第1話
「……それでは出席して頂けないということでよろしいですか?」
「はい」
学園教師の問いに、リアナは少しだけ語気を強めて答えた。
「そうですか。わかりました」
それを聞いて、社交科の教師であるメリドーサが残念だと言いたげに目を伏せる。
「……では、失礼いたします」
リアナは学園の制服のスカートを片手で摘まんで優雅なカーテシーを披露すると、濡れ羽色の髪を
メリドーサの部屋から出てきたリアナの後を、廊下に控えていたメイドが静々と付いて歩く。
「またですか?」
「ええ、パーティーとは名ばかりの見合い話でしょうね……」
「……結婚相手の候補は多いに越したことはないのでは?」
「相手を見繕うのは舞踏会とかで十分でしょう? それに、パーティーの主催者はグラッドストン家の子息らしいのよ……絶対に御免だわ」
その家名を聞いたメイドは「ああ、あの……」と、どこか納得した様子を見せ、それ以上は何も聞くことはなかった。
廊下の先に学園生の姿を認めたリアナは、メイドとの会話を無難なものへと切り替えると、足元の少しひんやりした石畳の廊下を足早に進みながら、後ろを振り返らぬままに尋ねた。
「ところでクリッサ、今日の予定は?」
「……はい。午後三時からソーンダーズ家の御令嬢が主催のお茶会があります。明日以降も、ひと月ほど先までお茶会の予定が毎日入っております」
「…………そうだったわね」
学園生活において、交友関係の構築は重要だ。さらに、この学園に通えるのは貴族だけであることから、お茶会の重要性はさらに高いといっていい。であるのに、リアナの返事はどうにも歯切れが悪いものであった。
それというのも、学園に入学して以降ひっきりなしにお茶会に招かれ続けていたことで、うんざりとしていたためである。このときすでに、リアナの中ではお茶会に誘われるという喜びよりも煩わしさの方が勝り始めていたのだった。
彼女の感じていた煩わしさの原因は、親の属する派閥というものがお茶会という場にも多分に影響していたことにある。伯爵の位を持つ貴族であるリアナの家――アンテマリア家は、保守派と革新派のそのどちらにも属していないことから、リアナは派閥を問わずにお茶会に誘われやすいという立場にあった。
ところが、入学初日でリアナはやらかしてしまった。派閥のことなど全く頭にないまま、のこのこと両派閥のお茶会に参加してしまったのだ。
結果として、リアナは二つの派閥の誘いのそのどちらもを断るに断れなくなるという状況に陥ってしまっていたのである。
ちなみに、保守派と革新派は非常に仲が悪い。
貴族の子供同士の付き合いであるとはいえ、リアナはそれぞれの派閥の催し物に招かれるたびに、両派閥の子女達と円滑な関係を築くための外交的なスキルまでもが要求されることとなっていた。
気疲れを起こすなというのは無理な話だった。
廊下を歩きながら聞いたクリッサの情報によれば、午後のお茶会の主催者であるソーンダーズ家は伯爵家であり、由緒正しき保守派の騎士家であるとのこと。
今までの経験から保守派の貴族にあまりいい印象を抱いていなかったリアナは、どこか重い足取りで教室へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
――精霊召喚の儀。
それは貴族とそれに準ずる者達にのみ許された、魔法使いになるための儀式である。
魔法使いは精霊と共にあり精霊と共に死ぬ、と言われるほどに精霊と魔法使いは密接な関係にあるとされており、ランクロワ王国に限らず魔法使い=貴族という図式が成り立つ国々においては、より強い資質を持った魔法使い同士の結婚を推奨する傾向が強かった。
言い換えれば、より優れた精霊を召喚できた人間がより良い結婚相手を得ることが出来るようになっているのだった。
そして、魔法使いとしての資質が家柄よりも重要視される場合があるというのは、リアナの通っているランクロワ王国の王立学園においても同様であった。
入学式からちょうど一週間後の金鉄の日。
精霊召喚の儀に臨もうとしている生徒たちにとって、今日という日はまさに人生の
そのためか、学園全体に流れる空気はどこかソワソワしており、その例に漏れずに順番待ちをしていたリアナもまた、学園の敷地内にある寮の自室でやきもきしているひとりなのだった。
制服のドレスのスカートの上で、手をキュッと握り込んでいる彼女のその表情は硬く、先程から扉のあたりをちらちらと見てばかりいる。
そんな主人に対して、側に控えていたメイドが声を掛けた。
「気持ちは分かりますが……そんなに扉を見てばかりいても、すぐに順番が回ってくるわけではありませんよ?」
「わかってるわよ……でも、仕方がないじゃない!」
「精霊召喚には、召喚主の精神状態も影響する可能性があるのでしょう? 感情のコントロールも貴族にとって必要なスキルではありませんか?」
「うっ……それはそうなんだけど……」
なんとも主人に対するメイドらしからぬ物言いであるが、彼女――クリッサの指摘は正しかった。
それ以上言い返す言葉の思いつかなかったリアナは、ただ口をつんと尖らせることしか出来ない。
すると、そんなリアナの前にそっとティーカップが差し出された。
「ダージリンです」
むすっとしながらも、リアナは何も言わずにカップに口を付ける。
乾いた喉に人肌の紅茶がとても飲みやすかった。
紅茶をすぐに飲み干して一息ついたリアナは、思っていたよりも自分が緊張していたことに気づいて、小さく「ありがとう」と礼を口にしたのだった。
そんな一幕がありながらも、リアナが本を読みながらしばらく寛いでいると、部屋の扉がコンコンコンと三回鳴らされた。
やっと、リアナの番が回って来たのである。
「……適正元素の特定なんて、あらかじめ済ませておけばいいのに」
学園本館の地下にある部屋の前までやって来ていたリアナは、順番待ちをしていた生徒たち全員が思っているであろうことを誰に言うでもなく呟いた。
扉を開けたその先には、薄暗い部屋の中心に腰くらいの高さのある黒い台座が一つだけぽつんと置かれていて、さらにその台座の周りを囲むようにして数人の教員らしき人物が立っていた。
「リアナ・アンテマリア嬢か?」
リアナが部屋に入るなり、入り口から一番近い場所にいた人物が声を掛けてきた。
光源が
「はい。そうです」
「よろしい。ではこれを……」
何の説明もなくリアナが手渡されたのは、手の平ほどの大きさのある透明な石。
それはまるで
これが精霊召喚に使う魔法石かとしげしげと眺めるリアナをよそに、教授はさっさと持ち場へと戻っていってしまう。
「では、始めるぞ!」
ベルトランの号令と共に、教師たちが一斉に呪文を唱え始めた。
すると、石畳に描かれた魔方陣が淡く輝き始め、蝋燭の炎に照らされている部屋を青色の光で上書きしていった。
「魔法石を台座の中心にはめ込むのだ! 決して石から手を放すでないぞ!」
呪文の詠唱の音量に負けないようにベルトランが声を張り上げた。
その声にびくりとしつつも、リアナは急いで台座の上部にある六角形の窪みを見つけ、水晶を差し込む。
すると、それから数泊の間を置いて魔法石が白く輝き始め、魔法石に触れるその指先からリアナの内側にある力が無理矢理に引っ張り出されていった。
指が触れている箇所から魔法石の色が金色へと変わり始め――そして、石全体が金色に染まり切った途端、魔法石が一際強い輝きを放つ。
「きゃっ!」
光に驚いて、咄嗟に片手で目を覆うリアナ。
しばらくすると魔法陣の青い光が消え、魔法石の輝きも収まっていった。
魔法陣がその効力を失ったのを確認すると、リアナはおそるおそる窪みから魔法石を引き抜いた。リアナの手の中でうっすらと金色に輝く魔法石。その中に封じ込められた金色の光が、石の中心に向かって渦巻いている。
それを見て、なぜかリアナは浮かない顔をしていた。
「成功か?」
「その様です。しかし、このような色は見たことがありません」
「金色は黄色に近い……ということは、土系統か?」
不安げなリアナを放って、教授たちがその顔に喜色を浮かべながら話し始める。
四大元素のどれにも属さない色に探求心が刺激されたのか、興奮気味に話す四人の教授であったが、儀式場を確認して回る彼らの言葉の中には不穏なものが含まれていた。
魔法石の放った金色の光が、教授たちですらを見たことがない色であるということはつまり、魔法適性が分からないも同然である。
しばらく
「もう一度、元素鑑定をさせてもらえませんか?」
「無理だ」
震えそうになる声を無理やり抑え込みながら聞いたリアナに、指示を出し終えたベルトランは扉を閉めながら、すげなく返したのだった。
扉が閉まると、再び部屋が薄暗闇に包まれる。
その暗さのせいで間近に見える強面の教授の顔がさらに凄みを増していたが、リアナは気丈にも尋ね返した。
「どうしてでしょうか?」
「確認した結果、鑑定は成功していた。失敗したわけではないのだから、何度やり直そうとも結果は同じものとなるだろう」
そう言うと、ベルトランは白い顎ひげをしごきながら「それに」と付け加えてから、続けた。
「仮にもう一度やるにしても、その場合は親御さんにお伺いを立てる必要がある」
「私の親に、一体何の関係が?」
親という言葉に反応して、少しだけ語気を荒くするリアナ。
そんな彼女をベルトランは出来の悪い子を見るような眼で見ると、一度ため息を吐き――それから、リアナが手に持っている魔法石を指で示した。
「最初の一つは王国から支給されるが、二つ目以降は自費になる。いま君が手に持っているそれが、到底学生に払えるような金額の代物ではないのは知っているだろう?」
「そんな……」
それはリアナにとって絶望的な知らせだった。
そもそもリアナは、学園に行くのに反対していた父の制止をどうにか振り切って、やっとのことで学園に通えるようになったばかりなのだ。とてもではないが助力なんて期待できなかった。
ということはつまり、リアナは午後から行われる精霊召喚を何の手掛かりの無い致命的な状態で臨むことが確定してしまったのである。
突きつけられたあんまりな事実にリアナは愕然としていた。
「……そろそろ、次の生徒が来る時間だ。悪いが出て行ってもらおう」
そう言うと、ベルトラン教授はリアナの背を押す形で、扉の外へと追いやってしまう。
流石に気の毒に思ったのか、ベルトランはリアナの肩をポンポンと叩いてから、言った。
「何かあった時には、私のところに来るといい……相談くらいにはのろう」
茫然自失としていたリアナは、バタンと扉が閉まる音をどこか意識の外で聞いていて――そのまま次の生徒がやって来るまで扉の前を動けずにいたのだった。
精霊召喚に使う儀式場は、学園の裏手の先にあるレムドラージ湖の
そのため、庭園のすぐ近くに庭師や使用人達のための小屋が設けられるほどに利用頻度の高いその場所は、森の中に存在しているにもかかわらず、学園から庭園までの道を馬車が通りやすいように石畳で整備されていたのである。
そんな儀式場までの道中で、リアナは数台の馬車がすれ違うのを車窓からただボーっと眺めていた。
「そのペンダント、どうしたのですか?」
「フレデリク様にお会いした時に頂きましたの……」
「それって……最近流行りの植物の模様の―――」
箱馬車の中に子女たちの楽しげな声が響く。
家格が同じくらいの生徒がだいたい五人ほどでまとめられていたその中で、彼女たちの他愛もない話に加わる余裕などリアナには無かった。
彼女たちの会話が他大陸の土産物の話から始まり、隣国のマリド共和国の近況などといった話へと次々に移り変わっていくのを背景音に、制服のポケットに入っている魔法石を指で
そんな彼女の頭の中は、精霊召喚のことで一杯だった。
精霊召喚というものは、必要な条件を満たしてさえいれば基本的に失敗することはないとされている。
しかしそれには、儀式で精霊を召喚する時に自分と同じ属性の精霊を想像し、かつ、召喚する精霊の属性に適した生き物を呼び出すことが出来れば、という
例えば、自分の属性が水である場合、火属性のサラマンダーを召喚できるかと言えばそれは不可能に近い。また仮に、水属性のサラマンダーを召喚しようとしても高確率で召喚は失敗することになる。
つまり精霊召喚に必要なのは、自分にも精霊にも適した属性の生き物を想像し、呼び出すことなのだ。
この時、精霊をイメージする精度が魔法使いとしての質にも影響するとされているが、そもそもリアナはそのステージに立ててすらいないということになる。
なにせ自分の適性すらも分かっていないのだから。
きっと精霊召喚は失敗し、魔法使いになるという道は断たれてしまうのだろう。
もしそうなれば、私はここに一体何しに来たのだろう――と、リアナは再び窓の外へと目を遣った。
そうしてしばらくぼんやりと外を眺めていたリアナの目に、森の切れ目が映った。
車窓から木々が消え去り視界が開けたその先には、風光明媚な庭園が広がっている。
その奥に見える青々とした湖と、さらにその奥の山々を背にして、庭園と湖との境界に白いストーンガゼボが建っていた。真っ白な大理石で造られたそれは、陽光を受けて純白の光を反射していて、その周囲にある手入れのされた美しい花々よりも際立った存在感を放っている。
ところが今のリアナにはその美しい光景を見ても素直に感動することが出来なかった。
それは――荘厳なる儀式場が、処刑台のように見えてならなかったからである。
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