしていた。

 湖の上を吹く風がガゼボの中を吹き抜けるたびに、不快なその匂いを攫って行き、石柱に備えられた燭台から伸びる炎がぐにゃりとその形を歪めている。


 少しして魔法陣の中心で立ち止まったリアナは、ポケットから魔法石を取り出すと、祈るようにそれを握りしめた。


 精霊が召喚できなければ、精霊を召喚して貴族として認められなければ、自分の目標からまた一歩遠ざかってしまう。今までの努力が全て無意味なものとなってしまう。

 召喚に必要な要素を何一つ満たしておらず、召喚したい精霊の姿形すら思い描くことが叶わぬままだったリアナは、胸の前で両手を組み――――ただ祈った。


「お願いよ……なんでもいいから、どんな姿でもいいから…………だから!」


 魔法石を持つ両手を額に押し付け、僅かな希望にすがる。


「私に精霊を……パートナーを授けて下さい‼」


 彼女の口から零れたのは精霊を呼び出すための決められた文言ではなく、ただの神頼みだった。

 それでは魔法陣を起動するための条件を満たしていない――はずだった。


「精霊の女神に――――っ‼」


 そして魔力を込めて文言を唱えようとリアナが口を開いた途端、魔法陣がその輝きを急激に金色へと変えていき――。

 次の瞬間、ガラスを割ったような高音を上げて魔法石が砕け散った。


 宙へと散った魔法石の欠片が一斉にまばゆい光を放つ。


「――っ⁉」


 魔法石から発されたのは、瞼の裏から透けて見えるほどの金色の閃光。

 それが収まるまでしばらく目を瞑っていたリアナは、両手にふと確かな重みを感じておそるおそる目を開けた。


「……え?」


 リアナの口から戸惑いの声が漏れた。

 彼女の手の中にあったのは、精霊などではなく――何の変哲の無いただの石ころであったのだ。

 急いで両手を確認したリアナであったが、そのどこにも精霊紋を見つけられずに、力なく両手を下ろす。

 そのまましばし呆然としていたリアナにオーブリー教授が声を掛けた。


「君……名前は何というんだね?」

「…………リアナ・アンテマリアです」


 リアナにはその問いの意味が分からず、なぜ今になって名前を確認するのだろうと困惑した表情で答えた。


「ああ……アンテマリア商会の……」


 すると、杖を持っていない方の手を顎に当てて、オーブリーは「ふむ」と頷く。


「いやなに、精霊召喚の失敗など私が受け持ってから初めての事でな……リアナ嬢のことは上に連絡しておく必要があるのだよ」

「……そうですか」


 肩を落としたリアナは消え入りそうな声でそう言うと、庭園の門へと向かっていった。

 召喚したばかりの石ころを両手で隠しながら歩くリアナの耳には、女生徒たちのひそひそと話す声が聞こえていた。


 明らかに嘲笑の混じっていたそれに、歯を食いしばって俯いていたリアナは少しだけ歩く速度を上げた。

 そうして彼女が庭園の門の近くに差し掛かったその時、儀式の間もずっとそこに佇んでいた神官が突然話しかけてきたのだった。


「待ってください!」

「……何でしょうか? 早く帰りたいのですけど?」


 声を掛けられるような心当たりが全く無かったリアナは、この状況を見てわからないのかと神官の男を睨みつける。

 リアナのヘーゼル色の瞳を宿すその目元は、少しだけ赤らんでいた。


「うっ、申し訳ない……」


 空気を読めていない神官の男でも、それを見れば流石に察することが出来たらしい。

 腰を低くして謝罪した彼は、困ったように頬をポリポリと掻いてから続けた。


「その……いつでも構いませんので、ぜひ教会の方にお越しください……」


 たったそれだけのことをわざわざ今言う必要があったのかと、リアナは責めるような視線で神官を一瞥すると、返事を返すことなく足早にその場を離れていった。






「ああ、まずったなぁ……」


 リアナの姿が庭園の向こうに消えた途端、神官の男は苦り切った顔でそう呟いた。

 そこへ、好々爺とした顔で近づいて来たオーブリーが声を掛ける。


「ユーグ殿? うちの生徒が何か失礼なことでも?」

「いえ……むしろ、失礼をしてしまったのはこちらの方でして……」


 学園の女生徒たちが帰途に就くのを横目に、申し訳なさそうに答えるユーグと呼ばれていた神官の男。

 姿勢を低くして話す彼に、オーブリーは呵々と笑ってから返した。


「構いますまい、気にする必要などありませんよ」

「それは、どうしてですか?」

「なに……彼女はもうじき学園からいなくなるでしょうからな」


 その話が一体何の関係があるのか分からなかったユーグは、「……はぁ」とあまり気のない返事を返す。


「ここだけの話、アンテマリア家の当主は娘を貴族と結婚させることに猛反対しているともっぱらの噂でしてな……さらに魔法使いとしても出来損ないとなると、彼女は貴族でなくなる可能性が高くなるわけですよ」

「ええと、それで?」

「……それだけですが?」


 ユーグの問いに、オーブリーは何を聞かれているのか分からないといった様子であった。

 オーブリーはつまり、貴族でなくなる相手には失礼を働いても問題ないと暗に言っているのである。


 そのことに憤りを覚え、片方の眉をピクリと動かしたユーグであったが、貴族の手前であったためにその表情をすぐに柔和なものに戻した。

 それをどう勘違いしたのか、オーブリーは下世話な笑みを浮かべると、


「……もしや、リアナ嬢に興味がおありで?」


 などと言い始めた。

 この男の問いは当然、リアナを女性として――結婚相手として見ているのかという問いである。

 ユーグもこの学園が花嫁学校としての役割があることは知っている。それでも、今の話の流れでそれを持ち出すということ自体が、ユーグの目にはあまりにも惨い仕打ちにしか映っていなかった。


 王国においては一介の神官に過ぎない自分よりも、貴族である学園の教授の方が立場が上である。

 それを忘れてはいけないと自分に言い聞かせながら、ユーグは笑みを崩すことなく「……そうかもしれませんね」とだけ返事を返したのだった。

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