第16話
「ふぃー、疲れたねえ」
そう言った三琴は、ドアを開いた勢いそのままに入り口右の三人掛けソファへと倒れ込む。二つしかないソファの一列が占拠され、俺は否応なしに対面のソファに腰を下ろす。
この席に座るたび思うことだけど、手触りや弾力などからみるに、一部室に置いてあるだけのこのソファが安物であるとは全く思えない。少なくとも自宅にある一般家庭用のそれとは比べ物にならない事だけは分かる。
この部屋を使用していた団体、つまり過去の学園厚生部が活発に活動していたのは遠い過去のことらしい。隅に溜まっていた埃や、日焼けで色あせた紙束などが残っていたことからも、長年にわたって人の手が入らずに放置されていたことが分かる。
併合前はそれでよかったのかもしれないけれど、厳しい監査の目が入った今年であれば、そう遠くない未来に撤去作業が入っていただろう。
半月ほど前のこと、俺達は部活動を始動するためにこの部室のあらかたの掃除を済ませた。
用途の分からない道具や資料の処分をおこない、その中には前任者が置いていったと思われる、経年劣化で捨てざるをえないようなモノもたくさんあった。
しかしその中にも汚れを落としただけでまだ十分使えるようものもいくつか残っていた。むしろ年代物としての価値を思わせる品ですらある。このソファも、その品々のうちの一つだ。
お金持ちの部員が過去に居たのかもしれない、とは八河の言だった。
調べられないのかと訊ねもしたけれどそれは個人情報であるからして、いくら学園の中枢に近い風紀委員であったとしても簡単に調べられるものでもないらしい。
そして価値が有るかもしれない以上、持ち主がいつの日か回収に現れる可能性は十二分にある。部室の広さには比較的ゆとりがある訳だし、急いで処分する必要もない。扱いをどうするかという話にもなったが、所有者は少なくとも一度は部室に持ってきている訳で、使用するぐらいは大目に見てもらおうという結論で満場一致した。
陽は完全に落ち切ってはいないものの、昼間というには少し時間が経ちすぎている。気温自体はかなり落ちていて、扇風機をつけてさえいれば決して居心地の悪い環境ではない。
今日に急いでするべき仕事はもう残っていないからか、二人は労働の電源を切っているようだった。窓側の八河は鞄から文庫本を取り出してページから栞を外している。いつの間にか寝ころび姿勢を正していた三琴は、SNSでも見ているのだろう、視線をスマホから外さない。
俺はそんな二人を視界の端に捉えながら小さくため息を吐く。今日行える作業が残ってない以上仕方が無いと言うことは分かっている。でもこんな調子で生徒投票三位以内に入ることなど出来るのだろうか。
絶対不変である現在の校則を変えるために八河がもたらした策は、雲を掴む様な気分だった俺達に確かなゴールを示した。しかしながら、それが手の届く場所にあるゴールかと聞かれると、そうではないという他ないだろう。
一学期の中盤の始動からまだ一ヶ月しか経っていないこの学園厚生部は、部員ですらその明確な活動内容を理解していない。そんな活動実績も乏しい場末の部活動に対する一般生徒の知名度など有ってないようなものだ。生徒投票とやらがいつ行われるか分からないが、一年の総括としてみるならば年末あたりだとして、残り時間はあと半年もない。冷静に考えても、無理ゲーってやつだ。
「……でも簡単に諦めるわけにはいかないよな」
俺は自分自身に語り掛けるように、小さく呟く。
どんなに難しいからといっても、俺にはありふれた青春を送るという、誰にも譲れない望みがある。登るべき山は明確で、あとは技術と根性だけだとも言える。
俺は何個の部活動のうちの上位3団体に入ればいいのかを想像するため、記憶にあるだけの部活動を頭の中に思い浮かべてみる。比較的人数の多い運動部から一つ、二つ……。
十個ぐらい思い浮かんだところで数えるのをやめた。
やめだやめだ。こんなことをしても何の意味もない。だって俺が知っているいくつかの部活動や同好会なんて、元々男子校時代に存在したものだけなんだから。女子高と併合した今となっては、二校分の部活動が共存していることになる。二倍だぞ、二倍。
運動部、文化部に限らず、二校で同じ活動をしていた部は存在する。校則に基づけば、部活動は学業における必要な交流としてみなされている。つまり男女が共に活動しても基本的に処罰の対象にはならないわけで、春先は各部で合流の流れもみせていた。
しかし生徒会および風紀委員の過激な取り締まりから、そんな言葉はいかようにも曲解できるという認識が学校中に広まり、そのほとんどは男女別々の団体としての活動を続けるに相成った。
だからもはやこの学園に何個の部活動が登録されているのかは俺には分からない。ただひとつ言えることは、俺たちはその中でも知名度がダントツ最下位に君臨しているいうことだ。
「これはキツいって……」
「なにが?」
いつの間にかスマホから目を離していた三琴は目を細めてこちらに訊ねてくる。どうやら声が漏れ出ていたらしい。
「生徒投票で上位三位に入るって話だよ。三琴はうちの学校の部活動数って知ってるか?」
「ぜんぜん知らないんだな、これが。部室棟を増設したぐらいなんだから沢山あるっぽいことだけは何となく分かるけど。八河さんは?」
質問された八河は本から目を離すと、小さく首を振る。どうやら正確な数は八河でさえ把握していないらしい。
「とりあえずは地道に活動していくしか目処がないってことだけは分かったよ」
もたれかかっていたソファから背中を外し、俺は姿勢を正す。ゴールは見えているのに、そこに至るまでの道筋が見えない。なんとも見通しの立たない現状だ。
何か良い方法はないものか。再度思案しようとしたその瞬間、入り口の扉が叩かれる音がした。
来客の予定なんて聞いていない。俺は三琴と目を合わせる。彼女の驚いたような反応から察するに、どうやら約束の元の訪問者という訳でもないらしい。
対応が遅れたからか、扉の向こうからコツコツとノックの音がもう一度聞こえてくる。
「部室間違えてるんじゃないか……?」
「あ、やっぱりそう思う? そもそもうち、看板すら出してないし」
誰でも歓迎、その言葉の真逆をいっているかのように、この部は入り口に看板すら掲げていない。傍から見れば無人にすら思えるだろうから早いうちに改善しなければならないと思っていたところだ。そんな状態なのに、用事を持った誰かが訪問する訳などなく……。
「あのー、すみません! ここって学園厚生部の部室であってますか?」
どうやら本当に客人のようだ。
扉の向こうから活発な女生徒の声が聞こえる。どうやってここに辿り着いたのか、そもそも何の用なのか。見当はつかないけど、間違いなく俺達に用事があっての訪問であることは間違いなかった。
俺が扉を開けると、そこに立っていたのは一人の女生徒。と、その後ろに背中に隠れ込む様にもう一人、その子と同年代と思われる女子が立っていた。
先頭に立つ女生徒は、見知らぬ人間に向けるものとは到底思えない笑顔のまま、口を開く。
「この部、なんでも相談に乗ってくれるって聞いたんですけど!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます