エデン
古川拓
エデン
八月、僕がウエストのバイトを始めて3ヶ月目、初めての夏がきた。あのかき揚げ丼ビール女はまだ毎週火曜と木曜の夜9時にかかさずくる。金曜の今日、普段はあまり客はこない、金曜の夜にウエストでうどんとは寂しいとそう言った理由だろうか、シフトにはいって2時間、午後9時を回った頃、入口のドアがカラッと開いた、洗い物に追われていた僕はそちらには目をくれずに”いらっしゃいませ”という、すると開いたドアから嗅ぎ慣れた香水の匂いがだだよってくる。ふと目をやるとかき揚げ丼ビール女。金曜にくるとは珍しい、そして今日はなんだか悲しそうだ。
いつもどおり、席にオーダーをとりにいく。
駐車場ちかくの奥まった席だ。
「かき揚げ丼と生を一杯お願いします」
いつも通りのオーダーだった。
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
そう言って席を立ち去りキッチンにオーダーを伝えに行く。
「かき揚げ丼とビールでーす」
「はーい。あれあの人今日も来たんだね」
パートの石井さんも金曜にきたことに少し驚いたみたいだった
「ちょっと珍しいですよね」
「それになんか悲しそうじゃない?うつむいて、いつもは”知ったこっちゃない”って顔してるのに」
「ですよね、僕も思います」
「空くんさ、話しかけてきたら?男前だしいけるよ」
「いやいや程遠いですよ。それにこんなとこで話しかけられても迷惑でしょ」
「冗談冗談。まっ気分ぐらいは直してあげたいよね」
「そうですね」
「はい!かき揚げ丼」
「あっありがとうございます」
ビールをささっと注いでジョッキを片手に、かき揚げ丼をもう片方の手に持ち、女の座る席へ向かう。
「お待たせしました、ビールとかき揚げ丼です」
「ありがとうございます」
声をかけようか戸惑ったが躊躇し、こういうのはサッとタイミングが大事だということを思い出し、躊躇してしまったのを後悔しながらキッチンへ戻る。
30分ほど経っただろうか。女はビールをグイッと飲み干し。一人今夜の夕食を終えていた。
いつも通りすぐお会計して帰るのかな?と思ったが、一呼吸ついた後に持ってきていたバックを漁り、文庫本を一冊取り出す女。
不思議な人だ、僕が喫茶店であればやることをこの人はウエストでしてしまうのだ。
「お下げしましょうか?」
僕は少しだけ気をきかせてみた
「はい、ありがとうございます」
ほのかな笑顔がそこにはあった、でもまだどこか少しだけ悲しそうなそんな顔だった。
午前12時を回りようやくあがる時間がやってきた。
僕は石井さんにお疲れ様ですお先に失礼しますとだけ言い、ささっとロッカーで服を着替え外に出る。
バイト終わりまず向かうのは店の入り口わきにある喫煙スペースだ
僕はポッケからハイライトとライターを強引に取り出し。火を付ける。
「ふーーーー」
一日の終わりだ。音楽でも聞こうといつも肩にかけているバックからブルートゥースイヤホンを取り出そうとした時、店のドアがカラッと開く音がし、あの人が出てきた。
そうかまだいたのか。僕があの人の食べ終わった食器を下げてから2時間はすでに経っていただろう、この人はそれからというもの文庫本をこれでもかというほど食い入るように読んでいたのだ。
「こんばんわ、おつかれさまです。」
不意に声をかけられて少し怖気づく。
「あっこんばんわ」
「タバコ吸われるんですね」
「えっあっはい。吸います。煙草。」
もともとが人見知りな僕はこういうのに慣れていない。それも少なくともこの人のことを3ヶ月毎週二回は欠かさず見てきて、でも話すことはせず、そこから作られた店員と客の距離感を一瞬にして埋めようとそう不意に声をかけられても困るものだ。
「なんか意外です」
意外も何もないだろう。僕は多分、ザ・そういう男だ、22になってまでウエストでバイトしているんだ少なくともそういう男だ、煙草ぐらい吸う。
「そうでもないと思います」
とだけ返した。少し投げやりだったかもしれない、気まづい沈黙ができた。
「あっえっと、なんか、今日あったんですか?なんかずっと悲しそうだった?ので」
「あら気付きました?別に何もなかったんですけど。少し自分が変わっただけで、それで、それで少し落ち込んでて」
「あなた、えーと名前は?名前はなんでいうんですか?」
「遥です。ハル。名前なんですか?」
「ソラです。漢字の空でソラ」
「えーいい名前」
「いやいや、えっとそれでハルさんのなにが変わったんですか?落ち込むほど」
「それは、、もっとソラくんのこと知ってから教えます」
なんだろうか意味ありげに彼女はそう言ってすこし微笑みながらも悲しい顔をしていた。
「そしたらもう帰りますね」
彼女は用事でも終えたかのようにサッと表情を変えてそう言った。
「こんな時間ですもんね、おやすみなさい。また火曜日に」
すでにタバコの火消えていて、吸い殻を捨てて僕も帰路についた。
家は案外広い。10階建てのマンションの5階で無駄に3LDKもある。そんな家族で住めるような場所に一人暮らししている。
部屋は簡素で物はあまり置いていない。本当に気に入ったものしか買わないからだ。もともと自分の住んでいる場所が汚くなるのが嫌いで、整理整頓はするタチだ、そのため寝室も含め全てが整っていて、ゴミはそう落ちていない。
「ただいま。おかえり。」
一人暮らしの口癖のようなものだ。靴を脱いで玄関をあがりキッチンへ向かう。
ケトルに水道水を注いで、スイッチを入れる。棚から紅茶の茶葉入れを出し、急須の中にホツホツと掬っては入れていく。水が沸くとスイッチがきれパチっと音がする。ケトルをとり急須にお湯を注いで、余った分はポットに入れておく。後はお茶が出るのを少し待って湯飲みに注ぐだけだ。
「はぁーーーあ」
リビングのソファに背中から溺れるかのように深く深く腰掛ける。椅子はコルビジェのLC2。わざわざ高めの家具屋に探しにいったお気に入りの椅子だ。ただこういう”溺れる”ような座り方には向いていない、座りながら寝るなど絶対にさせない椅子だ。その溺れた体勢から少し起き上がり、ポッケから携帯を出し時間を確認する。午前1時。眠いはずだ。起きたのは夕方の5時ぐらいだったがバイト終わりは起きてた時間に関わらず眠い。そういうものだ。
「うんとこしょ」
お茶を湯飲みに入れにまたキッチンへ。急須から注いで、湯飲みから一口。ホッと一息。
1日の終わりだ。あのかき揚げ丼ビール女のことが少し頭によぎったが今日は何故かいつも以上に疲れている。風呂に入り、歯を磨き。コンタクトを外し、メガネに付け替えてキッチンで紅茶を飲み干し、寝室へ。真っ暗な寝室を電気をつけずにベットまで一直進。そして思いっきり倒れ込む。
「おやすみ」
そう1人で言って目を閉じる。少しだけ特別なことはあったがそれ以外は普通の日常だった。
.
広い、ただただ広い白色の壁と床と天井が広がっている。僕を挟むようにしてある両側の壁は空間の真ん中に座っている僕から10メートルの距離をあけて左右に見えるのだが、奥の方に目を凝らしてみてもこの空間の終わりは見えない。ただただ永遠に続く、横幅20メートルの直線的で閉鎖された空間にいた。ここには人はいない。いつもいないわけではない。僕が願えば人が遠くから、空間の奥の方からゆっくりと歩いてやってくる。ここには何もない。いつもないわけではない。僕が願えば音を立てずに、何もないはずの場所から、うっすらとした輪郭から物理的な物体になるような感じで物が現れる。腹は減らない。眠くもならない。昨日もなければ明日もない。ただひたすらに今日が続く。そんな不思議な場所だ。僕は人や物を出す時のことを総称して、”呼び込み”とよんでいた。呼び込みは僕の想像力と知識量に依存する。
想像できないものは作れないし、知識のないものは曖昧なものしか呼べない。知識、こんな場所でどうやってつけるのか?そう疑問に思っただろう。本はある。ネットもあるし。何だって知識を得るために必要なものは揃っていた。多分、生まれた時からここにあった。親にはあったことはない。生まれた時からこの場所で一人っきりだった。友達もいない。話す人たちはいるが、あの人たちを友達と果たして言えるのか疑問だ、何故なら彼らは呼び込みでどこからともなくきた僕の想像の産物だからだ。ここには平穏しかない。混沌など程遠い。それが存在できるほどここは広くはないのだ。この今日の延長線上で何度、どれほど長く、僕の知らない世界に行けることを願ったのだろうか。自分自身の想像力の外側に広がる混沌を待っていた。
.
目が開く。血が回る。重い身体が次第に健康的な熱を帯びていくのを感じる。朝だった。ベットからむっくりと立ち上がり、リビングに向かい、大きな窓のカーテンを開ける。低く薄い、平べったい形の雲たちをぬって太陽が立ち並ぶビルの間から頭を出してるのが見えた。気温は24度前後、風は心地いい、夏にしては少し涼しい朝だ。郵便配達のバイクの音が寂しそうに街に響き渡っていた。バイトまでは時間がある。僕はシャワーを浴び、歯を磨き、メガネをコンタクトに変えて、服を着替え、行ってらっしゃいの聞こえない行ってきますを言って家を後にした。
道を歩く。蝉の声はまばらに聞こえる。大合唱というほどではない。街に木はそう生えていない。少し自然の音と人々の生活音を堪能した後、ブルートゥースのイヤホンをバックから取り出し、携帯から音楽をかける。Chet Baker の I fall in love too easily。僕の深夜から朝にかけてのお気に入りの曲だ。
「I fall in love too easily~~I fall in love too fast~~」
すれ違う人たちに聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で口ずさむ。ジャズは素晴らしい。混沌のなかに調和を生み出してくれる。忙しい街の中にいて自分の頭上にだけゆっくりした時間が流れているようなそんな感じがする。そんな形容しずらい感じに浸りながら。街を一人歩いている自分がまさに混沌の一部なのかもしれない。そんな出口のないような考えをゆっくりした音と音の隙間に落としながら道をただひたすらにまっすぐに歩き、大きな池のある公園に着いた。昔はここの近くに界隈を統治してた人が城を建てていて、この池はその時の堀の残り香なのだと、どこかでよんだことがある。池を左側に見ながら、池の周囲にそってある道を歩く。太陽は既に高く上がっていて、薄く広がっていたはずの雲は既に逃げるかの如くいなくなっていた、澄んだ真っ青な裸の空。快晴だ。風はまだ涼しい。汗は少しずつ額から出て、顔の上をゆっくりとつたっているがそこまで鬱陶しくはない。ゆっくり息を吐いたり吸ったりしながらこれまたゆっくりと歩き、池をちょうど一周だけして家へ向かう。朝の運動はこれで終わりだ。また真っ直ぐとした道を家までひたすら歩き、エレベーターは使わずに、階段で5階まで上がって、家のドアを開ける。そそくさと靴を脱ぎ、ソファに吸い込まれ、大きなため息をつく。3分ほどボーッと目の前の壁を見つめ立ち上がり、キッチンに向かい、ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れる。湧き上がるまで少しベッドで横になろうと寝室に向かう。ベッドに頭から飛び込み、次第に意識が薄らいでいく。
起きた時には既に午後6時を回っていた、シフトまで後1時間しか時間がない。準備をしなければ。ベッドから飛び起き、シャワーを浴び、そそくさと着替えて家を出る。自転車に30分でバイト先につく。しかし、今日は妙に腹がすく。それもそのはず、朝から何も口にしていないのだ、途中、コンビニにより、おにぎりを二個とほうじ茶のペットボトルを買った。パパパッと食べ、時間を確認する。既に45分になっていた。今日はなんだか時間が早い気がする。ささっとゴミをすて、また自転車にまたがる。ここからバイト先へは8分ぐらいで着く。汗をあまりかかないぐらいのスピードで自転車を急いで漕ぎ、バイト先、ウエストへ飛び込むと、キッチンには石井さんがいた。
「お疲れ様です」
「あら、空くん、どうしたのそんなに慌てて」
「いや、遅れると思って、急いで来て」
「あら、まだ空くんのシフトまで30分はあるのに」
「え?」
息を切らしながら、店内の掛け時計をみる、まだ6時30分だった。どういうわけか、あまりしないはずの腕時計をしてそれで時間を確認してたのが悪かったみたいだ。ちょっと損した気分になりながら、ロッカールームへ、息を整えながらゆっくりバイト着に着替える。シフトは午後7時から午前12時までの5時間だ。
「よし」
少し、自分に気合いを入れて、ロッカールームを後にする。
ちょうど5時間後、またロッカールームのドアが開く。
あまり客は来なかった。あの人、そうあのハルという女性が来ることを少し期待していたが、彼女が来ることはなかった、昨日だけの気まぐれだったのだ。また火曜日になれば何食わぬ顔でやってくるのだろう。そそくさと着替え、煙草をポッケに、バックを肩にかけ、ロッカールームを後にする。店の裏手にある従業員出入り口から外へ、喫煙スペースで一服しようと、ポッケの中に手を入れ、煙草とライターを取り出して、煙草一本咥え、火を付ける。
「おーーい」
駐車場の奥から、一人の女性が、手をふり、こちらへやってくる。視力の悪い僕は目を凝らしながら、誰かを確認する。
あの人だった。
「ハルさん」
「おっ名前覚えていてくれたんですね、嬉しい」
「何されてたんですか?駐車場なんかで」
「ソラくんがバイト終わるの待ってたの」
「えっなんで」
「そんな、驚かないで笑、ただ話したかっただけ、迷惑だった?」
「いや別に」
「そっかならいい」
驚いた、ただ少し嬉しかった。この人が待っていたのがというよりも、人が僕のバイトが終わるのを待っていたというだけで嬉しかった。
少しだけ沈黙が流れて、僕が吸い込んだ煙を吐き切った時に彼女がまた口を開いた。
「でも今は疲れてるよね、バイト終わったばっかだし、明日は何してるの?」
「明日は休み、予定もないです」
「そしたら明日会おうよ、あとで連絡するから何か連絡つくもの教えて」
「ラインってどうやって追加するんでしたっけ、僕バイトの人と家の大家の連絡先しか持ってなくてそれもプライベートではあまり話さないし、あまり使わないから、使い方もよくわかってなくて」
「QRコードね、ここを押して」
「これですか」
「そうそれで、私がそれをこれで写したら、よし追加できた、明日の朝までにはこれで連絡するから、返信の仕方ぐらいはわかるでしょ?」
「それぐらいはわかります」
「おっけい、そしたら明日ね」
「はい」
嵐のようだった。もし、世界の秘密、そんなものがまだあるとしたら、それは彼女なのかもしれない。とりあえず明日、僕はあの人と会うらしい。既に火が消えていた煙草を灰皿に捨て、駐車場の奥に止めてある自転車の鍵を開け、自転車にまたがる。家までの30分間、自転車を漕ぎながら、あれやこれや、ハルさんのことに思いをめぐらしていた。なぜ、駐車場で僕のバイトが終わるのをまっていたのか、3ヶ月間ひとことも話してなかったのになぜ今になって僕と話す気になったのか、明日あってどこにいくのか、何を話すのか。30分はあれこれ考えるには案外短い、あっという間に家につき、自転車を駐輪場に止める。少し疲れていた僕はいつもはエレベーターを使い5階まで上がり、家のドアを開け、シャワーも歯磨きもせずに、ベッドに直行した。
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風呂に入るとき、よく考える。息を止めて潜る、そのうち呼吸ができないことに苦しくなって、顔を出した時には違う世界にいて、全てが思った通りに、自分の期待通りに世界が動き出すのではないかと。呼び込みにおいて想像できるものはなんでも呼び出すことができる。知識があるものは、細部までしっかりとしたものが呼び出せる。風呂は簡単だ、そのものの作りが簡単なため、いつでも入りたい時になに不自由なしに呼び込みできる。基本的にこの空間には僕一人しかいないため、カーテンなど呼び出す必要はない。ましてや更衣室なんていらない。誰一人として、僕の裸を見る人はここにはいないのだ。本を読むのに疲れ、そろそろ風呂に入って寝ようと、風呂を呼び出した。いつも通りの風呂だった。なに一つ変わりはない。ただ強く願った、強く想像した、どこか違う終わりのない空間などなく、昨日と明日がある、そんな世界を。
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音が鳴っている、それは次第に大きく大きくなって、実感として感じる。アラームだ、アラームがなっていた。手を伸ばし、ベットの横の小さいテーブルの上においてある携帯を取り、アラームをきる。時間を確認すると午後4時だった。だいぶ寝ていたようだ。
「あっそうだった」
あの人が朝にまでは連絡すると言っていたことを思い出し、通知を開いてみる。するとそこには何件かのメッセージがあった。
”ソラくん、今日午後5時に君のバイト先前で待ち合わせしよう”
”そうだ、持ってたらカメラ持ってきてね”
そして時間をあけてもう一件。
”遅れそうだったら教えて、合わせるから”
もう午後4時だ、今から準備したとして、確実に遅れてしまうだろう。僕は待ち合わせの時間を1時間だけ伸ばしてもらおうと、テキストを打った。
”すみません、今起きたので、待ち合わせ6時にできますか”
すると、すぐに既読がつき、返信がかえってきた。
”おはよう、わかった”
それを確認した僕はまず洗面所に向かい歯を磨きその後に冷たいシャワーを浴びケトルに水を注ぎ、スイッチを入れ、リビングのソファに座り込む。人に呼ばれて会うのは初めてだ、少しだけ緊張する。どういった話をすればいいのか考えながらも思ったような解決策は出ずにモンモンとしながらまた立ち上がり、キッチンに向かいほうじ茶を入れる。一気に湯飲みいっぱい分飲み干して、風呂場へ、携帯を開き、June Christy の something cool を流しながら、シャワーを浴びる。3回ぐらいリピートされた後に、石鹸の泡を洗い流していたシャワーを止め、バスタオルをとり、身体を拭く。それが終わったら、着替えしに寝室まで、バスタオルを腰に巻きソローリソローリと何故かつま先立ちで歩く、よく考えるとバイトにいくような服しか持っていない、しかし、しょうがない。とりあえずあるものを着て、バックを肩にかけ、玄関の靴箱の上にあったカメラをとり、煙草とライターをポッケにつっこみ、ほうじ茶をもう一杯だけ飲んで、靴を履き、家から出る。
僕が待ち合わせ場所に着いた時、既にハルさんはそこにいた、いつもより女性らしい格好をしていた、化粧もしているみたいだった、赤い唇に目がいってしまう。
「おはようソラくん」
「おはようございます」
「自転車できたんだね」
「はい、遅れるかもって思ったんで」
時間は既に午後6時を5分ほどすぎていた。
「カメラは持ってきた?」
「はい、ほら」
そう言って背中を見せた、肩から下げたカメラはそこで僕の体の動きに合わせてプラプラとしていた。
「おっけい、そしたら、自転車はここにおいて、歩こうか」
「わかりました」
僕は自転車を誰の邪魔にもならないように駐車場の奥の方に止めて、ハルさんの元に戻り、彼女の向かう方向に着いて歩く。
15分ほどたっただろうか、僕たちは幅の広い大きな川の河川敷を歩いていた。
「ソラくん、私、あの日、君のこともっと知ったら悲しかった理由話すって言ったでしょ?覚えてる」
「覚えてます、何があったんですか?、何が変わったって言ってたけど」
「そうそうなの、ここ3ヶ月のあいだね、前にもあったのその時はほんとに良くなくて」
「何が変わってたんですか?」
「変なこと言うかもしれないけど、信じれなかったら気にしないで聴いてくれるだけでもいいから」
「わかりました」
「そう、それでね、私がね、この世界を作ったの、太陽があって沈んで、月が昇って、夜がきて、人はそれにそって毎日生きていく、この世界の全てがね私の体のように感じられるし、わかるの。誰が何を感じて、何をしているのか。」
「そうなんですね」
不思議と疑いはなかった。
「その持ってきたカメラで私のこと撮ってみて」
パシャ。付いている画面でしっかりと撮れているか確認する。するとそこには真っ黒な闇しか写っていなかった。
「そう、私はね、写らないの、この世界そのものだから」
「なんで、カメラを持ってこさせたんですか?携帯でもよかったのに」
「それは、記念のためよ、カメラのほうが綺麗でしょ」
写らないなら関係ないと思ったが、そうだカメラの方がいい、例え写らないとしても。これが記憶に記録になるのだ。
「それでね、何が変わったってね、最近ね、ここ3ヶ月、感じないもの、知らないもの、わからないものがあるの。でもわかってるのその理由は」
「その理由は?」
「わかってるでしょ?君だよ、ソラくん、君はこの世界の人じゃない」
「僕もそんな気がしていました、どこか遠くから来たような気が、最近夢をみるんです。夢というよりも、それが現実だったような、そんな不思議な感じのする夢を。起きていても、不思議と、思えば望んだ物が出てきたりするんです、あまりそういったことはしないけど。」
「前にもあったの、違う人、私が知らない人がいたの、ここに、この世界に、その人全てを壊していっちゃった、全部、跡形なく」
「そのあと、どうしたんですか?」
「その人は全部壊して、それだけして、帰っていったの、その人のもといた世界に、だから私はその人が帰った後に、また一からこの世界を作ったの」
「それで、僕がその人みたいなことをするかもしれないって心配だったんですね」
「そう、3ヶ月ぐらい観察してたの、でも君はこの世界でただ生きていた。ただ生活していた。」
「僕はたぶん望んでここに来たんです。それも強く強く。だから好きですよ、ここ。壊すなんて考えたこともない。」
そう言い終えた時、急に雨が降り出した。その雨は段々いっそうと強くなり、2人を濡らしていた。
「帰ろうか、ソラくん」
「家はどこ?ハルさん」
「少し遠い」
「そしたら、僕の家まで走って戻りましょう、ここから近いから」
「自転車は?取らなくていい?」
「いい!」
僕の住むマンションまで2人は走った、走りに走った、走りながらハルさんは笑っていた、僕もなぜかつられて笑っていた。僕の住む5階の部屋に着いた時には、2人はびしょ濡れだった、まるで川に2人で飛び込んだような、そんな感じだった。
「ハルさん、タオル」
「ありがとう」
僕は、洗面所から大きめのバスタオルをとり彼女に手渡した。
「これなんだね。ソラくんここにきて一度だけ書き換えたでしょ、私の世界を」
「うん、ごめんなさい、勝手に。でも、家が欲しかったんです、ただいまって言う。靴を脱いで、顔と手を洗って、イスに深く腰掛ける。本棚を作る。本でいっぱいになったら、また新しい本棚を作る。何をしてもいい。そんな場所が。」
「じゃあ、これからは、私がおかえりって言ってあげるよ」
終わり
エデン 古川拓 @oldcurio
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