第四話 植物少女と木の墓標

 植物が世界を侵食し始めて、一ヶ月程度が経った。

 私たちはいろんな場所に行った。遊園地や牧場。寂れた港町に綺麗な花畑。どこももう、終末と化していた。

 食べ物はほとんど見つからなかった。あったとしても、食べることができなかった。自然も建物も、全てが侵食を受けていた。

 もう限界だった。世界も、私たちも。



※※※※



 目の前の街は、完全に植物に呑まれていた。私たちはただ、丘の上からそれを眺めるしかなかった。

 全ての建物は、そのシルエットを植物で包み込まれていた。入れる場所などどこにもなく、地球が丸ごと原始の世界に帰っていくかのようだった。目指していた最後の希望はもうなく、徒労感が私たちを襲った。

 サトウさんが言う。


「もう、死ぬしかないのかもね」


 死ぬのは嫌だ。サトウさんと一緒にいられなくなるから。ただそれ以前の問題として、私たちにはとっくに死ぬ以外の道が残されていなかった。食べ物ももう全て尽きてしまった。植物の侵食に、私たちは抗うすべがなかった。

 

 明確な終わりを向かえたこの世界に、人類の居場所はもうない。


 隣に座るサトウさんの体は、はっきりと衰弱していた。元々明るいとも言えない目つきは完全に沈み、口数も減って意味のない相槌が多くなった。好きな人が死を夢想している姿は、ただただ悲しくてつらい。

 


※※※※


 私たちは植物に侵食された橋の下で、雨を凌いでいた。寒いからと、ゴミを集めて焚き火にしていた。目の前のサトウさんはただじっと暖を取っていた。生気を感じさせない目は、空に広がる黒雲よりも暗かった。

 私はボロボロのガスマスクを外し、燃えさかる火の中に放り込んだ。湿度のせいか燃えにくい。やがてばちばちと少し不穏な音がしたが、問題なく燃えていった。正面を見ると、サトウさんもマスクを火のなかに投げこんでいた。

 素顔を見るのは初めてじゃなかった。サトウさんが寝ている時に一度(勝手に)外したことがある。サトウさんの顔は思っていたよりも幼く、そんなに歳が離れていないことを改めて実感した。

 私たちは会話する。

 

「マスク、してなくていいの?」

「わたし?」

「うん」

「別にいいよ。サトウさんになら見られてもいい」

「そう」

「サトウさんは?」

「ぼくはいいよ」

「何で?」

「侵食して死んでも、もういいんだ」



※※※※



 私は、サトウさんを自ら侵食することに決めた。他の何かがサトウさんを蝕むくらいなら、私が蝕んであげたかった。そしてあわよくば、一縷の望みにかけてサトウさんを救いたかった。


 雨は降り続いている。橋の暗がりで、私たちは体を寄せ合うようにして寝ていた。限界が近いのか、隣に寝ているサトウさんの呼吸はひどく苦しそうだった。

 私はサトウさんに気付かれないように起き上がった。深く、息を吸い込む。心臓が激しく脈打っているのを、頑張って落ち着かせる。私は無意識に腕をかいていた。

 やがて落ち着いた。深呼吸をする。忘れていた感覚を思いだすように、ゆっくりと念じる。。化け物の腕へと私の腕は変貌を遂げる。

 サトウさんを必ず救う。そう、自分に奮い立たせる。


 私の腕はサトウさんに近づき、やがて触れる。接した部分から侵食が始まり、。おなかから胸へ。胸から肩へ。反対側の足も、やがて動けなくなるだろう。

 植物は人間にも侵食する。やがて人を、木の墓標に変える。

「なにしてるの」

 見るとサトウさんが起きていた。植物に侵されかけているその顔からは、どんな感情も読み取ることができなかった。私は震え声で答えた。

「サトウさんを、救おうとしてるんだ」

 気がつくと私は涙を流していた。それは贖罪を乞う恥さらしの涙だった。

 私は言う。

「私はね、こうやって人を侵食してたんだ。私が死んだ時、みんなが救われるように。ほら、私ってこんな体じゃん? だから、人を侵食できるのかなって。それで私が死んだら、その侵食が解けてみんなが救われるのかなって。

 けれど無駄だった」

「……無駄?」


 サトウさんは怒ることもなく、ただじっと私の話に耳を傾けていた。

 私は言葉を続けた。


「私ね、多分死ねないの。サトウさんがどれだけ苦しんでやつれてても、私の体はすごくじょうぶで。多分、もう死ねない」

「なんで」

「化け物だから」


 私の体は植物に侵食されていた。その侵食は、私の人間としての機能をごっそり作り替えていた。私はこの先、栄養失調で死ぬこともないだろう。老化で死ぬことも、多分ない。髪がもうずっと伸びていない。私の体はこんな状況でも未だにピンピンしてる。サトウさんと同じ苦しみを味わうことができなくなっていることに、いつの間にか私は気がついていた。


「ごめんね、救ってあげられなくて。サトウさんを楽にできなくて」

 サトウさんは笑っていた。その笑顔は、たぶん悲しみの笑顔だった。

「そっか」サトウさんは言葉を続けた。


「それじゃあ、もう君と一緒にいることはできないんだね」


 そんなことを言わないでほしい。そんなこと言われたら、死にたくなるじゃんか。できればサトウさんと一緒に死にたかった。同じ苦しみを味わいたかった。

 

「ねえ、最後にお願いしてもいい?」

「……僕で応えられることなら」

「……サトウさんにしかできないことだよ」


 私はお願いをした。サトウさんは驚いた様子だったが、予想していたのだろう。笑ってうなづいてくれた。雨が降りしきる中、私はサトウさんに顔を近づけた。


 しばらくするとサトウさんは植物と化していった。それは私が世界で一番愛した人の、木でできた墓標だった。ずっと見てると、気が狂いそうになった。

 私は泣いていた。やがてゆっくりと立ち上がって、雨空を見上げた。雨が止む気配はなく、この先ずっと世界に降りしきる予感しかなかった。私の涙も、もうしばらく止みそうにはない。

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植物少女と木の墓標 冬休眠 @huyuyasuminemuru22

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