月夜の花

@Conb

第1話

このぼく、美咲悠一郎について知りたいなんていう物好きな人間はまさか居ないだろうから、代わりに学校一の秀才である牧沢るいについて語らせて頂こう。


彼女は天才である。天才―それを凡人であるぼくの言い訳だと言われればそれまでなのだが―という言葉が、彼女以上に似合う人間を僕は知らない。


牧沢戻、17歳。眉目秀麗、才色兼備。器用貧乏ならぬ器用裕福とでも言うべきか。剣道部の部長であり、インターハイは当然のごとく優勝。今や大人でも適わないほどの実力。全国模試1位で、その上風紀の乱れを許さない。が、年相応のやんちゃは度が過ぎなければスルーできるような柔軟さも持っている。同性からも異性からも注目を浴びるそのルックスは、本能的に屈服をしたくなるほどの美しさである。立てば芍薬が跪き、座れば牡丹が立ち退き、歩く姿を見た百合の花は自信をなくして枯れてしまうと言われている。


『人間合格』。それが彼女に付けられたあだ名であり、その事に意義を唱える人間は誰1人いないほどに彼女は完成されている。ネーミングセンスは少々どうかと思うが。


さて、説明終了。ここからは現実だ。


「そろそろソレ、下ろしてくれませんかね?」


「ふむ。それは命令か?君が、私に?」


そんな完璧な彼女の、言葉にならないほどの威圧感。そしてぼくを貫くかのような冷たい視線。生唾を飲む音。忙しく動く心臓の音がうるさい。そんなぼくでもさりげなく彼女が金属バットを握る手に力を込めたのを見逃さない。


「いや、それにしても、今日は戻さんに負けず劣らず月が綺麗ですね。惚れ惚れしますよ。」


「今夜はスーパームーンらしいな。月が地球に最も接近するのだから大きく見えるのは当然だ...っ!」


言い終わるや否や、彼女はバットを振り下ろす。ぼくは間一髪、それを後ろに飛ぶことで回避する。ぼくは運動ができないが、人間やはり生死が関わっていると飛躍的に身体能力が上がるらしい。


「しかし知りませんでしたよ。まさか籠城学園イチの秀才に、こんなサディストみたいな一面があるなんて...。」


そう話している間も、警戒は怠らない。嗜虐的な笑みを浮かべる彼女は、どことなく鷹を想像させる。目が笑っていない。今は会話をできる状態だが、いつこの均衡が崩れるかわかったものじゃない。


「サディストね...。君は何やら勘違いをしているようだ。なにも私は趣味嗜好でこんなむごい事をやっているわけじゃないんだ。決してね。君だって豚肉を食べることについて、『なんでそんなに残虐なことしてるんだ!』と言われても生きるためだとしか答えられないだろう?まあ美味しいからという理由もあると思うが。私も同じなんだよ、そこについては。」


何を言っているんだ、こいつは?急に豚肉の話が出てくるのはおかしいだろう。飛びすぎだ。それにいつもより一段と舌が回る。怖すぎる。

そんなことを考えている間に、彼女は唐突に窓ガラスをバットで叩き割りだした。視線はこちらに向けたままだ。バットの1番強い部分である芯の入っているところで割っているのではなく、柄の部分を叩きつけて割っている。


「おい、おいおいおいおい...フツー女子高生がこんな事できるか?何をやってるんだ...。」


恐怖。このぼくを襲ったのは根源的な恐怖であった。ここでは言いようのない、良いように捉えたところでどうしようもない、為す術なくこの体を捧げるしかないかのような威圧感だった。そしてぼくはそれを振り切るように走った。自分の命を保つにはそうするしかない。

『廊下は走ってはいけません』

そんな貼り紙を横目に、絶対的な恐怖を振り切るかのように走り、彼女から逃げおおせた。


「そんなに怖がるなよ。露呈するぞ、小心者が。」


はずだった。

いつの間にか彼女はぼくの前に立ち塞がる。

1度も抜かれてはいなかったのに...!

まるで霧か何かに変わってぼくをすり抜けたみたいだった。


「雲散霧消、ってあるじゃん。あの言葉好きなんだよね。儚げでさ。雲散儚消、有散無消。...失礼、くだらないことを言ったがな。とにかく、この良さを君はわかってくれるかな?」


支離滅裂だ。何を言っている。そんなことを考えている間にも彼女が歩いてくる。声も出ない。肩で息をしつつ、きっと睨みつける。


「ふむ。良い目をしているな。こんなテンプレートみたいなことを言うつもりはなかったのだが、実際に良い目をしているのだから仕方あるまい。」


そういいつつ彼女はバットをレイピアのように構え、ぼくの腹を突いた。


「かふっ...」


息が漏れる。波紋に開花しそうだ。あまりにも重い一撃をもらってしまったぼくは、みっともなくその場に倒れ込む。動きが俊敏すぎる。まるで人間じゃないみたいだ。意識が遠のいていくぼくの最後に見た光景は、彼女の満足そうな顔と、大きく開いた口の中の尖った八重歯だった。

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