第三章 空地図モノクローム

第15話

 夏に似つかわしくない強い風が頬をかすめる。俺はその横で、自分の無力さに打ちひしがれる。どんなに必死に知恵を働かせようとも、大いなる自然の力にはかなうことは無いのだ。せっせと集めたごみ山が無残にも崩れていく姿を横目で眺めながら、俺はそんなことを考える。



 一学期の期末テストを終え、全校生徒が今か今かと夏休みを心待ちにしている緩い空気が流れるこの期間。いま俺が立っているのは、致道学園の屋上エリアだ。

 ギラギラと照り付ける陽射しがアスファルトに反射して、電子レンジのように体を温める。ときに体感温度というのは外気温だけに留まらず、気流と湿度を含めた三要素によって決定されるらしい。

 だけど俺にはそれら三要素が均等な力関係を持っているとは到底思えない。あんなに強大な力だと思っていた風も、この真夏の気温と湿度に比べればその影響力は微々たるもので、俺の背中から出る汗を抑制する役割の一端すら担っていないのだから。


 屋上のアスファルトは、物理室や化学室などが収まっている特別講義棟分の面積がそのまま長方形に伸びているので、十数人の生徒程度であれば、激しく動き回っても余裕があるぐらいの広さだ。また、屋上を取り囲むように返しのついたフェンスが設置されており、高台における落下の危険性は低いと言える。


 しかしながら残念なことにこの屋上は致道学園において一般生徒に解放されていない。もっと正しく言うのであれば、使用を禁止されたわけだ。

 一年前、つまり男子校だったときには、十分な注意を払ったうえで生徒の使用が許可されていた。高場から見下ろす街の景色はかなりの人気があり、隣接している城址公園で桜が咲く時期には、食べる場所を確保するのすら大変だったらしい(その事実を俺が知ったのは去年の秋だった)。

 だがそれも、去年度までの話。併合に際して様々な校則改正が行われ、その中に屋上の使用禁止の項目が付け足されていた。勿論生徒達から反対の声があがったが、落下防止設備の老朽化を理由に、一方的に使用禁止が通達された。

 しかしこうしてみるに、落下防止用のフェンスは錆びついてすらいない。多分、学校側の本当の理由は、監視の目が行き届かない可能性やフェンス程度では阻止できないな理由によるものなのだろう。

 ではなぜそんな閉鎖された屋上に、いま俺が入れているのかというと……、


「ちょっと、長ったらしいモノローグ入れる暇があったらとっととそのごみ集めてくれないかな」


 振り向くと、半透明なゴミ袋を片手に持った制服姿の女子が、校則スレスレの丈のスカートをはためかせながら、こちらに文句をぶつけてくる。

 小波渡三琴。小学校からの付き合いであり、腐れ縁。高校の進学先が分かれたことがきっかけで一年間ほど喋ることは無かったものの、併合によって結局高校生活もともに過ごすことになってしまった。

 そんな彼女はごみ袋とは反対側の手に持った長トングを使い、俺が手にしている箒では集めにくい大きめのごみを器用にゴミ袋に詰めていく。

 ということで、俺たちがこの屋上という場所にいることを許可されている理由はいたってシンプル。部活動の一環として屋上の清掃を行っているからだ。


 学園厚生部という謎の部活動に入部させられてから約一ヶ月が経った。『生徒の暮らしを豊かにする』という曖昧模糊とした活動内容を掲げているこの部活動は、目下大きな問題を抱えていた。それは月に一度生徒会に提出する月刊活動報告書に記入出来る内容が無かったのだ。

 内容が無いよう……とくだらないことを言っている時間は、三日後に迫る提出期限日に対してあまりにも悠長だ。三琴が言うに、この活動報告書で一定の実績を残せなかった場合、その部活動は解体の候補に入れられてしまうらしい。それはなんというか、あまりに呆気ない。

 そんなこんなで、俺たちは様々な場所で悩んでいることはないかの営業回りを行い、見事用務員室にてこの清掃活動の仕事を手に入れたのだ。


「それにしても、かなりゴミが散らばってるよね。使用禁止の立て看板は出てるけど今でも誰か使ってるんじゃないのかな」


「南京錠程度だったら、少し知識のある奴なら鍵を外せないこともないしな」


 確かに屋上にはお菓子が入っていた小さな包装紙なども転がっている。だがやはり、侵入者がいたその可能性は低いと言わざるを得ないだろう。

 例えば進入禁止の場所に菓子のごみなんておいて帰る奴がいれば、その場所を使用したと申告しているのと同じだ。かといって一つのゴミすらないのであれば、明らかに証拠隠滅をしているようにも感じられる。監視の目が強くなる可能性だってある。

 そのどちらとも言えないこの乱雑さは、少なくとも最近まではこの場所に人が寄りついていないことを表している。落ちている数個の包装紙だって、風が吹けば飛んでくるほどの小さなものだろう。

 それらのゴミは三琴に任せ、俺は箒を使って細かな埃や枯草などを最後に集めやすいようにいくつかの小さな山にして纏める。


 一般生徒の使用は禁じられているものの、ある程度には清掃が必要なこの屋上は、確かに用務員一人で清掃するには少々骨の折れる広さだ。それにとても単調で、変化が無い。屋上を使用する側と清掃する側で、こうも感じ方が違うのか。

 こういった単調な時間を紛らわすために大事なのは、何も考えないことだ。心を無にして作業そのものに身を委ねればすぐに時間は過ぎていく。

 すこし離れた場所にいる三琴はどうかというと、どうやら暇なときには鼻歌交じりに作業をこなすタイプらしい。こちらには聞こえていないつもりのようだが、しっかりとメロディーラインが聞こえてくる。随分とご機嫌な様子だ。あとで鼻歌が聞こえていたことを伝えたら、どんな顔をするだろうか。

 ……しかし、なんだ。鼻歌にしては均整がとれているというか。聞き間違えじゃなければ複数音すら鳴っているんだけど。

 その違和感に気付いたのは二人ともほぼ同時のことだった。

 互いに顔を見合わせてもなお聞こえてくるメロディーラインの源は、特別棟と渡り廊下を挟んで対岸にある旧校舎棟にあるとすぐ気づいた。

 軽やかなタッチで奏でられたピアノの旋律は、聞いた人間の周りに澄んだ空気を演出する。もしかしたら体感温度の三要素のプラス一要素として、BGMも追加した方が良いかもしれない。

 

「これは確かモーツァルトの……月光だっけ?」


「月光はベートーヴェンだしこの曲はショパンの幻想即興曲だよ。どこをどう間違えたらそうなるのさ」


 ……どこかで聞いたことのある曲調だったとはいえ適当に喋り過ぎた。少し黙っておこう。

 呆れ顔の三琴はすぐに視線を講義棟の方に向け、ピアノの演奏に耳を澄ます。


「何というか……アンバランスだね」


 三琴が言ったアンバランスとは、このピアノ演奏についてだろうか。音楽とは程遠い人生を送ってきた俺には、とても巧みな演奏のように思えるけれど。


「何が気に食わないんだ?」


「あ、いや文句があるとかではなくてさ。凄く正確なリズムで、こんなに離れていても粒立って聴こえるんだ。それなのに譜面に対してのミスタッチが多すぎるんだよ。不協和音ってわけでも無いんだけど……」


「素人にも分かるようにオネシャス」


「分かりやすく言うとするならね、他の技術は凄く上手なのに、音だけは的確に外すんだよ。それに外し方もロボットみたいに正確なんだ」


 そんな風に、一部分だけプログラムを間違えた機械のような人間が本当に存在するのか。

 しかしそう考えてすぐに、それにかなり近い人間がいることにすぐ思い当たった。

 彼女に関していえば、一部分だけというのは少し生易しすぎる評価である気がするけれど。


 ガチャリ、と後ろから音がする。屋上に繋がっているただ一つのドアが開かれた合図だ。

 その方向に振り返ると、これまた体感気温を下げる四つ目の要素と見間違うかのような、鉄仮面の女生徒がそこには立っていた。

 八河は風紀委員の証である臙脂色のネクタイをきつく締め、漆のような黒い髪を風で揺らしている。三琴とは対照的に、膝がすっぽりと隠れる丈のスカートの埃を軽く払いながら、こちらへ向けて歩みを進めながら口を開く。


「そろそろ屋上の清掃は終わった?」


 そう尋ねた俺たちからの返事を待たずに、八河は屋上を軽く見渡す。

 言うまでもなく清掃はまだ終わっていない。聞こえてくるピアノの旋律に意識を奪われていなければとっくに終わっていたであろう作業も、数個の塵山を残したまま止まっている。


「ごめんね、八河さん。もう少しで終わるところだったんだけど少し気になることがあってさ。すぐに終わらせるよ」


 そう言って、三琴はフェンスに立てかけていた長トングを手にし、作業の続きを始める。

 その姿を背に、八河は余っていた竹箒を手にして塵山のゴミを纏め始めた。


「随分と遅い到着じゃないか」


 俺の口からついて出た言葉は、誰が聞いても棘を感じられるものだった。もちろん、無意識でそう言ったわけじゃない。風紀委員会の会議があるから八河の到着が遅れるというのは、事前に三琴から伝わり聞いていたことだった。

 それでも俺がこうして言葉にするのは、どうせこんなハッキリとした嫌味すら八河には通じないという、ある種の信頼からだった。


 しかし、そんな八河から俺に向けて帰ってきた反応は、


「……ごめんなさい。会議が予想より長引いてしまって」


 という、なんともしおらしいものだった。

 それを聞いた俺の身体は、過重な負荷が突然かかったパソコンのように固まる。彼女が何を言ったのか、一瞬理解できなかったのだ。

 なんだよその反応。そんなこと言われたら、まるで俺が弱いものいじめをしてる悪者みたいじゃないか。


「謝らなくてもいいんだよ、八河さん。なんならこの男だって、メールで送った集合時刻から10分遅れてきたんだからさ。事前に申告してくれてた八河さんの方がずっとまともだよ」


 くっ、余計なことをペラペラと……。

 三琴の言葉を聞き、八河は真偽を問うような目線をこちらに向けてくる。その目線に対し、ここは断じて黙秘権を行使させていただく。日本国民として当然の権利だ。


「あーあ、都合が悪くなったら黙っちゃって。だっさいねー」


 これ以上の詰問は、作業による集中力でかき消すほかない。彼女らに向いている左耳に蓋をして、俺はまだ集め終わってない塵山へと体を向ける。八河も三琴もこれ以上話を掘り返すつもりはなかったようで、話はここで打ちやめとなった。




 清掃が終わっていないと八河には言ったけれど、残っていた作業は言うなればこまごまとした締め作業のようなものだ。八河も含めての3人であれば、モノの数分でカタがつく程度の仕事量だった。


「よし、これで終わりか」


 ゴミ袋の口を閉めて、俺は息をつくように言葉を漏らす。単調な作業ではあったけれど、それが肉体の疲労に繋がっているかと聞かれればそういうわけでもない。屋上から見下ろしたグラウンドでは運動部員が炎天下の中で汗を流している。彼らとはくらべものにもならない。

 だがそれは、こと八河に関していうとそうではないらしく、


「……一旦休憩しよう、少し疲れた」


 と言って、庇のついた壁へともたれかかりながら腰を下ろす。

 Yシャツの袖からちらりと覗かせる八河の白い肌はもはや不健康とも呼べるほどで、その体力の無さが見て取れる。短時間と言えど、この強い日差しには堪えたらしい。


「そうだね、今日中に終わらせなきゃいけない仕事はあと一つだけだし、しばらく休んでからにしようか」


 そういって、三琴も八河の隣のスペースへと腰を下ろす。活動時間は八河よりも多い筈だが、その表情にはまだ余力が感じられる。

 少し目のやり場に困る短めのスカートからすらりと伸びた三琴の細い手足は、八河とは違って健康的な血の巡りが感じられる。中学までは陸上部の短距離選手として活躍していた三琴にとって、この程度の作業は大した労力でもないのだろう。


 俺は後ろポケットに入れておいたペットボトルに手を伸ばし、彼女らとは少し離れた場所のフェンスに背中を預ける。先ほど耐久性は確認したので、もたれかかっても落下することは無いだろう。

 少し温くなった炭酸飲料を口に運びながら、俺は今までに身の回りで起こった出来事を思い出していた。


 ひょんなことから結成されることになった学園厚生部。この部活は、八河がと願ったことが創設の発端となっている。感情の起伏と理解に乏しい八河という人間は、当初の俺が感じた誰にも興味が抱かないという印象とは違って、そんな自分を良しとしていなかった。

 しかし残念ながら、そのを八河が理解するためには、決定的に足らないものがあった。想いとは相互関係の中で成り立っているモノであり、そのやり取りを交わす友人が一人も存在しなかったのだ。

 友人がいないから想いが理解できなかったのか、理解できないから友人がいないのか、そんな鶏卵問題は置いておくとしよう。そうした、スタートラインにすら立っていない八河は半月前、あろうことかお……、異性に告白するという超高カロリーな行動にとって出た。どうやら彼女が言うに、異性と付き合えば好きが理解でき、好きを理解出来れば想いも理解できるはず、という三段論法的解釈のようだ。どう考えても手順を間違えてるだろ!

 そして厄介なことに、八河なりに単純なという行為の成功率が著しく低いだろうことを理解していた。だからこそ、俺の弱みを見つけるやいなや、交渉を持ち掛けてきた。それこそが学園厚生部の創設であり、俺という男子を部に在籍させることだった。そして部活動で共に時間を過ごすことにより、他者との交流が自ずと生まれ、好きも想いも、理解できるという算段らしかった。


「そう上手くいくとは思わないんだけどな……」


 現に俺はいま、八河という人間の存在を量りかねている。目的を達成するために人を傷つけることも厭わないような彼女の人間性に直に触れてからというもの、むしろ心の距離は遠ざかったと言えるかもしれない。先日の瀬畑の一件から、俺と八河はまともな会話の一つも交わしていなかった。


 びゅうと強い風が吹いた。俺は立てかけていた竹箒が倒れそうになるのを片手で押さえ、そのまま床に横倒しにする。

 視線を二人の方に向けると、肩で息をしていた八河の呼吸は随分と整っていて、いつもの無表情のまま八河と会話を交わしていた。

 いつの間にか部に在籍している三琴とは、俺相手とは違って雑談をしている場面も多いけれど、あれは八河の成長というよりも三琴のコミュ力によるところが大きいと思う。近い将来、彼女の願いが果たされる時は来るのだろうか。


 それにしても、願いか。俺の願いはただ普通の青春が送りたいってだけの素朴なものだった。そして、年の初めに女子校との併合で共学になり楽しい青春が送れると思いきや、次は女子との交流を禁じられて。そんながんじがらめの学校生活の中でクラスの女子に告白されるイベントが来たかと思ったら、そいつは俺を自分の感情を理解するための道具としてしか見做していないときた。まるでジェットコースターに乗せられている気分だ。

 タダで乗れるジェットコースターならまだしも、雑務や肉体労働などでその料金を強制的に払わされている。それにそもそも、俺はジェットコースターが好きではない。遊園地なら観覧車に乗る派だ。

 だから俺には確認しなければならないことがある。心穏やかに、でも共に乗る相手によっては胸を躍らせることも出来る、そんな学園生活の営業を再開させる方法を八河は知っていると言っていたのだ。


 俺はもたれかかった壁から背中を外し、小さな歩幅で座っている八河と三琴の前へ歩み寄る。


「聞きたいことがあるんだ」


「……どうしたの?」


 少し眉根の寄った俺の表情を見た八河は、相も変わらず感情の分からないほっそりとした面を上向けて、そのまま首を傾げる。


「おまえがこの前言いかけてたことを思い出したんだ。この学校のおかしな校則を変える方法があるかもしれないって。その方法を今、聞いておきたいんだ」


 そうだ、彼女はこの前部室で言いかけていた。八河の望みを叶えることと、普通の青春を送りたいという俺の望みは確かに繋がっていると。この際だ、はっきりさせておくべきだろう。

 もし八河の発言が嘘であるならば、彼女との関係性もここで考え直さなければならない。タダ働きをする為に、貴重な青春の時間を使うつもりはない。この前とは違って今は隣に三琴もいる。その場しのぎの適当な嘘だったとしても、二人掛かりであれば見抜くこともできるはずだ。


 質問を受けた八河は、このタイミングで俺に話しかけられるとは思っていなかったのだろう、何をどこから話したものかと考えるように逡巡する。そしてとっかかりを見つけたのか、ゆっくりと口を開いた。


「この学校の校則、誰がどうやって決めているのか知ってる?」


「そんなの誰だって知ってる。うちの理事長だろ?」


 俺の返答に対し、八河は目を閉じてかぶりを振る。


「確かに、併合時の校則を制定して公布したのは紛れもなくこの学園の理事長。学業以外での男女の不必要な交流を堅く禁ずる、そんな時代遅れの校則も運営側であれば無理やり押し通すことも出来る。でもそれはあくまで制定のタイミングに限ってだけの話。今この時間、その校則を実際に運用しているのは理事長ではない」


「じゃあ誰だってんだよ」


「そんなの生徒会長に決まってるよ」


 そう言って、隣に座っていた三琴が割り込んでくる。


「うちの生徒会長と理事長が血縁関係にあるって話は前にもしたよね。理事長はその生徒会長の事を凄く信頼してるらしくてさ、現在の学園に新しいルールを作ったりするときでも、その生徒会長に決定を全て委ねているんだよ。理事長だから、学校経営以外にも仕事があるわけだし。……ていうかさ、全くおなじことを春の併合式で副会長が言ってたんだけど、まさか聞いてなかったなんてことは無いよね?」


 ……全然知らなかった。

 入学式と同時に併合式があったことは知っているし、勿論参加もしている。しかしその話にまったくの聞きおぼえが無いということは多分、寝ていたのだろう。そして三琴のこのしたり顔を見るに、あの場で俺が寝ていたという事実にも気付いているのだろう。


「ウオッホン! じゃ、じゃあなんだよ。生徒会長がルールを決めてるってんなら、男子と女子が普通に会話の出来る学校にしてください、って直接お願いして変えてもらえば良いだけの話じゃないか。あーあ、身構えて損したぜ」


「…………ふっ」


「おい待て、いま馬鹿にしただろ! 表情が変わらなければバレないと思ってんじゃないよ!」


 視線を外して小さく嘆息をついた八河は、何事もなかったようにこちらへ向き直る。


「生徒会長が校則を決められる立場にいるということはつまり、今の校則を良しとして変えずにいるのも生徒会長ということになる。つまり会長何某にとっては、今の校則が最も都合の良い状態だということ。その理由は私にも想像がつかないけど」


「それじゃ直接お願いしても無駄だっていうのか?」


「それを押し通すだけの対価をこちらが用意できるならまた話は別かもしれない。でも私たちを含めて普通の生徒は誰一人、生徒会長の顔も名前も知らない。そんな相手の求めるものなんて知りようがない」


「……む」


 確かに、八河の言っていることは全て的を射ている。生徒会長はまだ女子校だった去年の就任から今まで、表舞台に顔を出したことは無い。

 生徒会の役職は全校生徒の信任投票を介さずに前年度生徒会の推薦で決定される。隠そうと思えば全てを隠すことも可能な仕組みなのだ。そして生徒会から一般生徒に何かしらのアクションがあるときは、副会長が名代を担っている。


 そんな調子で生徒会長が務まるのか、という人間もいるだろう。俺も最初はそう思っていた。しかし、それは意外なことにイエスと言わざるを得ないのだ。

 今の生徒会長が就任してからというもの、元女子校で水面下に行われていたいじめ問題は生徒会の実質的な実行部隊である風紀委員により一掃され、衣服の丈や頭髪の制限など古い慣習は直ぐに撤廃された。よく昼食を購買で済ませる俺にとっては、複数の食品会社との連携による品ぞろえの充実は非常に有難いものだった。


 これらの他にも数え切れないほど、学園では改革が進められている。勿論これらは生徒会が行った仕事であり、会長一人の実績というわけでは無い。しかしそれらを実行できる生徒会を率いている生徒会長のカリスマ性に関していえば、もはや疑いようがない。

 こんな時代遅れの校則を野放しにしていても生徒から大きな暴動が起きないのには、ちゃんとした理由がある訳だ。


 八河はこう言っている。学園の校則を変えられるのは生徒会長その人のみ。しかし、俺たちは現在の校則を肯定している生徒会長を動かすだけの交換材料を何一つ持ち合わせていないし、更にこの学校に属する何百人の女子生徒(正しくはその中から去年の生徒会移行時には居なかった一年生の女子を除くわけだが)から何の手掛かりも無しに会長を見つけ出す必要がある。


 交換材料と生徒会長の身柄、どっちも確保しなきゃいけないってのがつらいところだな。

 覚悟はいいか? 俺はできてない。そんなの、達成する前に俺が卒業しちゃうよ……。


 先行き真っ暗であることに気付いた俺は、崩れ落ちるようにアスファルトへと膝をつく。

 それもそうだ。校則を変えることが出来るのであれば、もう既に誰かが動いているはずだ。半年もアクションが無かった時点でそれに気づくべきだったのだ……。


「……方法はある」


「そうなんでやんすか?」


 予想の外からの発言に、つい間抜けな敬語が出てしまった。


「方法って言ってもさ、八河さん。生徒会長がどんな人かも、話を聞いてくれるかも分からないんだよ? どうやってお願いを聞いてもらうのさ」


「生徒総会条項の第6条を活用する」


 そう言った八河は、胸ポケットから生徒手帳を取り出して一つのページを指し示す。

 なるほど、と小さく言葉を漏らす三琴の隣で、第6条どころかひとつも条項の分からない俺は、一体彼女が何をしようとしているのかの見当が全くつかない。

 俺は生徒手帳を覗き込み、複数ある条項の中で一番最後に書かれている文章を読み上げる。

 

「なになに、『生徒総会条項第6条:全部活動・同好会の中で、学園への貢献実績が多大であると認められた上位三つの団体は、生徒会へ嘆願書の提出が認められる。なおこの貢献実績は上・下半期で分かれており、全校生徒での投票によって決定される。また、生徒会は嘆願書の内容を可能な限り認めるものとする』?」


 文章を読み上げても尚理解の纏まらない俺に、八河は小さく頷きを向ける。


「つまりこの文にはこう書いてある。『学園への貢献が全校生徒に認められた部活動には、生徒会に何でもお願いできる権利を与える』と。そして私たちは生徒会に認められているれっきとした部活動団体。私たちの活動が認められれば、何でもお願いできる権利を利用して生徒会長に接触することも出来るはず」


「なんでもお願いできる権利、か……」


 その権利を利用して、例えば現行の校則を変更するのは難しいかもしれない。しかし八河の言う通り、会長にお目通りを願うぐらいであれば可能かもしれない。いくら人前に出たがらない会長だとしても、学園に貢献した部活動の願いを無下にするわけにはいかないだろう。金品を要求しているわけでもないし、むしろ可愛いぐらいだ。


 そして生徒会長の身元さえ割れれば、更にその次の作戦である校則を変更する取引を持ち掛けるフェーズに移れる。

 なかなかどうして、八河はしっかりと作戦を考えたうえで俺を学園厚生部に入部させたと言うことなのか。


「……悪かったよ」


「?」


「八河のこと、勘違いしてた。ちゃんと俺の望みも考えて行動してくれてたことに気付けなかった。それに比べて俺は、自分のことばっかりでお前にも酷い言葉を……申し訳ない」


 そう言って俺は八河に向けて頭を下げる。


「べつに気にしていない」


 そう言われて俺は頭を上げ、視線をまた八河の方に向けた。相変わらず、本当に気にしていないかのような無表情の顔だった。


「にひひ。よし、じゃあ仲直りも済んだところでさ、教えてくれるんだよね?」


 なぜだか嬉しそうな顔で立ち上がる三琴は、八河の両肩を掴みながら問いかける。


「何を?」


「またまた勿体ぶっちゃって。そりゃ生徒投票で三位以内に食い込む方法ですよ、姉御! 何十もの部活動がひしめくこの学校でうちみたいな新参が上位に入るっていうんだから、なにかしらのウルトラCを用意してるんだよね!」


「そうなのか!? 凄いな、八河! やっぱりうちの部長はお前しかいないぜ!」


 ここまで来たからには、俺の八河への忠誠心はもはや江戸武士といい勝負をできる程ですらある。いや移り身の早さはどちらかというと鎌倉武士だろうか。

 俺と三琴は、まるで人生の師を得たかのような眼差しで八河の言葉を今か今かと待ちわびる。


「それは……」


 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえる。それが誰の喉から鳴らされたものなのか分からない程には、期待と緊張感がその場を支配していた。


「…………………今から考える」


 いや、何となく分かってはいましたけどね。

 でも期待をさせた側にも問題があると僕は思います。




 八河は、部室に荷物を置いてから次の清掃場所へ向かうと言って、さきに階段を下りていった。風紀委員会の会合から直接こちらへ来たのだろう八河は、掃除をするには邪魔な紙束とバインダーを抱えていた。


 おいていかれる形になった俺と三琴は、最後に忘れものが無いか確認して、扉へ手をかける。


「……何か言いたげな顔してるけど」


 俺は三琴の方を見て、ゆっくりと口をひらく。


「なんのことかね?」


「とぼけるなよ。俺が八河に質問をしたとき、ツチノコでも見たような表情をしてたの、気づいてないとでも思ったのか」


「あちゃ、バレてたか」


 三琴は俺の方を向き、いたずらのバレた悪ガキのように額を叩く。


「簡単な話だよ。なんで今更そんなこと聞いたのかな? と思ってね」


「今更そんなことって、どういう意味だよ。お前も今の校則は窮屈だって思ってるんだろ? だったらそれを解決する方法は知っておきたいと――」


「そういうことじゃないよ」


 三琴は、繋がれるはずだった言葉を冷たい声色でせき止める。


「文理が友達を庇って学園厚生部に入ったところまでは私も理解できるよ。文理らしい理由で、嫌いじゃない。でもさ、今この話を聞くまで、文理には真面目に部活動を続ける意味がなかったはずなんだよ。八河さんが文理に求めた条件は、学園厚生部へのしかなかったんだからさ。

 八河さんが文理の弱みを握っているのと同じように、文理も八河さんの弱点を理解している。多少のサボりなんて許容範囲なんだ。この掃除も、本当なら欠席してしかるべきだと思う。

 だから、校則を変えるための手段なんてものはさ、文理は何が何でも最初に八河さんから聞いておくべきはずの内容なんだよ。

 鞭だけで走り続ける馬はどこにもいない。だっていうのに、このタイミングで人参の所在を聞いてるんだもん。そりゃ鳩が豆鉄砲食らったような顔もするよ」


 ツチノコだったかな、と最後に言って満足した様子の三琴はポケットに入れていた鍵をこちらに放り投げる。そして八河の後を追いかけるために勢いよく屋上の扉を開けた。


 受け止めた小さなカギを手のひらにのせ、俺は茫然と立ち尽くす。

 八河と俺は友達でもない。フラットどころかマイナスの感情すら向けていた。それなのに、なぜ一時間前までの俺は八河に協力をしていたのだろう。

 意識したこともなかった。あるいは無意識のうちに意識することを避けていたのだろうか。そしてそんな俺の矛盾に、三琴は気付いていたというのだろうか。


 今すぐ分からなくてもいい。だがこの矛盾は、きっとどこかで大きなほころびになり、俺という人間を揺るがすことに繋がるかもしれないと、そう思った。

 そんな危機感を胸に留め、俺は簡潔に自問をする。




 Q. なぜ今の今まで芦間文理は、八河に協力をし続けていたのだろう?


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