くしゃみによる殺人の存在が世界的に公表されて、もう二年になる。

 この二年間で、人類の生活はがらりと変わってしまった。

 最初は誰も信じなかった。そりゃそうだろう。こんな冗談みたいな話。

 世界に納得させるために、世界政府は思い切った手段に出た。

死刑執行に、このくしゃみを使ったのだ。

 まず、死刑囚を完全密閉の空間に入れる。特殊な金属で構成され、外部からの音波、電波はどれほど微弱であろうと完全に遮断される。その状態で、囚人の鼻をくすぐって、くしゃみをさせるのだ。

 この方法によって、十数人の死刑囚が処理された。その様子もまた、世界中継された。一般家庭にも、そのまますばりの光景が放映された。九足八面鬼による迅速な死は、死者の体に、何の痕跡も残さない。ただ、眠るように死んでいく。納得してもらうためには、実際の死の場面であろうと、これを見せるより他ないと判断されたのである。

 多くの人々は、これで納得した。

次に起こったのは、長年真実を隠匿していた政府への不審の爆発だった。

 これにより、いくつかの政府が転覆した。が、転覆したところでどうなるだろう。真実に変わりはない。そして、今までは正常に働いていたこの機械が、いつまた止まるとも知れない、その不安も変わることはないのだ。

 機械はその後、完全に停止したようだ。人がバタバタと死んだ。新しい機械に変えても停止するのは不思議だった。ここでも、テロの可能性が持ち上がった。あるいは――一番恐ろしいことだが、九足八面鬼が、この機械の存在を、我々人類と同時期に知り、破壊しに来ているのかもしれなかった。顕微鏡にも映らないこの細菌虫に対して、我々人類はなすすべがなかった。

人々は政府への反逆の狼煙を早々に消した。そして、自らが生き残る術を模索し始めた。

 まず、コショウがこの世から姿を消した。

 くしゃみを誘発するものは、たとえ日ごろの調理に欠かせない存在であったとしても、全て捨てられた。所持しているだけで死刑になるのだから、麻薬取締よりもよっぽど厳しかった。死刑執行の方法は簡単だった。違反者の顔にコショウを撒くだけで済んだ。

 結果、料理が不味くなった。

 次に恐れられたのは、花粉症だった。

 花粉を飛ばす木々は、徹底的に伐採され、焼却された。檜も、杉も、ブタクサもヨモギも……その結果、世界から緑の殆どが消え去り、酸素が薄くなった。木造建築は全て抹消された結果、家も、神社も、寺も、全て冷たいコンクリートの建物となった。木造でなくとも、古いビルなどは破壊された。アスベストの危険があったからだ。

 あまりにも立て直しの建物が多く、まったく進行しなかった。この二年で取り壊しは全て終わったものの、新築、改築完了のめどはまったく立っていない。路上は家を失った人々で溢れかえった。その中で越冬できる者は、僅かしかいなかった。風邪が、最大の脅威となった。

 人々はガスマスクを使い始めた。そうなると、誰も身だしなみに注意を払わなくなった。どうせ、顔なんて見えないからだ。ガスマスクを付けられない子どもたちをどう救うかが、目下の急務となった。機械はいつ止まるかわからない。テレビの一つのチャンネルで音声を発し続ける案も出たが、そのチャンネルに切り替えていないと意味がない上、そもそもテレビを持たずに路上で生活する者が急増している。結局、周りの大人が救うしかない。くしゃみの音が聞こえたら、たちまち「くしゃみ」と唱えることができるように。この間隙が一秒以上空くと、もう助からない。昼間は良いが、夜も寝ずの番で見張らなければならなかった。多くの大人が寝不足になり、ノイローゼになった。

 ここまでくると、何も知らなかった昔を恋しがる者が続出した。と同時に、一番初めの疑問が再び噴出した。くしゃみが人を殺すなんて、そんな馬鹿なことがあるのか? 何か、巨大な陰謀を隠すための詭弁なのではないか? 一度は確実に自分たちをだましていた政府の言うことだ。とても信じられたものではない。実は、政府自らがこの世界を転覆させ、人類を死滅に追いやり、限られた生き残りだけで新たな世界を創造することを目論むテロリストなのではないか――と。

 とある過激派の一派が、この疑問にこたえるべく行動を起こした。世界に網を張り巡らせ、ある日、一斉に行動を開始して、全ての国の発声機械を掌握してしまった。どの国の政府も疲弊しきっていて、作戦は短時間かつ非常に簡単に遂行されてしまった。

 機械を掌握したグループのリーダー――これが僕なわけだが、僕は全世界に宣言した。本日、日本時間十五時三十分を以て、この機械とパイプラインを修復不能なほどに破壊し、上空から小麦粉、コショウなど、様々なもので作った粉物爆弾を投下する。世界が生き残るなら、政府の説明は全て詭弁だったことになる。

 しかし、政府の言うことが真実だったなら――? 僕は人類全虐殺の引き金を引いたことになるが、そこに大した意味はないだろう。僕の所業を書き留める人間は誰もいない。

 残り十秒となった。不思議なほど心は落ち着いている。「くしゃみが殺す」ことが真実であるかなんて、どっちでも良かった。あまりにも情けなく壊れてしまった世界――そこから何かが変わるなら、行き着く先が滅亡でも僕は構わない。

 残り五秒だ。ここらでペンを置こう。ジェット機の轟音が聞こえる。もうすぐだ。これで、この世界の真実が明らかにな

(了)

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くしゃみが殺す @RITSUHIBI

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